ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(ニュー・アルバム考)

2015-09-05 23:19:11 | babymetal
あまり話題にはなっていないようだが、「BABYMETAL talk to Ticketmaster backstage at Reading Festival 2015」のインタビュー動画での、MOAMETALの発言が、感涙ものだった。
ジューダス・プリーストから「STAY METAL」という言葉をかけてもらった、という発言だ。
状況もニュアンスもわからないから、期待をこめた熱い言葉としてもらったのか、単に社交辞令としてかけてもらったのかはわからないが、「STAY」ということは、自分たちと同じメタルにBABYMETALがいることをジューダス・プリースト(ロブかどうかは不明)が認めている、という言葉である。

もちろん、BABYMETALはヘヴィ・メタルである。そんなことはわかりきったことだ。だからこそ、僕(たち)はこんなにも魅せられ、時間があれば僕はこうして文章を書き連ねてもいるのだ。今さら、大御所のお墨付きが必要、なんてことなど全くない。

それでも、実際に、”あの”ジューダス・プリーストが、いわば「同胞」としての言葉を3姫にかけてくれた、という事実、これは何とも感慨深いものがある。
MOAMETALは続けて、「これからも私たちはこのメタルを続けていきたいと思いました。」と言い、SU-METALの「…5年後には…」という発言へと続く(こちらは多くの人が取り上げている)のだが、さて、今後5年間の「STAY METAL」の内実は、と考えると、何とも謎めいていてワクワクさせられるのだ。

レディング・リーズ・フェス出演の結果は、(ある意味で、もはやそれがいつものことだ、というのがファンの実感でもあろうが)僕たちの予想・心配・期待をはるかに超える、「なんじゃこりゃ!」であった。
9万人の集客って!?
どうなっているのか、本当によくわからない。とんでもないことが起こったのだ。

で、そうした「なんじゃこりゃ!」を「ニュー・アルバム」に敷衍して考えてみる、というのが、今回のテーマである。

5年後、BABYMETALは何枚のアルバムを発表しているだろうか?

何と、相変わらず『BABYMETAL』1枚だけ(つまり、今後5年間「ニュー・アルバム」リリースはナシ)、ということもある、のではないか。


ただし、もちろん、作品のリリースはある。海外のレコード会社との契約等もあるだろうし。どしどし出す、のだ。
しかし、それは、ライヴ盤や映像盤であり、スタジオ盤『BABYMETAL』に少しずつ新曲が足されたりはするが、5年後にもまだ正規スタジオ盤としては1stの聖典『BABYMETAL』があるのみ、ということもあるのではないか、と僕は今思っている。
あるいは、2年後の、神バンド演奏&少し大人っぽい声になった3姫による、新曲数曲を足した再録版のリリースとか。

もちろん、そんなことはあるはずはない。

しかし、(漫画や映画を超えた)あるはずがないストーリーを次々と実現してきたBABYMETALにとって、あるはずがないことを実行(実現)することは、ありうる(実際にあった)ことなのだ。
最近の回で触れたが、「新春キツネ祭り」のライヴCDリリース、には、その予兆の匂いがするのである。今後も、(5年間!)こうしたリリースが続くのではないか、と。

これは、単にありうる可能性の想像ではなく、BABYMETALというユニットの特異性からくる、ある種の必然をめぐる考察でもある。

つまり、”ヘヴィメタル・バンド”と”メタル・ダンス・ユニット”とにおける「ニュー・アルバム」の意味の違い、
さらに突き詰めれば、
”メタル・ダンス・ユニット”BABYMETALにおける「アルバム」とは何か?という問題(他のバンドにはありえない、オンリーワンの問題)だ

映像盤「Red Night」冒頭で、KOBAMETALは、次のように宣言する。

「…漆黒の闇が紅に染まる時、キツネ様はBABYMETALに更なるパワーを与えるため、メタルの神バンドを降臨させるのである。
ギターの神。ベースの神。ドラムの神。
最強のメタル楽団は、キツネ様より与えられし大教典、”BABYMETAL”に記された”鋼鉄の調べ”を、ひとたび音が鳴り出した瞬間から止まること無く、まるで組曲のごとく奏で続けるのだ。
すなわち、MCもなければ、アンコールも無い。…」


