ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「なぜ泣いてしまうのか?」考・補遺)

2015-07-17 09:25:16 | babymetal
前回の「なぜ泣いてしまうのか?」考をまとめてから、まだ数日しか経っていないのだが、例えば『LIVE IN LONDON』の映像作品を観ながらいくつもの箇所で涙ぐんでしまい、「さあ、これは1~8のどの要素だ?」と問いかけても答えられない自分がいることに気づく。
つまり、(精一杯考えたつもりだったのだが)、前回の探究はまだまだ不十分だったのだ。

ここで慌てて付け足しても、十分な探究にはならないだろうが、現段階で気づいた「なぜ泣いてしまうのか?」についての考察の補遺を、(忘れないうちに)しておきたい。

それにしても、あんな文章を書いたので、映像作品を観ても少しは興が醒めてしまうのかな、とも思っていたのだが、(いつものように)仕事帰りの電車の中でパソコンを広げて、例えば『LIVE IN LONDON』を観はじめると、今まで以上に涙腺が刺激されるのである。
BABYMETAL、恐るべし!
その奥深い魅力は、僕などの生半可な分析などにはびくともしない深さ・強さを持っているのだ。


前回、8つ挙げたので、その9から感涙ポイントをいくつか挙げてみる。(もちろん、1~8が間違っていたわけではない…はずだ)。
9以下も、1~8と大きく絡み合い重なり合っている。

9.儚さ(?)。
10.圧倒的な情報量。
11.表情の変化→感情の揺さぶり。
12.セットリスト→感情の揺さぶり。
13.SU-METALの、見た目・存在の、神々しさ。
14.MIKIKOMETALの振り付けのすごさ。
15.デロリアン効果。

9.儚さ(?)。について。
(?)をつけたのは、僕自身はまったくそういう思いを持たないからである。
現段階で、そんな涙を流す人がいるのだろうか?とさえ思ってしまう。

過去の映像作品、とりわけ「LEGEND Z」(まで)を観ていると、儚さを感じて涙が出てくる、というのは、わかりすぎるくらいわかる。
完全に後追いにファンになり、あの時には解散なんてしなかった、ってわかっている現在の僕までもが、終盤に近づくと胸が詰まる思いがしてくるのだ。
あの、残り時間が「00:00:00」になり「BABYMETAL」のロゴが崩壊する紙芝居の後の、場内の明転、って、気の小さな人なら卒倒する演出ではないか。あの場に生で参加された方って、今後の続行を正式には知らず、「ひょっとしたらこれで終わり?」という精神状態だったのだろうか。だとすれば、あのライヴの終盤→アンコール→崩壊→復活の流れは、もう滂沱の涙、どころか、失禁もの、という気がするが。

しかし、中元すず香=SU-METALがさくら学院を卒業してもBABYMETALは継続する、と正式に決定・発表されてからは、「いつ解散するのか?=儚い」という属性が前景化することはなく、むしろ、日本代表、なんて言葉が決して大袈裟ではないほどの、「たくましさ」を感じさせるユニットへと成長しつつある。
それでも、いまだに、「いつ解散?」みたいな話題で盛り上がるのは、多くのファンの胸中にBABYMETALは歳をとったらBABYMETALではありえない、という思いがあるからだろうか。
そう言われればそうかもしれない、と、僕も思わないでもないが、しかし、BABYMETALのパフォーマンスを観ていて、いま、儚い、なんて感じる人はいないんじゃないかな、という思いの方がずっと強い。
もちろんいつかは解散するのだろうが、例えばプロ野球の大谷翔平の活躍を見ながら「彼もいつか引退するんだろうな」なんて誰も考えたりしないように、今のBABYMETALにはそういう感情をもたせる隙はないはずだ。
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を初め、初期の「少女性」が魅力だった楽曲の「演」奏も、彼女たちの(実年齢の&ステージ上での)成長によって、よりダイナミックな、音楽性・演劇性の(超絶に)高いパフォーマンスを見せるものへと変化している。
なのだから、4①成長、を感じての涙はあったとしても、もはや9.儚さ、では泣かない、というのが僕の感覚である。
(もちろん、感覚は人それぞれだから、今でも儚さを感じて泣く、という人を否定するつもりは全くない)。

