54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

「ないものねだり」の教育改革

2005年04月27日 | パラソル
人間の本質は「ないものねだり」である。「飽きる」というのもそれが関係するのではなかろうか。エアロスミスやヴァンヘイレンを初めて聴いたときは衝撃的だった。こんな最高な音楽があるなんて!しかし今となっては慣れてしまったというか、飽きてしまっている。「ないものねだり」ゆえに、日本にはないサウンドに感動したが、その新しいサウンドが「ないもの」から「あるもの」になってしまい、ねだらなくなってしまった。
テレビゲーム、サッカー、K-1、いろんなものが飽きてしまっている中、今は学問に夢中になっている。小中高と学生の頃は勉強に興味がなくテレビゲームに夢中になっていた。「ないものねだり」だったのだろう。学校では勉強を大量に与えられる。やらなければならなかった。「ないものねだり」な少年は大量にある勉強ではなく、テレビゲームを求めたのだろう。それが今になって勉強に目覚めたというのは、勉強が「ある」から「ない」になったからではないだろうか。テレビゲームは学生の時期に飽きてしまったのだ。大学生になっても勉強を大量に与えられたとしたらこうはならなかったのかもしれない。
「ないものねだり」という人間の本質を利用して教育改革ができるのではないだろうか。勉強をしない子どもが増えているというが無理やりやらせるのは逆効果である。「ないものねだり」なのだから、学校は勉強ではなくテレビゲームだのスポーツだの遊びばかりを提供すればいい。そうすれば生徒は自ら勉強するようになるだろう。勉強させない学校、それが子どもに勉強させる。
ゆとり教育とは中途ハンパなのである。確かに勉強を減らしてはいるが十分ではない。この中途ハンパさが学力低下を生み出している。勉強を押し付ければ勉強はしない。大量に与えれば嫌がるがそれでも身には付いてくる。これを中途ハンパに減らすと、押し付けは押し付けなので勉強はしない、与えられるものが減ったので身にも付かない。学力低下を打破するにはとことん勉強をなくすか、とことん勉強させるかのどちらかしかない。

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