何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

続々 一隅を照らす’’愛’’

2018-01-11 12:00:00 | ひとりごと
「一隅を照らす’’愛’’ は国の宝」「続 一隅を照らす’’愛’’」
「京の都の珍(苦行)道中①」「京の都の珍(苦行)道中②」「神と仏のであい」より


青蓮院門跡というと、樹齢800年を超える大クスノキが有名だが、大森有斐の庭にも(何の木か分からないが)巨木がある。(追記 調べたところ楓らしい)。
クスノキは そもそも枝張りが大きいものだし、巨木が鎮座する冬枯れた大森有斐の庭が、華美だということでは決してない。
それでも、これらの巨木に権勢を誇るような何かを感じてしまうのは、やはり青蓮院門跡の門跡たる所以だと思われる。


であるからして、青蓮院門跡には、後櫻町上皇が仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった小御所もあれば、宸殿(「宸」は天子つまり天皇を意味する)もある。

宸殿前 右近の橘、左近の桜

そして現在 門主をお務めになられるのが、東伏見慈晃様だ。
東伏見慈晃様は、香淳皇后の弟 東伏見慈洽様の御子息、今上陛下の従弟にあたられる方である。
つまり、敬宮愛子内親王殿下の祖父の従弟である青蓮院門跡 門主東伏見慈晃様が、最澄の教え「一隅を照らす」の書を上高地温泉ホテルに寄贈されていたのだ。

これで、愛と仏がつながった。

では、愛と神はこれいかに。
「神と仏のであい」で上高地と仏については書いたが、’’神降りる地’’とも’’神垣内’’とも云われる其処にはもちろん神様がいらっしゃる。
   
写真左は一昨年の夏の明神館前、右は昨年の奥穂頂上(穂高神社嶺宮)

奥穂高の頂上に降臨された穂高見命が、穂高連峰から安曇野の地を整えられたと云われるが、その奥穂高の頂上に嶺宮が、穂高大明神に由来する明神岳のふもとに穂高神社奥宮が鎮座する。
上高地はまさに神の地である。

その神の地を しかも明神を、一昨年の夏 敬宮愛子様が初の地方公務として訪問された。
その日一番の笑顔を穂高神社奥宮(明神池)で浮かべられた敬宮様のもと、愛と神もつながった。

上高地ルミエスタホテル「上高地通信」より 
http://www.lemeiesta.com/blog/2016/08/entry-1252.php


神降りる地とかけて、最澄と解く
その心は、
神仏が’’愛’’でつながるでしょう


世は、怪しい方向へ進んでいる。
世がオカシイから高き処もオカシイのか、高き処がオカシイから世もオカシイのかは、もはや分からない程オカシイ。
その怪しげでオカシナものから、敬宮様を守って下さるように、神仏に祈ろうと思っている。

四方山祭・四方山話 その弐
「四方山祭・四方山話 その壱」より「山の日制定記念式典」に御臨席される皇太子ご夫妻に敬宮様が同行された今回のご訪問であったが、敬宮様が地方公務にご出席されるのは初めてのことだと......


どうでもいい追記
知恩院~青蓮院門跡を訪問した後、恒例の祇園界隈から錦市場への食事&買い物に繰り出した。
これも京都の楽しみの一つだが、小雪舞うなか戸外にいる時間が長かったせいか、時々(外食で)水あたりする私の癖のせいか、後半はトンデモナイ旅になってしまった。
これが、「珍(苦行)道中」と題した理由だが、振り返ってみれば、やはり充実した良い旅であった。
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