10.圧倒的な情報量。について。
ひとことで言えば、「いろんな意味で凄すぎて涙が出てくる」のだ、BABYMETALは。
一つ一つの質の高さについての謂が、前回の1~3であり、この後の11~14であるのだが、僕たちおっさんがBABYMETALに涙を流してしまうのは、彼女たちのパフォーマンスの圧倒的な情報「量」による、ことも事実だろう。
いわば、僕たちがBABYMETALを観ていると、(あっという間に)ほとんど飽和状態、沸騰寸前にまで心身状態が高まってしまうのだ。
爆音の超絶技巧による楽器演奏が魅力的な楽曲をつぎからつぎへと奏でる、それが耳から入り僕たちの身体をゆり動かす。その上を、SU-METALの倍音バズーカの歌声が舞い、目からは、YUI・MOAの扇情的な舞踊が突き刺さって来る。その、僕たちの感覚を・ハートを震わせる情報の質と量の奔流!
実際に涙を流すきっかけが、ある1曲の、あるフレーズの歌声だったり、ある仕種だったりするにせよ、それまでに僕たちの心身が多量の刺激によって高められているから、そうなるのだ。
ヘヴィメタルであること。超絶にカワイイアイドルであること。その情報量の掛け算の嵩が、僕たちを半ば狂わせるのである。

11.表情の変化→感情の揺さぶり。について。
ミラーニューロンについては以前にも触れたことがあるが、僕たちは他人の微笑を見ると自分の脳の微笑に関する神経が発火し微笑む筋肉が刺激される、他人のあくびを見ると自分があくびするときの神経・筋肉が活性化する、のだ。
とりわけYUI・MOA2人の、一曲の中でもくるくる変化するその表情に対しては、僕たちは単なる観客ではなく、それにつられて自らもそのように表情を動かし感情を震わせているのだ。例えば、MOAMETALの微笑は、それそのもので僕たちおっさんを泣かせるものではなくても、それによって確実に(物理的・生理的・心理的に)僕たちの感情は・神経は・筋肉は揺り動かされ、常に閾値近くにまで高まっているのである。あとはほんのわずかな刺激で、涙腺崩壊する、のだ。
『LIVE IN LONDON』の、とりわけFORUM版は、この、表情の変化→感情の揺さぶりの「凶悪さ」が堪能できる。2曲目の「いいね!」だけでも、どれだけの表情の変化→感情の揺さぶりがあることか。

12.セットリスト→感情の揺さぶり。について。
一曲一曲の素晴らしさが僕たちの感情を揺さぶるだけではなく、曲と曲とのつながり・組み合わせによってそれが増幅されることがありうる。もちろん、これはどんなバンドでもそうなのだが、BABYMETALの場合、それがいっそう「凶悪」である。
例えば、『LIVE IN LONDON』のFORUM版であれば、
悪夢の輪舞曲→おねだり大作戦→Catch me if you can→紅月→4の歌
あたりの曲のつながり・組み合わせによって喚起される僕たちの感情の起伏、これはなかなか凄いものがある。
SU-METALのソロ、BLACK BABYMETALのデュオ、真ん中のCMIYCの冒頭は神バンドの超絶ソロの掛け合いでもある。強弱、硬軟の大きな波・たゆたいによる催眠術のようなもので、映像から目を耳を離すことができない。
にしても、紅月→4の歌、って!
BRIXTON版では、おねだりと4の歌の前後が入れ替わるかたちであったし、他の映像作品ではまた大きく順序が異なる。このセットリスト効果だけでも、いろいろと深く探究しがいがあるテーマだ。

