「菖蒲&勝負しかない」 「連作 ショウブはついている」 「連作 曇天駄作に泣いている」
「連作 ショウブあり」より
個人的趣味のみで「ショウブあり」とすることに良心の呵責を覚えるので?何か尤もらしい文献はないかと検索していたところ、ショウブあり!な記事を幾つか見つけたので言い訳がましく記録しておこうと思う。
をみなえし 咲く沢(佐紀澤)に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 戀(こい)もするかも
これは万葉集にある歌で、中臣女郎が大伴家持に贈ったものだが、長らく「花かつみ」は どの花をさすのか分からない「幻の花」と云われてきたという。
と云うのも、「奥の細道」(松尾芭蕉)に下記のような記載があるからだ。
『等窮(とうきゅう)が宅を出でて五里ばかり、檜皮の宿を離れて、浅香山あり。道より近し。このあたり沼多し。かつみ刈る比もやや近うなれば、いづれの草を花がつみとはいふぞと、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を訪ね、人に問ひ、「かつみかつみ」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。』
「かつみ、かつみ」と尋ね歩いても見つからなかった故に「幻の花」とされてきた「花かつみ」だが、近年それを杜若とする説や花菖蒲という説の他、ヒメシャガだと断定して市の花に認定している所もあるという。
だが、江戸時代に松平定信が「花かつみは、よひら」と謳っているため、花弁数が四枚の花菖蒲が現在は有力説だとされているそうだ。
また、桶狭間の合戦の際に徳川家康の生母於大の方が家康の武運長久を願い、「花かつみ」の「勝つ」という名前に思いを込め仏前に捧げたという伝説も残っていることから考えても、勝負ショウブに軍配があがると私は思っている。
やはり、ショウブあり!なのだ。
追記
ここに掲載している我が家の花菖蒲の写真では、「花かつみ=花菖蒲」とするには説得力に欠けるのは承知している。
だが、それはもしかすると花のデキではなく、私の写真の技量のせいかもしれない。
「連作 ショウブあり」より
個人的趣味のみで「ショウブあり」とすることに良心の呵責を覚えるので?何か尤もらしい文献はないかと検索していたところ、ショウブあり!な記事を幾つか見つけたので言い訳がましく記録しておこうと思う。
をみなえし 咲く沢(佐紀澤)に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 戀(こい)もするかも
これは万葉集にある歌で、中臣女郎が大伴家持に贈ったものだが、長らく「花かつみ」は どの花をさすのか分からない「幻の花」と云われてきたという。
と云うのも、「奥の細道」(松尾芭蕉)に下記のような記載があるからだ。
『等窮(とうきゅう)が宅を出でて五里ばかり、檜皮の宿を離れて、浅香山あり。道より近し。このあたり沼多し。かつみ刈る比もやや近うなれば、いづれの草を花がつみとはいふぞと、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を訪ね、人に問ひ、「かつみかつみ」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。』
「かつみ、かつみ」と尋ね歩いても見つからなかった故に「幻の花」とされてきた「花かつみ」だが、近年それを杜若とする説や花菖蒲という説の他、ヒメシャガだと断定して市の花に認定している所もあるという。
だが、江戸時代に松平定信が「花かつみは、よひら」と謳っているため、花弁数が四枚の花菖蒲が現在は有力説だとされているそうだ。
また、桶狭間の合戦の際に徳川家康の生母於大の方が家康の武運長久を願い、「花かつみ」の「勝つ」という名前に思いを込め仏前に捧げたという伝説も残っていることから考えても、勝負ショウブに軍配があがると私は思っている。
やはり、ショウブあり!なのだ。
追記
ここに掲載している我が家の花菖蒲の写真では、「花かつみ=花菖蒲」とするには説得力に欠けるのは承知している。
だが、それはもしかすると花のデキではなく、私の写真の技量のせいかもしれない。