「プレイボール人生④ モタモタすんな!」 「続 モタモタすんな!」 「モタモタすんな!byワンコ」
「モタモタすんなbyワンコ②」より
「淳子のてっぺん」(唯川恵)は、登山家として多くの世界記録を打ち立てた田部井淳子氏をモデルに書かれているので、もちろん海外遠征の場面も多いのだが、私の印象に強く残ったのは、プロローグとエピローグで紹介されている田部井氏の「東日本大震災に遭った東北の高校生たちを富士山登山に招待する」という活動だ。
福島で生まれ育ち、初めての登山が那須の茶臼岳だった田部井氏は、東日本大震災後 居ても立ってもおれず、被災者支援の一環として始めたのが「東北の高校生の富士登山」だったのだが、これは被災地の高校生にとって’’命や生’’を考える登山であっただけでなく、田部井氏にとっても’’命と生’’に向き合う登山だった。
被災地の高校生と富士山に登る田部井氏は、余命を宣告された癌患者でもあった。
最後となる富士登山で、田部井氏には気になる少女がいた。
つまらないのか疲れているのか、どこか寂しそうにも見える少女は、案の定「下山する」と言い出す。
聞けば、少女の家は津波で流され、祖父は船を見に行ったまま帰っていないという。
周りの人は「両親と弟も無事だったから、良かったね」「頑張れ」と声を掛けるが、その善意を分かっていても、少女は釈然としない。
少女は、何か変えたいと思い、でもどうすれば良いか分からず、田部井氏の富士登山企画に参加したものの、目の当たりにした甚大な被害と登山している自分・・・「何のために、こんなしんどい思いをしなきゃいけないのだろう」と思い、下山を決意する。
そんな時に、余命宣告を受けている田部井さんと話す。
少女は、田部井氏が余命宣告を受けるほどの病に冒されていることを知っていた。
だからこそ少女は、何故そんな状況でも山に登るのかを知りたかったのだろう、それをストレートに問う少女に、田部井氏は答える。(『 』「淳子のてっぺん」より)
『生きてるってことは前に進み続けてゆくってこと』
『急がなくていいの。ゆっくりでいいの、踏み出すその一歩が、生きている証しなんだから』
その時、少女に、美しいご来光がそそぎ、少女はそっと目尻を拭った。
女性だけの登山隊で世界記録を打ち立てた場面も読みごたえはあるが、私にはプロローグとエピローグで語られる被災地の高校生への田部井氏のメッセージが強く強く心に残っている。
『すべては一歩から始まる。淳子はそう思って山に登り続けて来た。
目的の到達するために一歩踏み出す。そして、もう一歩、さらに一歩。
それがどんなに小さな一歩であろうと、足を進めることで掴めるものが必ずあるはずだ。
それを淳子は山で感じてきた。』
世界最高峰の頂に立つ田部井氏と、3000mに頂に立つのがやっとの私では、山歩きにおける’’一歩’’が違うのは当然だが、山歩きから学ぶ’’一歩一歩’’の大切さという点では、同じものがあると思っている。
本書には『誰にだって最初はあるさ』という言葉があるが、それは’’初めての山’’という意味だけではないはずだ。
初めての山、世界初の挑戦、日常のなかの初めてのこと、誰にだって何にだって、初めてはある。
だが、生きている証しと踏み出す一歩は、どんな小さな一歩でも、掴めるものは何かあるはずだ。
そうして辿り着く’’てっぺん’’とは。
女性だけでアンナプルナを目指す遠征にでる淳子に、同じく登山家である夫正之がかける言葉は・・・・・
『てっぺんは頂上じゃないからな』
『淳子のてっぺんはここだよ。必ず、無事に俺のところに帰ってくるんだ』
一歩一歩の先にある’’てっぺん’’とは、それぞれの人生で一番大切だと思うものに辿り着くことなのかもしれない。
そんな事を思う、初めての一歩を踏み出す直前の私である。
