何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

おまけ というより本題

2018-11-17 23:55:51 | ひとりごと
「ぜんぶ、山 完結編①」 「ぜんぶ、山 完結編②」

さて、オマケというより、本題。
いつもお世話になるお宿は、ロビーに絵画や書などのギャラリーをもっている。
その、穂高や槍など山を描いた作品たちのなかで一際目立つのが、青蓮院門跡門主さまの書だ。
上高地・穂高は、穂高見命がお守りになる地ではあるが、そこに神聖なものを感じるという意味において、まさに「山川草木 悉皆 成佛」が相応しい聖地だと思う。

青蓮院門跡門主さまは、今上陛下の従弟であられるが、上高地で一番古くからある このホテルは山の宮様と云われた秩父宮殿下も滞在されたことがある。

これらの書に惹かれ昨年末訪れた青蓮院門跡でも出会った この「一隅を照らす」という言葉は、それを目にするたびに心に沁みるのだが、今回はちょうど園遊会が話題となっている時に、これらの写真を見ていたので、尚更だ。

「一隅を照らす」 
これは、平安時代に天台宗を開いた最澄の「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」という言葉の一節で、 一隅とは皆が気づいていないほんの片隅 一角を指すそうだが、 転じて、本当は直視しないといけないにもかかわらず、目をそむけているものという意味もあるそうだ。

青蓮院門跡門主さまが皇室ゆかりの御方だということもあり、そこを訪問した際には、神と仏と自然を繋ぐ’’愛・敬宮様’’を思い浮かべたのだが(「一隅を照らす’’愛’’ は国の宝」 「続 一隅を照らす’’愛’’」 「続々 一隅を照らす’’愛’’」)園遊会のニュース関連をネットで読みながら、この「一隅を照らす」という言葉を読むと、病に伏されてからの雅子妃殿下の長い年月が胸に迫ってきた。
それは、お着物を召して園遊会のすべてに出席された雅子妃殿下のニュースに、心の病に関わる人々が安堵と歓迎のコメントをつけているのを見たからでもある。

心の病というものは、理解されづらいという点で、他の病とは異なる苦しみもあると思う。
雅子妃殿下が病名を公表のうえ療養されたことは、心の病の認知を広めたと同時に、快癒に長い時間を要することも知らしめた。
その間、官民挙げての大バッシングが間断なく雅子妃殿下を襲うことに、心を病む人やその家族は不安と怒りを抱えていた思うが、だからこそ、多くの困難を乗り越えご回復が確かなものとなられたことは、大きな希望と喜びだったに違いない。

心の病は、それに倒れた人だけの問題ではないと思う。
心を病むほどにストレスがある、その環境が抱える問題を解決しないことには、第二第三の問題は生じてくるのだ。
だが我が国は、問題の先送りと自己責任論が横行し、事の核心を直視せず目を背け、ただ一人の女性と女の子に、全ての責任を押し付け続けている。
しかし、難題を押し付けられ続けている女性と女の子は、時に押しつぶされそうになりながら’’愛’’の力で立ち上がり、女性であること、病とともに生きることに、希望の光を灯して下さっている。
その希望の光は、国民の半分をしめる女性と、(長寿社会ということみあり)病と共生して生きていかねばならぬ国民の道標となっていくと信じている。

一隅を照らす雅子妃殿下と敬宮様 
お二人を大きな愛でお包みなる皇太子様は、国の宝だと信じている。

そんな想いで完結した、今年の山は、やはり素晴らしい山であったと思っている。

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