静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

同じ言葉でも

2012-06-22 12:48:57 | Weblog
 朝、起きてきた姑が、嫁に言った。
"私は今から○○さん宅へ行ってこようと
思うの"
"それはお母さん、ご苦労さまですね。
何かお手伝いしましょうか"
 イソイソと嫁は、姑の身支度をしながら
思っている。
"朝も晩も、一番早く起き一番遅く寝ている
のが私だから、主人は四時すぎねば帰らない
し、姑も夕方になるに決っている。
 今日こそ一人で鬼のいない間の洗濯だ、
ゆっくり寝てやろう"
"では気をつけてお母さん、早くお帰り下
さい"
 姑を見送り表戸を閉め、
"ヤレヤレ、早く寝よう"
と、ふとんを敷いて横になろうとした時、
玄関戸が鳴った。
"しまった。忘れ物をした姑が戻ってきたに
違いない"
 ふとんを畳んで押入に収めようとした時、
後の襖がすーっと開いた。
 押入に頭を突込んだまま、気まり悪さに
嫁は頭が上らぬ。
"花子、そこでお前、何しているの"
 久し振りに娘を訪ねた里の母の声に、
嫁はびっくり、ほっとして、こう叫んだという。
"お母さんかと思ったら、お母さんだったの"


という話がある。

親鸞聖人は、「雑行を捨てて弥陀に救われた」と
おっしゃり、
あちらの人たちも
「雑行を捨てて弥陀に救われた」と言う。

言葉だけ聞く限り、同じに聞こえる。

だが、

親鸞聖人は恩徳讃の大活躍で、生涯、大悲を
伝えられ、
あちらの人たちは、善を捨て、自慢話と悪口の
言いたい放題。

同じ「お母さん」と言ってはいても、出会ったものが
違ったのだろう