茫然自失春競馬

2017-04-09 22:13:09 | 独り言
だから言ったじゃないの絶対はないって!(怒り)このショックは大きい。
「絶対」以前に、予想した馬があの一頭以外はかすりもしないとは・・・。
次週皐月賞は静観しよう。わからない わからない わからんなあ。
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わからない、ということがわかった・・・風について

2017-04-09 22:11:59 | 独り言
わからない、ということも分かったことだ。
わからない、ということをちゃんと理解している。それは分かったことになる。と西脇順三郎は言っている。
わからないからダメだ、ということはおかしい。

いのちの訳など知らなくたって生きていけるのに、知りたがる。人間だからだろう。いや詩人だからだろう。
他人のいのちは客観的に見ることができるが自分のいのちとなるとそうはいかないらしい。主観に邪魔されて客観的自分は立ち往生してしまう。
客観的自分とは日常を無事に生きていこうとする自分である。そこで詩人は比喩によっていのちの訳に近づこうとする。いのちの訳は不明瞭であることは詩人は承知している。だからこそ不明瞭なものをあえて具象化しようとはしない。
詩人は言葉は親切な友人だと思っている。彼の「風」という言葉は「いのちの訳」に近づく扉の前で、日常的な風を暗喩化することによって主観と交渉しようとするのだ。
その時風は「風」という日常的な衣服を脱いで「わからないもの」に化ける。
彼の親切な友人は、不明瞭なものは不明瞭なものという結論を詩人に届ける。「わからない」というのもひとつの事実であり、わからないものは駄目とはならない。わからないからこそ、いとおしいものもある。「いのちの訳」もそのひとつであろう。おぼろげに浮かぶいくつかの心象風景、それが「いのちの訳」でもあろう。
詩は書きつくして成り立つものではない。逆に無理してまで書き尽くさないほうがいい場合もある。詩人はその見極めができる。
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