何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

山と人のあいだ 

2018-01-03 19:00:00 | ひとりごと
新年はじめの「夕暮れ時に誓う、蒼い時」で、新たなスタートラインとの気持ちをこめ、夕陽に映える槍ケ岳(人生で一番いい時間の始まりの瞬間 ブルーモーメント)の写真を掲載したので、新年二番目の写真は、槍ケ岳の向こうから昇る朝日を掲載しようと思う。
2013年 8月13日 5:18
槍ケ岳直下の槍ケ岳山荘より望む朝日


後輩からきた年賀状に気になる文があった。

毎年年賀状には、前年登った山の写真を使うので、私の山歩きは巷で知られるところとなっているのだが、それを念頭に後輩が気になるコメントを年賀状に書いてきた。
『人生という山歩きでいっぱいいっぱいで、まだ登山するほど余裕がないですが、いつか人生に余裕ができたら、一緒に富士山に登って下さい』・・・と。

いや、「私の方こそ人生にいっぱいいっぱいなのだが」という溜め息と、
そんな状態にも拘わらず(人様からは)余裕綽綽で山に登っているように見えていたことへの少しの安堵と、
いやいや、「山は、余裕がないから登らないとか、余裕があるから登るとか、そんなものではない」という思いとが綯交ぜになっている。

後輩よ、やるからには何でも一番でなければ気が済まない君よ
山は、「ただ、そこに山があるから」、登るんだよ

それでは、あまりにアレなので、そんな気持ちを代弁してくれる本から一文を引いておくよ

「街と山のあいだ」(若菜晃子)
『私の内に昔からある自然のなかで美しいものを見たときに決まって心中から湧き上がる、言葉にはしがたい懐かしみを伴った喜びの感情であった。
それは、生きてきた長い年月に蓄積された感覚のようでもあり、生まれたときから持っている感情でもあるようで、あるいは期せずして現れる、これが魂のふるえなのかもしれない。
私は今生きていて、こうして初夏の夕方の光の降り注ぐ森の美しさを目にすることができる。
人生はやはり素晴らしい。
人生に山があって良かった。
私はそのことに心の底から感謝して山を下りていった』(「街と山のあいだ」より)

後輩よ
元気があってもなくても、山に行ってみるといい
日本一の富士登山でなくとも、木立の間から降り注ぐ光を感じることができる山道もいい
井上靖氏は「穂高の月」で、梓川に沿った徳沢から横尾までの山道を、日本一美しいと云っているよ
そこを、いつか一緒に歩いてみよう

(『 』「穂高の月」(井上靖)より引用)
『これこそ他のどこでもなく、日本の風景の中を歩いているという思いを持つのは、穂高に登るとき、梓川に沿った樹林帯を歩いている時である。』
『山よりも、山に登ることよりも、梓川に沿った樹林帯を歩くことが楽しいのである。~(略)このように美しい川が、このように美しい樹林帯がこの世にあったのかという思いを持ったのである。』
2016年 梓川沿いの樹林帯で撮った’’道’’


ちなみに私は、
山の先輩の「富士山は遠くから遙か遠くから拝するだけがいい」という教えに従い、
富士山に登ったことがないし、登る予定もないんだよ
だけど、いつか神降りる地の美しい山道を、
余裕があってもなくても、元気があってもなくても、
一緒に歩いてみよう
後輩よ

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