何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

たゆたえども沈まず Fluctuat nec mergitur

2019-04-16 19:36:25 | ニュース
「Fluctuat nec mergitur ①」 「Fluctuat nec mergitur ②」
Notre-Dame de Paris : les images de l’incendie

パリ市の紋章に、ラテン語で記されている ”Fluctuat nec mergitur“(たゆたえども、沈まず)。
個人的にフランスに思い入れのある私は、何度この言葉を口にして踏ん張ってきたことだろう。
私はこの言葉をかってに、何度も王朝が代わり 革命や他国の侵略を経験しながらも華やかな文化の中心であり続けてきたパリの歴史的経緯から生じた言葉だと思っていた。
だがそれは、パリの中心を流れるセーヌ川の氾濫に苦しむパリの船乗りたちが、再建のシンボルとして使い始めた言葉だという。
そんな経緯が、「たゆたえども沈まず」(原田マハ)には記されている。

『(花の都パリ・・・)しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ川が、幾度も氾濫し、町とそこに住む人々を苦しめてきた。
パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力をあわせて街を再建した。数十年まえには大きな都市計画が行われ、街の様子はいっそう華やかに、麗しくなったという。
ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛と輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。
セーヌ川が流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできなのだ。
それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。
セーヌで生活をする船乗りたちは、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても救おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。
いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。
― たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
洪水が起こるたびに、水底に沈んでしまったかのように見えるシテ島は、荒れ狂う波の中にあっても、船のようにたゆたい、決して沈まず、ふたたび船乗りたちの目の前に姿を現す。
そうなのだ。それは、パリそのものの姿。
どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
そんな街。
それこそが、パリなのだ。』(『 』「たゆたえども沈まず」より)

セーヌ川の水害復興から生じた”Fluctuat nec mergitur’’だが、そのセーヌ川のほとりのノートルダム大聖堂で発生した火災は、尖塔を崩壊させ、15時間たちようやく鎮火したようだ。

<「パリはもう元に戻れない」 ノートルダム寺院炎上に市民ら涙> 時事通信4/16(火) 5:13配信より一部引用
パリの観光名所ノートルダム寺院(Notre Dame Cathedral)で15日夕、大規模な火災が発生したことを受け、同市中心部では恐怖におののく市民や観光客が涙を流したり、祈りの言葉を口にしたりしながら火災の様子を見守った。
午後7時50分(日本時間午前2時50分)ごろ、寺院の尖塔上部が、屋根全体に広がった炎の中に崩れ落ちると、群集からは悲鳴が上がった。その直後に尖塔の残りが崩れ落ち、人々は再び息をのんだ。尖塔崩壊の様子は、数千人が携帯電話のカメラで撮影した。
友人から火災の情報を聞きバイクで駆けつけたフィリップさん(30代半ば)は「パリの美観が損なわれた。パリはもう二度と元には戻れない」と語った。ある女性は涙を流し、記者の質問に答えられないほど動揺していた。



今はあまりの衝撃に「もう二度と元には戻れない」と涙するパリっ子も、立ち向かうものが水であれ火であれ、必ずや’’Fluctuat nec mergitur’’と声を掛けあい立ち上がるに違いない。

たゆたえども沈まず 
祈っている









最新の画像もっと見る