「天下一メタル武道会」は、今年の幕張でも「巨大天下一メタル武道会」として開催されたが、それは、いわば、いちばんシンプルなBABYMETALのステージ、紙芝居等の演出を極力省いた、歌と舞踊と演奏とのみでライヴ全てを構成する、というものだ。

逆に言えば、(少なくとも日本のライヴでは)それ以前は、(フェス等は除いて)紙芝居やカヴァー曲や、といった、数々の演出によってステージが構成されていたのであり、骨バンド時代にはそうした「仕掛け」が必要だった、ということだ。

それが、この「Red Night」「Black Night」をいわば通過儀礼として、神バンドの超絶演奏を従えた歌と「演」奏のみ(もちろん、ライティングや昇り舞台などの舞台装置はあるのだが)によって、観客の狂乱を引き起こすことができる、その確信が持てるようになった、それが現実の常態になった、ということだろう。

そして、そこで演じられる”(鋼鉄の)調べ”とは、アルバム『BABYMETAL』全て(+新曲数曲)、である。

他のバンドならば、ライヴでの<アルバム完全再現>が画期的な企画になりうるが、”メタルダンスユニット”BABYMETALでは、(曲順の違いはあれ)いわばほぼ全てのライヴでいつも<アルバム完全再現>を行っているのだ。これは以前にも書いたが、BABYMETALの「アルバム」を考える上で、常に念頭においておくべきことだ。

これは、単に「量」としてまだ1stアルバム収録の楽曲しかないからそうなっている、というのではなく、本「質」としてまさにこれがBABYMETALだ、ということではないか。

例えば、先日「ニュー・アルバム」が発表されたアイアン・メイデンの現在のライヴでも、「Aces High」「Hallowed Be Thy Name」といった定番曲が演奏されないということはまずないはずだ。数多くのアルバムの数多くの楽曲の中でも、そのバンド(及び観客)にとって欠かせないいわばそのバンドのアイデンティティとも言える楽曲群がある

BABYMETALにとって、現状のレパートリーであるアルバム『BABYMETAL』の”(鋼鉄の)調べ”群(及び、「Road of Resistance」と最近では「あわだまフィーバー」、”新たな調べ「違う」”)は、<少ない持ち曲>ではなく、ぜひ観たい・聞きたい、BABYMETALのアイデンティティというべき<定番曲>なのである

いわば、アルバム『BABYMETAL』とは、その名の通り、BABYMETALそのものなのだ。だから、5年後に、その中の楽曲、例えば、「メギツネ」をやらない、とか、「ヘドバンギャー!!」をやらないとか、いうことは、考えられない(考えたくない)のだ。

ニューアルバムがありえない、という根拠を、単純に二分化すれば、次のようになる。

a.フルレンスのニューアルバムは、「演」奏できないということ(必要条件)。
b.ニューアルバムなしで、観客が満足するということ(十分条件)。


a.について言えば、”メタルダンスユニット”の肉体・体力的な限界であり、さらには、”観客をノセる”ことを第一義にしているBABYMETALのステージの質が招く、量的な限界、である。

10曲増えて、ライヴが2時間50分になり、僕たち観客が25曲をぞんぶんに堪能できるのならばともかく、それは肉体的に不可能である。
まず、演者のBABYMETALの3姫の(いくら「モンスター」であっても)体力が持たない。これは、”バンド”ではなく、身を削り、命を削って一瞬一瞬「演」奏し続ける”ダンス・ユニット”だからこその限界である。
さらに、それ以上に、観客が体力的に無理だ(これは、ライヴ体験者ならば身をもってわかっている)。本当に、死者が出る。
家で、映像を鑑賞しているのならば、何時間でもぶっ続けに観ていられるが、BABYMETALの本領であるライヴは、そんなものではない、とんでもないものなのだから。
(大変下品なたとえで申し訳ないが、「腹上死」者続出、というイメージがかなり近いかもしれない)

b.について言えば、BABYMETALのステージのとんでもない、カッコよさ、美しさ、激しさ、それらの総体としての楽しさ。それは、「いつも曲目が一緒だから、もう飽きたよ…」などといわせないものだ。
さらに、これからますますライヴに参加できる機会は少なくなる(抽選に当たる確率は低くなる)だろうから、5年後にも「ライヴに行きたい!」という吸引力を失っているなんてことはないはずだ。もちろん、何パーセントかの「飽きた」というファンは出るだろう。しかし、それ以上に、「一度でいいから(伝説の!)BABYMETALのライヴに参加してみたい」というファンが増えてゆくことは(現状では)疑いない。

