54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

おしゃべりなアフリカ人、おとなしい日本人

2005年11月24日 | パラソル
MOTLEY CRUEのライヴのあとずっとモトリーばっかり聴いてます。ライヴと同じ曲順にして蛇回し。本当にねB'zの「CIRCLE OF ROCK」よりよかったですよ。モトリー最高。
モトリークルーのよさはやはり観客が参加できることだろう。「Kick Start My Heart」では「OH!YEAH!」、「RED HOT」では「RED HOT!」というようにほとんどすべての曲が観客が叫ぶようにできている。この点についてはラルクアンシエルのtetsuも「哲学」の中で述べている。testuの曲はポップなのが多いけど、モトリーが好きだったりする。ラルクのライヴの定番曲「SHOUT AT THE DEVIL」はモトリークルーへのリスペクトがあったりするのかもしれない。
観客が叫ぶことによってライヴに参加していく。ライヴは大きな音で振動を起こし振動エネルギーを生むが、さらに自らが叫ぶことによって外部からだけでなく内部から振動を起こすことによってさらに振動エネルギーが高まる。だからモトリークルーのライヴは気持ちいいし、クレイジーになっていく。だから最高!なのだ。
B'zのライヴも観客が参加できる曲がたくさんある。「juice」では「Baby it's all right!」、「ultra soul」ではウルトラソウル!のあとの「Hi!!」などなど。しかしモトリーの場合はすべての曲が観客参加型という点で圧倒している。こんなバンドはなかなかないのではないだろうか。モトリークルーは最高のライヴバンドであるといえる。

さて話は変わるが、日本人はわりと静かな民族である。男は黙ってなんちゃら。アフリカ人や南アメリカ人は陽気な感じがする。その民族性はどこから来るのか。
「言語」である。母国語がその国の民族性を決めているのではないだろうか。振動エネルギー論の「発声による振動エネルギー」ではよくしゃべる人はよくしゃべるということを書いたが、それである。
日本語というのはあまり早口には向いていないだろう。音楽の歌詞をみるとわかるが、英語の歌に日本語を当てようとしてもうまくいかないことがある。ガンズやエアロスミスの曲は早口だから日本人の私はとても歌えない。これは日本語の欠点であろう。早口に向かない言語、だからあまりしゃべらない。よってあまりしゃべらないという国民性が生まれる。
アフリカ人が陽気なのはその母国語が早口にできているからだろう。アフリカ語を聞いたことはないが、ボビー・オロゴンやオスマン・サンコンのしゃべり方を聞けばその早口さはわかるだろう。南米も同様で、ジーコやラモスのポルトガル語は早口だなとか思うわけである。早口な言語だからよくしゃべる、そういう国民性になる。
起源を辿っていくと、早口な性格が早口な言語を生んだのか、たまたま早口な言語が生まれてそれによって早口な性格になったのか、どちらなのだろうか。時代は変わり現在の日本では女はよくしゃべる。室町時代の女性はそれはそれはおっとりしていただろうに。グローバル化の波によって英語が入ってきたためであろうか。日本語は早口な性格に変わってきている。HIPHOPでは日本語が早口に歌われている。これから日本は陽気な民族になるかもしれない。これは言語が性格を変えたのか、性格が言語を変えたのか。

モトリークルーのライヴ以降、モトリークルーの曲ばかり聴いて、歌っていた。歌っていると日本人の私からアメリカ人的な私にモードが切り替わる。なんだかテンションが上がってくる。そして暴力的な気分になる。そんなことからはじまり、言語が性格に影響を与えるのではないかという仮説が生まれ、おそらくそうなのだろうと。
宇多田ヒカルをみてもらいたい。彼女は英語環境で育ったために早口な性格になっている。彼女の日本語は早口である。
言語は性格に影響を与える。