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He who laughs last laughs best

新しい時代へ チェスト行け!

2019-07-07 23:07:07 | ニュース
新聞記事の全文引用が許されるのかは微妙だが、当該記事が所謂 皇室記事ではなく、「あなたの参議院選」と銘打った政治記事であることに鑑み?勝手な判断で、全文引用させていただくことにした。
実は、鹿児島と宮崎の豪雨を受けて、先月ワンコに勧めてもらいながら読まないままになっていた本を読み、その感想を綴っていたのだが、7日夕方この記事を見つけたからには、記録しないわけにはいかない。
しかも、ワンコが勧めてくれた本の舞台となっているのが、小6の夏の海での遠泳とくれば、この記事のしょっぱなの「私たちは、今上陛下の直系の女性天皇を支持します」の思いを補強するのに、これほど心強いものはない。

「チェスト」(登坂恵里香)

本書は、小学校最後の夏 錦江湾の遠泳を通じて心身共に成長する子どもたちをさわやかに描いた青春ものだ。
主人公・隼人の小学校には、錦江湾4,2キロの遠泳という夏の伝統行事があるのだが、日頃は自顕流の道場で鍛え郷中教育「卑怯はいかん、嘘はつくな」を体現する隼人は、海の男を父に持ちながらカナヅチのため、二年連続で遠泳に参加できないでいた。
そんな隼人が、自らの弱さを克服し仲間と助け合い、「チェスト行け」の声も高らかに4,2キロを泳ぎ切り成長する姿を描いた本書を読めば、思い出される少女がいる。

敬宮愛子内親王殿下だ。

その環境からスイミングスクールに通われることも出来ず、水泳が苦手だという報道は度々あった。
それが、初等科三年の夏休みから御用邸のあるう須崎にお出かけになり、水泳の練習を重ねておられた。
その間 雅子妃殿下のご体調はすぐれないことも多く、ご静養そのものが非難の的になることも多かったが、皇太子様は静かに誠実にご自身の公務に取り組みながら、夏にはご家族で須崎に赴き、須崎の海で敬宮様の水泳指導を自らなさっていた。
本書でも書かれているが、海を泳ぐのは、プールでの水泳とは違う難しさがあるという。
それを、そもそも水泳を苦手とされる敬宮様が毎年海に通ってまで体得しようとされたのは、学習院には沼津湾での遠泳という伝統行事があったからだという。
平成の皇太子ご一家は、人々の努力を横目に脇道をすり抜けるようなズルはなさらない。
苦手なものは何年もかけて訓練し、努力によって目標を達成される。
その姿勢は、スポーツでも楽器でも語学習得でも、同じだ。
高貴なお立場であれば、ご本人が望むと望まざるとに関わらず、特別な配慮がなされることは多い。
だが、個人の努力で習得すべき学問やスポーツなどの世界は、公平で公正であるべきだと私は思う。
ましてそれが高貴なお立場だとしても、お子様であれば尚の事、努力することの大切さを知るため、公正と公平は必要だと思う。
人々と同じように必死に努力するからこそ、努力が実った喜びを知ることもできるし、(公務で出会われる人や行事の)成功の裏にある努力と労力に思いを致すことも、努力ではどうにもならぬ悲しみにも思いを寄せることができるのだと、私は思う。

長く患う母のその病の原因が、東宮の一人子でありながら世継ぎとなれない女の子しか産めなかったことにあると知った少女の心の痛みは、どれほどのものだっただろう。
男児への継承の露払いかのごとく、学校生活どころか命までも脅かされるようなバッシングのなか体調を崩されることもあったが、その度しっかり立ち上がり、学問やスポーツや楽器の習得にとまっとうな努力を重ねてこられた敬宮様。

私が敬宮様にと願うのは、安定的な制度という枠組みは勿論だが、そのお人柄と歩みに次の時代への希望を感じさせていただけるからだ。

そんな思いを抱かせてくれるエピソードの一つが、本書と同じく小6夏の遠泳なのだ。

大きな力を与えてくれた沼津の海   敬宮愛子

 不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
 しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
 迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
 沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています。
「海の如く広い愛と想像の翼」