一歩一歩、でもモタモタすんな! 私
「モタモタすんなbyワンコ②」より
「淳子のてっぺん」(唯川恵)は、登山家として多くの世界記録を打ち立てた田部井淳子氏をモデルに書かれているので、もちろん海外遠征の場面も多いのだが、私の印象に強く残ったのは、プロローグとエピローグで紹介されている田部井氏の「東日本大震災に遭った東北の高校生たちを富士山登山に招待する」という活動だ。
福島で生まれ育ち、初めての登山が那須の茶臼岳だった田部井氏は、東日本大震災後 居ても立ってもおれず、被災者支援の一環として始めたのが「東北の高校生の富士登山」だったのだが、これは被災地の高校生にとって’’命や生’’を考える登山であっただけでなく、田部井氏にとっても’’命と生’’に向き合う登山だった。
被災地の高校生と富士山に登る田部井氏は、余命を宣告された癌患者でもあった。
蝶が岳で待つ日の出
最後となる富士登山で、田部井氏には気になる少女がいた。
つまらないのか疲れているのか、どこか寂しそうにも見える少女は、案の定「下山する」と言い出す。
聞けば、少女の家は津波で流され、祖父は船を見に行ったまま帰っていないという。
周りの人は「両親と弟も無事だったから、良かったね」「頑張れ」と声を掛けるが、その善意を分かっていても、少女は釈然としない。
少女は、何か変えたいと思い、でもどうすれば良いか分からず、田部井氏の富士登山企画に参加したものの、目の当たりにした甚大な被害と登山している自分・・・「何のために、こんなしんどい思いをしなきゃいけないのだろう」と思い、下山を決意する。
そんな時に、余命宣告を受けている田部井さんと話す。
少女は、田部井氏が余命宣告を受けるほどの病に冒されていることを知っていた。
だからこそ少女は、何故そんな状況でも山に登るのかを知りたかったのだろう、それをストレートに問う少女に、田部井氏は答える。(『 』「淳子のてっぺん」より)
『生きてるってことは前に進み続けてゆくってこと』
『急がなくていいの。ゆっくりでいいの、踏み出すその一歩が、生きている証しなんだから』
その時、少女に、美しいご来光がそそぎ、少女はそっと目尻を拭った。
女性だけの登山隊で世界記録を打ち立てた場面も読みごたえはあるが、私にはプロローグとエピローグで語られる被災地の高校生への田部井氏のメッセージが強く強く心に残っている。
『すべては一歩から始まる。淳子はそう思って山に登り続けて来た。
目的の到達するために一歩踏み出す。そして、もう一歩、さらに一歩。
それがどんなに小さな一歩であろうと、足を進めることで掴めるものが必ずあるはずだ。
それを淳子は山で感じてきた。』
世界最高峰の頂に立つ田部井氏と、3000mに頂に立つのがやっとの私では、山歩きにおける’’一歩’’が違うのは当然だが、山歩きから学ぶ’’一歩一歩’’の大切さという点では、同じものがあると思っている。
本書には『誰にだって最初はあるさ』という言葉があるが、それは’’初めての山’’という意味だけではないはずだ。
初めての山、世界初の挑戦、日常のなかの初めてのこと、誰にだって何にだって、初めてはある。
だが、生きている証しと踏み出す一歩は、どんな小さな一歩でも、掴めるものは何かあるはずだ。
そうして辿り着く’’てっぺん’’とは。
女性だけでアンナプルナを目指す遠征にでる淳子に、同じく登山家である夫正之がかける言葉は・・・・・
『てっぺんは頂上じゃないからな』
『淳子のてっぺんはここだよ。必ず、無事に俺のところに帰ってくるんだ』
一歩一歩の先にある’’てっぺん’’とは、それぞれの人生で一番大切だと思うものに辿り着くことなのかもしれない。
そんな事を思う、初めての一歩を踏み出す直前の私である。
一歩一歩、でもモタモタすんな! 私