静かな劇場 

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真宗界の崩落の歴史(3) 後生の一大事を説かない

2010-05-31 19:48:12 | Weblog
なぜ、今日の浄土真宗において後生の一大事が説かれなくなったのか。このことが仏教の目的を見失わせた、真宗崩落の根本原因と考えられます。
その大事な点について書いてみます。

有名な『白骨の御文章』の最後に、
「だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」
とあります。

ここに「後生の一大事を心にかけよ」とあります。しかも、
「だれの人も」
「はやく」
とありますから、後生の一大事は「万人」の問題であり、しかも、「急げ」と言われる危急の問題なのです。

では、その「後生の一大事」とはどんなことか。
同じく『御文章』で示してみましょう。

「その信心のすがたをも得たる人これなし。かくの如くの輩は、いかでか報土の往生を容易く遂ぐべきや。一大事というは是なり」(1帖目5通)
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」(2帖目2通)

この無間地獄とは何かといえば、『真宗大辞典』によると、
「梵語に阿鼻と云い、釈して無間という。あらゆる地獄の中に於て苦痛が最も激烈なる地獄である」
とある。

ここから、後生の一大事とは、信心獲得しなければ、死んで極楽には往生できず、無間地獄に堕ちることだといえる。そのことは帖外御文にもハッキリと教えられている。

「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

この蓮如上人のご教示どおりに今日、後生の一大事を説くと、〃浄土真宗〃のはずの人たちから、やれカルトだ、マインドコントロールだ、迷信だ、とか一斉に非難攻撃される目に遭う。

蓮如上人の時代から江戸時代にかけては、後生の一大事を、死んで地獄へ堕ちることだと言って、真宗の人々から非難されることはまずなかったはずである。それがなぜ今日、こんなにも違った教えになってしまったのだろうか。

そのいくつかの要因を挙げてみたい。

1つには、明治期にドッと日本へ流れ込んできた西洋の科学思想や哲学の影響
2つには、キリスト教の影響
3つには、明治政府が、天皇を中心とした強い統一国家を目指し、日本神道を国民に徹底したこと

上記の影響から、仏教の根幹たる三世因果の道理は次第に説かれなくなり、三世因果を説かなければ後生を問題とする者もいなくなり、仏教本来の目的は完全に抜け、「善悪にとらわれない」とか「優越感や劣等感の間で悩まない」とか、まるで現世の「生き方」訓話みたいな教えに変質していくのである。

その「本道」を逸脱し、お聖教に忠実ではない〃浄土真宗〃になっていった経緯をここに書いていきたい。(つづく)