郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

『何が私を かうさせたか』を読むー2

2018年04月11日 | 日記
“この頃から私には、社会といふものが次第にわかりかけて来た。
今までは薄いウエ―ルに包まれて居た世の相がだんだんはっきりと見えるやうになった。
私のやうな貧乏人が何うしても勉強も出来なければ偉くもなれない理由もわかって来た。
富めるものが益々富み、権力あるものが何でも出来ると云ふ理由もわかって来た。
そしてそれ故にまた、社会主義の説くところにも正当な理由のあるのを知った。

 けれど、実のところ私は決して社会主義思想をそのまま受納れる事が出来なかった。
社会主義は虐げられたる民衆のために社会の変革を求めると云ふが、彼等のなすところは真に民衆の福祉となり得るか何うかと云ふことが疑問である。

「民衆のために」と云って社会主義は動乱を起こすであらう。
民衆は自分達のために起ってくれた人々と共に起って生死を共にするだらう。
そして社会に一つの変革が来ったとき、ああその時民衆は果たして何を得るであらうか。
指導者は権力を握るであらう。
その権力によって新しい世界の秩序を建てるであらう。
そして民衆は再びその権力の奴隷とならなければならないのだ、然らば、××とは何だ。
それはただ一つの権力に代へるに他の権力を持ってする事にすぎないではないか。

(中略)

たとひ私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身には私達自身の真の仕事と云ふものがあり得ると考へたことだ。それが成就しようとしまいと私達に関したことではない。
私達はただこれが真の仕事だと思ふことをすればよい。
それが、さう云ふ仕事をする事が、私達自身の真の生活である。“

(ここで「私達」というのは、友人との意見交換の話だから)
 

最後のところはちょっとわかりにくいが、文子にとってはもう今は天皇制打倒のためにやれる事をやるだけが人生の目的であるというのであろう。

私が注目するのは社会主義に対する見方である。
時は1917年のロシア革命の直後であり、世界的に社会主義革命に対する期待が大いに高まっていた時代である。
まだスターリン主義は外部には見えていなかった。
にもかかわらず彼女は20才前後にして、社会主義の限界を察知していたのである。
20世紀の終わりから21世紀前段の現在の自称社会主義国の情勢は彼女の推察通りの状況を呈しているではないか。
これには本当に驚かされる。

彼女の思想に近いものを他に求めるならば、日本においては安藤昌益くらいか。
直近では「郷土教育」705号(2018年4月号)で小林志夫さんが紹介するサパティスタ運動がそれか?

最後に獄中詠歌一首

 ペン執れば今更のごと胸に迫る我が来し方のかなしみのかずかず

ともあれ一読に値する書である。


-H.S-

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