それに、「成長」だ。
これも、楽器を弾く”バンド”ではなく、自らの身体で舞踊する”ダンス・ユニット”だからこそ、観客の僕たちがありありと感じることのできる、まさに他のヘヴィメタルバンドにはない、BABYMETAL独自のものだ。(もちろん、3姫の実年齢、まさに”BABY METAL”から来るものでもある)。

(どの”調べ”でもよいのだが)例えば、「おねだり大作戦」
最初期の映像作品である「LEGEND I」と、「新春キツネ祭り」とでは、これは全く別物、といってもよいほどの印象の違いがある
たどたどしく、楽曲を・振り付けをなぞる(と、これは、現在の「演」奏と比較しての後づけの評価であり、初めて観て以来今までずっと、これが「おねだり大作戦」なのだ、と魅せられ続けてきたのではあるが)という印象の「LEGEND I」のYUI・MOAの「演」奏は、だからこそある種の背徳感さえ漂う妖しい魅力のあるものだが、最新の映像盤「新春キツネ祭り」の「演」奏は、まったく別次元の高みに到達した、颯爽としたカッコよさを堪能できる。天上からのカメラ・アングルの所為もあって、YUI・MOAの舞踊のスピードを堪能できるし、「説教するなら金をくれ」のところでのMOAMETALの変顔は、この”調べ”をすっかり我が物にした余裕のカッコよささえ感じることができる
YUI・MOAの成長によってこの”調べ”が「演」じられなくなるのでは、という見解も時々目にするが、僕はむしろ、5年後の20歳を越えたYUI・MOAの「演」じる「おねだり大作戦」とは、どんな魅力を発散するものなのか、楽しみで仕方がない。

同様に、5年後の3姫の「演」奏は、どの”調べ”においても同じ”調べ”でも全く別の輝きをもった舞踊=「演」奏として、観客を魅了することは疑いようがない。

というようなことを考えてみると、BABYMETALのニュー・アルバムはありえない(無理だし、必要ない)、などという「なんじゃ、そりゃ!」という結論になるのである。

まあ、こんなことを書きながら僕も、「ニュー・アルバム」を来年の2月くらいには!、なんて思って、楽しみにしているのではある。もちろん。

でも、ニューアルバムなんて出ないまま、4月のウェンブリーを迎え、その映像作品のリリースをまたまたワクワクしながら待つ、というのが、BABYMETALの”らしい”楽しみ方のような気がする。
そこまで行けば、「STAY METAL」のBABYMETALの他に類を見ない独自の(空前絶後の)ありようというのが、よりくっきりと見えてくる、そんな気もするのだ。
さながら(というか、まさに)、「STAY BABYMETAL」なのか。


2 コメント

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Unknown (ひすのしぷ)
2015-09-06 07:21:13
はじめまして。

理路整然とした文章で抱いている恐れに説得力を付け加えられるのは、多少辛い。
たしかに、ニューアルバムができたとして、BABYMETALは現在の演目13曲+十数曲をライブで演奏できるだろうか?実現は非常に厳しいと言わざるを得ない。
そして、ワンマンフルライブの現在の演目から外していい曲はあるだろうか?いや、ない。キンキラリーンと叫ぶことができないなんて、お願いだやめてくれ。
それでも、そうと分かっていても、狭量で支離滅裂な心は、「ファーストアルバムだけなのはよいけど、セカンド以降がないのは困る」などという非合理的な恐れを抱く。

ふと、恋をしたときに理性が溶け出した感覚を思い出した。
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セカンドアルバム (Kami-metal)
2015-09-07 11:16:26
セカンドアルバムのタイトルはSTAY METALで
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