今ふと思ったのだが(すでにどなたかがどこかで指摘されているだろうが)、アルバム『BABYMETAL』通りのセットリストは、今までなかった、はずだ。
アルバムは、「BABYMETAL DEATH」 ではじまり、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で終わるのだから、ライヴでもこの曲順にしてもよさそう(今なら、最後にRoRを加える)なのに、そうしないのは、それでは観客の興奮がそがれてしまうからだろう。
アルバム丸ごと再現のライヴ、というのがいろんなバンドで、時々行われるが、BABYMETALの場合は、ほとんど毎回アルバム収録の全ての楽曲を演奏しているのだから、そうした営みはインパクトを持たないし、むしろ、例えば、ああ次はウキミか、とわかってしまうのは興を削いでしまう。
わずか15曲ほどしかレパートリーがないからこそ、その組合せの妙に心血がそそがれ、結果として観客の感情を揺さぶる魔術が発生する、というのは、俳句にも似ている、と言えるかもしれない。限られているからの、組み合わせによる、豊かさの醸成、その魔術、だ。

13.SU-METALの、見た目・存在の、神々しさ。について。
前回触れた7.(圧倒的な)美しさ、とも重なるが、この13.は単純にSU-METALそのものの神々しさにおっさんは涙するという事実がある、ということである。
参加した先日の幕張ライヴでは、Cブロックの後方でステージはほとんど見えず、もっぱらモニターを見ながらはしゃいでいたのだが、唯一、「悪夢の輪舞曲」では、せりあがったSU-METALを肉眼で見ることができた。豆粒のようというよりも、100m先のミクロマン人形を眺めるよう、だったのだが、その神々しさ、といったら!
ライティング効果もあったのだろうが、オーラが出ているというよりも、存在そのものが光を発している、と感じたのだ(…って、やっぱりライティング効果なのかな)。
「紅月」のマント姿なんて、下手すればギャグであろう。YUIMETAL・MOAMETALでさえ、マント姿はさすがにありえない。ところが「リアルあずみ」と称される(ホントに似ている!)SU-METALのマント姿は、ただひたすら凛々しく美しい。そして、静かな激情を秘めたその表情。天賦の声だけではなく、立ち姿・表情だけでおっさん達を泣かせてしまう。いや、ほんと、よくぞこんな娘が出てきたものだ。

14.MIKIKOMETALの振り付けのすごさ。について。
振り付けを見て泣く、とは、どういうことなのか?
でも、実は、これはBABYMETALにおける必然でもある。
このことも、幕張に向かう車中での回に書いたが、結局、ライヴの観客(敷衍すれば、映像作品の視聴者)がいかに盛り上がるか、いかにノるか、そのことを目的においてBABYMETALの振り付けが構成されている、ということだ。
それが、YUI・MOAの舞踊がヘヴィメタルの「演」奏である、ということの核心でもあった。まあ、泣く、まで至るかどうかはひとそれぞれだが、YUI・MOAの舞踊によって観ている僕たちの感情が鼓舞されていることは疑いない。

泣ける振り付けの筆頭は、何といっても「駄々っ子ヘドバン」だ。電車内で映像を観ている時も、これはやばい、と思って、あえてぼーっと眺める時さえある。ありえない想定だが、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の振り付けにこれがなかったら、もっとBABYMETALに対しては冷静でいられたはずだ。
でも、そうしたレベルの振り付けは、どの曲にもある。一般的なバンドにおける印象的なギターのリフやソロにも相当するYUI・MOAの舞踊は、単純に「このソロに泣く」「このリフに鳥肌が立つ」というレベルで語るべきものだ
「ヘドバンギャー!!」は、そうしたリフ・ソロが満載であるし(泣ける!)、「メギツネ」の終わりの扇風機ヘドバン(泣ける!)、「4の歌」のすべて(おっさんたちすべてが破顔!)。挙げていけばキリがない。

