54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

「文学部唯野教授」筒井康隆

2006年05月16日 | 読書感想文
筒井康隆の名前さえ知らなかった54です。はい読みました「文学部唯野教授」。なかなかタメになる本でした。

文学部唯野教授筒井康隆

大学教授の世界はこんなものだったのか、そして、唯野教授によるわかりやすい文学理論の講義。
唯野教授のおもしろさは、リビドーの話をしているところで、力こぶをつくりながら言った一言。「おれ、リビドー山」で伝わったでしょうか?
大学教授同士の助教授を教授にするしないの駆け引きが最後暴力沙汰にまでなって、これはドタバタコメディね。
でも唯野教授の講義は普通にまじめです。ユーモアに溢れる講義でもありますが。

記号論、構造主義、ポスト構造主義とかになると、ソシュールやロラン・バルトといった聴いたことある人たちが出てきて、よい復習になったかな~と。でもフッサ~ルって聴いたことあるけどまったく覚えてない、とか焦ったりもしたよ。
受容理論が一番よかったかな。読者中心主義というか。作品や作家だけでなく読者にも目を向けようという。作家作品読者3者揃って初めて文学が生まれるのです。

しかしながら、批評なんてものはどうかとも思うんですよ。小説なんて読んでおもしろかったらそれでいいじゃない。分析することに意味なんてあるの?と。

よい小説とは

よい小説とは、読者のそれまでの意識を改変してしまうような、パラダイムシフトを起こさせてしまうような小説だと僕は思います。
たとえば、「アラビアの夜の種族」は私の想像を超えるイリュージョンの連続でした。イリュージョンが起こるたびに、私の脳の神経回路は再構築されていくのだ。

クライトンの「ジュラシック・パーク」はカオス理論、「タイム・ライン」は量子論、「プレイ」はナノテクノロジー、「恐怖の存在」は地球温暖化に関する知識を与えてくれた。
新しい知識を与えるというのは書物の重要な役割だろう。

しかしながら、小説にとって最も重要なのは、現実逃避させるということではないだろうか。ヴォネガットの「猫のゆりかご」読んで思ったのです。現実はあまりにもドロドロしている。小説は読者を、そのドロドロした現実から解放するのだ。ドロドロした現実を離れて、夢の世界へ入り込む。そうすることで、今日も一日生きてゆけるのだ。
小説は生きるエネルギーを読者に与える。そうでなければならない、と私は思う。

つまり、振動エネルギーなのです。小説を読むことによってなんらかの感情が生まれる。感情は脳内物質であり、心の振動である。心の振動数を高めることによって生きるエネルギーが生まれるのだ。
そういう大儀名文を掲げて、私は小説を書きたいと思う所存で御座います。。

振動エネルギーをあなたに。。

参考文献が山ほど提示されていて、読まなきゃなあ、しんどいなあと思ってます。たとえば、ハイデガー「存在の証明」、ジェラール・ジュネット「物語のディスクール」、ロラン・バルト「テクストの快楽」、サルトル「文学とは何か」などなど。
ただね、ソシュールの「一般言語学講義」を読みきれなかった過去があるので、あまり読める気がしない。ははは。
まあいいやね。文学理論を読んで学ぶ方法の他にも、小説を読んで感覚的に身につけていくという方法もあるだろう。その方が楽しいやん。
でも島田紳助さんはお笑い芸人を細かく分析してたというから、どうなんでしょう。
たしかなことは、良質な入力があれば、良質な出力ができるということ。。

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