昨夜、晩酌を終えてベッドでウトウトしていたら「ドラゴンズ、高木元監督が急逝」という速報が画面に流れました。
高木さんがドラゴンズに入団したのは、じいちゃんが5歳の1960年です。
小学校、中学校、高校とドラキチだったじいちゃんの子供時代~青春時代には、常にドラのセカンド、トップバッターの高木さんがいました。
サッカーに夢中だった学生時代でも、その堅実な守備と確実なバッティングを見せる素晴らしいプロ野球選手として、いちファンとして注目していました。
そして、常勝ジャイアンツをけ破って、ドラ20年ぶりの優勝を果たしたあの1974年…。
じいちゃんは19歳になり浪人生活を送っていましたが、予備校のクラスメイト4・5人と一緒に栄で行われた優勝パレードで「バンザイ」と何度も叫んでいたことを思い出します。
真っ暗な浪人生活の中で、唯一大声で喜びを現した一時でもありました。
死因は急性心不全だったということで、まだまだドラゴンズの若手選手たちにアドバイスを送って欲しかったのに残念です。
二度の監督時代に優勝はできませんでしたが、ドラキチの思い出の中にはあの「10・8DG決戦」が強く印象に残っていることでしょう。
同率首位で迎えたリーグ最終戦の優勝決定戦?では、残念ながら涙をのむことになりましたが、今も語り継がれるゲームでした。
ドラゴンズの現役選手も、高木さんの残した言葉を胸に刻んでこれから始まるトレーニングに生かし、今年こそ優勝できるチームになって欲しいと思います。
高木さん、本当にたくさんの思い出をありがとうございました。
合掌
高木さんがドラゴンズに入団したのは、じいちゃんが5歳の1960年です。
小学校、中学校、高校とドラキチだったじいちゃんの子供時代~青春時代には、常にドラのセカンド、トップバッターの高木さんがいました。
サッカーに夢中だった学生時代でも、その堅実な守備と確実なバッティングを見せる素晴らしいプロ野球選手として、いちファンとして注目していました。
そして、常勝ジャイアンツをけ破って、ドラ20年ぶりの優勝を果たしたあの1974年…。
じいちゃんは19歳になり浪人生活を送っていましたが、予備校のクラスメイト4・5人と一緒に栄で行われた優勝パレードで「バンザイ」と何度も叫んでいたことを思い出します。
真っ暗な浪人生活の中で、唯一大声で喜びを現した一時でもありました。
死因は急性心不全だったということで、まだまだドラゴンズの若手選手たちにアドバイスを送って欲しかったのに残念です。
二度の監督時代に優勝はできませんでしたが、ドラキチの思い出の中にはあの「10・8DG決戦」が強く印象に残っていることでしょう。
同率首位で迎えたリーグ最終戦の優勝決定戦?では、残念ながら涙をのむことになりましたが、今も語り継がれるゲームでした。
ドラゴンズの現役選手も、高木さんの残した言葉を胸に刻んでこれから始まるトレーニングに生かし、今年こそ優勝できるチームになって欲しいと思います。
高木さん、本当にたくさんの思い出をありがとうございました。
合掌
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