敬宮様は、本書の小6の生徒たちと同じように、遠泳に向け努力を重ね、友と一つの目標に向け頑張ることや諦めないことの大切さを体得され、又まっとうな努力が報われることによってのみ人としての自信が得られるのだということを経験された。

特別な御立場にあり、想像もつかないような困難な状況に遭われながらも、脇道をゆかず、(ありふれた、しかしそれ故に貴重な)青春小説のような道を当たり前に過ごされる敬宮様にこそ、と心から願っている。




『愛子さまは天皇になれないの?「女性の継承」認めぬ理由』毎日新聞7/7(日) 14:00配信より

「次は愛子さまを天皇に」。今年5月の新天皇の即位をきっかけに、天皇、皇后両陛下の長女・愛子さまへの皇位継承を望む声が出ている。ところが今の皇室の制度では、女性が天皇になることは認められていない。過去には女性もいたが、今なぜ「日本の象徴」である天皇になれないのか。

女性天皇誕生が夢
 「私たちは、今上陛下、皇太子殿下直系の女性天皇を支持します」
 2017年7月、複数の地方紙にこんな意見広告が載った。広告を出したのは、年齢も職業も異なる女性たちがつくった「ゴヨウツツジの会」という民間団体だ。
 共同代表を務める40代の女性弁護士は、愛子さまの母・雅子さまに向けられた非難の声を見聞きするたびに、まるで自分が傷つけられているように感じてきたという。自分も雅子さまと同じ東大出身で、子供は女の子が1人。「男の子を生んでいないというだけで、なぜあんなに責められなければいけないのか。愛子さまが天皇になれなければ、雅子さまのように苦しむ人がまた出てくるのではないか」。意見広告はそんな思いを世の中にぶつけようと、仲間と費用を分担して出したものだった。反響は大きく、当初は数人だった会員は約300人まで増えた。現在は女性天皇の実現を呼びかける電子書籍の出版準備を続けている。
 愛子さまが天皇になるには、法改正が必要だ。皇位継承の決まりごとが書かれた法律「皇室典範」は、天皇になれるのは「男系男子」だけだと定めている。男系男子とは父親、父方のおじいさん、父方のひいおじいさん……と男性だけで系図をさかのぼると、どこかで天皇にたどりつく皇族の男性を指す。今の皇室で皇位継承資格のある秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまはいずれも「男系男子」。一方、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さまは、皇位継承資格のない「男系女子」だ。
 ただ、かつては女性が天皇に即位していた時代もあった。歴代126代の天皇のうち、複数回即位した人を含む10代8人が女性天皇だ。ジャーナリストの田原総一朗氏は「女性天皇が認められなくなったのは明治以降ですよ。当時、天皇は軍のトップの大元帥だったから、軍隊に入れない女性が天皇になるのは問題だ、ということになった。だから、今となっては何の問題もないんです」と話す。
 実際、戦後の日本では天皇が大元帥になる制度は廃止され、性別による差別も憲法で禁止された。
 それでも皇位継承が男系男子に限られているのは、「男性が家を支配し、子は父を敬い、妻は夫に従う」という旧来の価値観が残されているからではないか――。それが、家族のあり方について研究を続けてきた大阪大・牟田和恵教授の見方だ。
 「今の日本社会は『男女平等』が建前だけど、大事な部分はあいかわらず『男性優位』のまま。男性が中心、男性が権威を持つ社会を崩すわけにはいかないと考える人たちが『男系継承』にこだわっているんじゃないでしょうか」
 女性天皇を認めれば、皇位継承資格のある男の子が生まれるかどうかという「お世継ぎ問題」の解決につながるかもしれない。少なくとも、皇族の女性に対する「男児を生まなければいけない」というプレッシャーは和らぐ可能性がある。
 牟田氏は言う。「少子化が進み、跡継ぎが女の子だけという家はすごく増えている。高齢化で働き手も少なくなり、男だけでは立ち行かない社会になっているんです。それなのに『男だけでやっていくんだ』という皇位継承の仕組みは、日本社会の未来を考えるうえでもゆがんでいるように思えるんです」