ああ、そうか。だから、洋楽ファンが嵌まるのだ、という側面もあるのだろうな、と、今改めて気づいた。ロックやジャズやの、ソロやリフを楽しむというのは、たぶん邦楽よりも洋楽寄りの楽しみ方だろうし、そうした感性・嗜好に、MIKIKOMETALの振り付けは確実に訴えかけてくるのだ。

15.デロリアン効果。について。
ワールドツアーの、様々なフェスや、授賞式等でBABYMETALの3姫が撮った「ズッ友」写真。とりわけ、ブライアン・メイとの「ズッ友」写真には思わず涙が出てきたのだが、これはどういう涙なのか?
4②快挙、にも近いようだが、しかし、「ズッ友」写真なんて、きちんと頼めば写ってくれるだろう(違うのかな?)から、僕は、快挙に涙しているのではないはずだ。
じゃあ、なぜ?と考えると、それは、「デロリアン効果」とでも呼ぶべきものではないか、と思うのだ。
この場合のデロリアンとは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の自動車型タイムマシンである。(もちろん、わざわざこの名前を拝借するのは、中元すず香の逸話にちなんでのことだ。)
BABYMETALの、メタルやロック界の面々との「ズッ友」写真とは、いわば、過去と現在との邂逅だ。過去の記録映画の中に今を生きる3姫がいる、あるいは逆に、過去の記憶の中の重要人物が、今を生き生きと生きる3姫の時空間のなかに登場した、という、だまし絵にも似た驚き。その「ありえなさ」に対する涙だ、というのが僕の実感にいちばん近い。
これがBABYMETALの「デロリアン効果」だ。
だから、メタル界隈ではなく、予想もしていなかったブライアン・メイとの「ズッ友」写真がその衝撃度が大きく、涙が出てきたのだろう。
そして、3人と写るおじさん・おじいさんたちの誰もが、実に嬉しそうな笑顔を見せている(ように見える)のにも感激する。これは、4②快挙への感動と言ってよいだろう。「そうだろ、我らがBABYMETALは、○○○まで笑顔にしてしまうんだぜ」という誇らしさ・嬉しさ、だ。また、前回の最後に挙げた、8.絶対的な肯定性、でもあろう。
洋楽ファンがBABYMETALに嵌まる、というのには、このデロリアン効果によるところも大きいのかもしれない。「自分の過去=洋楽」と「今=日本人アイドル」とのありえない邂逅、その衝撃。

そして、「ズッ友」写真に限らず、僕は、BABYMETALの、例えば音盤を聴きながら、ふと、「これは本当なのか?」というような思い(それほど明確な言葉にはならなくても)に襲われることがよくある。現在進行形の今、本当にBABYMETALという日本人女子高生3人のユニットが、ヘヴィメタルを軸にした音楽界で世界を席巻している、ということへの、信じられなさ、大仰に言えば「奇跡」を改めて噛み締めて味わう瞬間がよくあるのだ。涙ぐみながら。
これは4②快挙への涙、でもありながら、自分が30年以上聴いてきたこのヘヴィメタルに、という思いを重視するならば、15.デロリアン効果、という別のネーミングをすべきだ、と思うのである。
BABYMETALは、おっさんたちの今現在を刺激的に楽しませてくれるだけではなく、おっさんたちが長年聴きつづけてきたヘヴィメタルの(ロックの、洋楽の)過去の蓄積をも刷新する、新たな色で塗り直してくれるのだ。
とりわけ、おっさんがBABYMETALに泣いてしまうのには、この「デロリアン効果」が大きく影響しているのかもしれない。その象徴が、「ズッ友」写真に湧き出る涙、なのかもしれない。


と、こうやって、つらつら書き並べていくと、結局、今までこのブログに書き連ねてきたことの総まとめみたいになってしまう。やはり、BABYMETALを探究する、ということは、「なぜ泣いてしまうのか?」を探究することと、ほぼ同値であるのだろう。
つまり、おっさんが泣いてしまうということがBABYMETALの音楽性・演劇性・芸術性…等々の核心の、端的なあらわれなのだ。