反対派は「伝統を変えるな」
 女性天皇の誕生を望む人たちがいる一方で、女性への皇位継承を認めるべきではないと訴える人たちもいる。自民党と関係が深く、女性天皇に反対してきた保守派の論客、日本大の百地章名誉教授は「一過性のムード、風潮に流されて伝統を変えるべきではない」と言い切る。
 「これまでに8人の女性天皇がいたのは事実です。でも、皇位を継げる『男系男子』が一時的に見つからなかったので、例外的に天皇になった人ばかり。悠仁さまがいらっしゃる以上、無理に女性天皇を認める必要はないんです」
 百地氏が懸念するのは、女性天皇と民間の男性が結婚し、2人の間に生まれた子供が次の天皇になれば、その子が男でも女でも「女系天皇」になってしまうことだ。「たとえば、女性天皇が民間人の『鈴木さん』と結婚したとします。2人の間にお子さんが生まれたら、その子供は『鈴木さん』の家系に属する方だと見られてしまう。そして、その人が天皇になったら、今とは違う『皇室』になってしまうんです」
 これまでの皇室の歴史で、女性天皇の子供である「女系男子」や「女系女子」が即位した例はない。「男系男子」による皇位継承を原則としてきた理由について、安倍晋三首相のブレーンとして知られる八木秀次・麗沢大教授はこう推測する。「歴代天皇の子孫はたくさんいますが、男系に限ると『一本の細い糸』のように限られてくる。すると『皇位を継ぐのは自分だ』『いや、私だ』と言い出す人は必然的に減り、争いも起きにくくなる。男系継承は、国を安定させるための知恵だったのではないでしょうか」
 だが、男系継承は「お世継ぎ」の男の子が生まれないリスクとも常に背中合わせだ。2006年に悠仁さまが生まれたことで当面の危機は回避されたが、政府内からも「何も手を打たなければ、やがて天皇制はなくなってしまう」という声が上がっている。
 男系継承を維持しながら「お世継ぎ」の問題を解決する方策として、百地氏や八木氏が提唱しているのが「旧宮家の皇族復帰」というアイデアだ。戦後に皇族の身分を離れた「旧宮家」を復帰させ、皇位継承の資格を与えれば、男系男子は現在の3人から「9~10人は増えるはずだ」(自民党の国会議員)という。
 これまでも天皇の直系に後継者がいない場合、別の系統の男系男子が即位した例はあった。百地氏は「皇位継承の危機に備えるために『宮家』があったのです。改めて歴史の知恵に学び、旧宮家の若い人たちを皇族に復帰させるべきではないでしょうか」と話す。
 天皇が「日本国民統合の象徴」であるために
 憲法1条は、天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基づく」と定めている。田原氏は「戦後、国民が主権を持つようになると、天皇は『国民に受け入れてもらわなければ』と考えるようになった」と指摘し「国民のほとんどは女性天皇・女系天皇に賛成でしょ。女性天皇を認めれば、国民は今以上に皇室を支持するようになると思う」と話す。
 これに対して、女性天皇に消極的な立場からは「男系でつながってきた天皇がいたからこそ、今の日本がある。伝統を守らなかったとき、日本がどんな社会になるのか分からないんです。『男系男子』で皇位を受け継ぐ方法があるなら、続けた方がいい」(八木氏)という声が上がる。
 女性天皇の是非を巡る対立が深まれば、「日本国民統合の象徴」という天皇の地位にも影響しかねない。賛成派、反対派ともに「できるだけ早く議論を本格化させたい」という点では一致している。令和の時代を生きる日本人にとって、女性天皇の問題は避けて通れないテーマとなっている。【中川聡子、青木純】

今年もプチトマト愛子さまは、健やかに育っている
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