いつか、きっと・・・

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2020-01-12 19:45:10 | 日本の俳優

松村雄基、ラジオで伝説のドラマ「スクール☆ウォーズ」の撮影秘話を告白「朝から晩まで撮影。鳥肌立っているのに熱い芝居って…」

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俳優の松村雄基が9日、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」(月~木曜・前8時30分)に出演した。

 番組では、1984~85年にTBS系で放送され、ラグビーブームを巻き起こしたドラマ「スクール☆ウォーズ」の撮影秘話を明かした。

 松村は「朝から晩まで撮影です。ほぼ始発で行って終電で帰ってくる」と振り返り、真冬の撮影だったが「いきなり行くとラグビー部員じゃないですか、普通は長いジャージを着てウォーミングアップして温まってから短パンになるのに、ラグビーだからすぐ短パン。いきなりですよ、霜柱立っているんです」と明かした。

 さらに「頭にデップローションで固めていたんですけど、それを現場においておいたらシャーベットみたいになっているんです。涙だって汗だって霧吹きで吹けるじゃないないですか。この霧吹きも凍ってますからね」と話し「鳥肌立っているのに熱い芝居ってどんなんだっていう現場でした」と笑わせていた。


雄基さん・・・かっこいいなぁ。「かっこいいのデコメ」の画像検索結果ドラマ再放送を見てました。

ここのところお見かけしていませんが・・・


たまにクイズ番組に出ているのを見かけます。


舞台などにも出ているので見に行きたいなぁ。

 


ファンなんです②(^-^)

2020-01-12 19:44:20 | 日本の俳優

でんでん、馴染みの店で「プータロー時代に得た役者力」を語る

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「ママ、ホッピー。あとホルモンちょうだい。1.5人前でいいよ。1人前だと少なくて、2人前だとちょっと多いんだ(笑)。ママ、チャッカマンもね」

 そう言ってから、慣れた手つきでコンロのホースをガス栓に繋いだ。東京・中野の「ホルモン焼番屋」は、でんでん(69)が俳優になる前から、40年以上通う店。

「『キントリ』(ドラマ『緊急取調室』、テレビ朝日系)のメンバーとは仲がよくて、ここの常連になったメンバーもいるよ」

 いつも座るのは、カウンターの定席だ。メニューになかったホッピーも、でんでんが “マイボトル” を2本持参したのがきっかけで、メニュー入りした。コンロに手をかざして待つのが、でんでんのこの店でのルーティンだ。

「鉄板を温めておいたほうがいいから、こうやって待ってんの。ここのホルモンね、本当にうまいの。驚くよ。

 前に教わったんだけど、みんなで食べるときは、1枚ずつ並べて焼くんじゃなくて、てんこ盛りに置く。そうすると、焼いたような蒸したような感じになる。それでかき混ぜながら、この焦げ目がいい感じになったときが食べごろね。

 何回か噛んだら、つるっと飲み込む。少し臭みが残ったぐらいがうまいですよ。これね、本当に飽きないよ。でも、火曜日から水木金土って毎日来たら、さすがに土曜日はイヤになっちゃった(笑)。

 カメラマンさんも本当に美味しいから、食べてみてよ。食べてからだと、撮り方が変わっちゃうよ(笑)」

 店のママも、「役者さんになる前もなったあとも、なんにも変わらない。すぐに、お客さんとも親しくなるんですよ」と笑う。

 テレビでは、大相撲九州場所が流れている。芋焼酎をホッピーで割るのが、でんでんの好みだ。

「相撲好きの常連がいてね、本当にここは “いい桟敷席” なんだ(笑)。俺、中学と高校で卓球をやってて。ここに卓球の社会人チームの人が来ていて、その縁で30過ぎからまた始めたの。

 この腕時計は、おととしの『東京卓球選手権』のショービズ(芸能人)の部で、準優勝してもらった副賞。四元(奈生美・41)さんに、決勝で負けちゃった。

 場所もあって仲間もいるから、毎週、練習やってるよ。でもこれから舞台の稽古が始まるから、ちょっと行けなくなるね。

 19歳のとき、故・渥美清さんに弟子入りしようと、自宅を調べて福岡から出てきたが、あいにく留守だった。

「それで出直して、入社したのが丸井。下北沢店の婦人服売場に配属になって。ミニスカートが流行ってた時代だから、寸法直しの裾を上げるのが恥ずかしくてね。『もっと短く』って言われて、なんとなくモワーッとしたのを覚えてるよ(笑)」

『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系、1980年~1986年)で8週勝ち抜き、森田芳光監督の『の・ようなもの』(1981年)で映画デビュー。園子温監督の『冷たい熱帯魚』(2011年)では、主要な映画賞を総なめにし、一躍、注目を浴びた。

「丸井を4年ほどで辞めて、『劇団ひまわり』の青年部に入ったんですよ。そこを辞めてから4年ぐらいは、プータローっていうか、お金がなくなったらバイトだった。そのころは、麻雀とかパチンコばっかり。

 そこで出会ったのが、『蒟蒻芋の輸入販売をしてる』と言ってたのに、じつはヒモやってる人とか。詐欺師まがいの人もいてね、嘘をつくときは、人にしゃべらせない。マシンガントークで質問させない。それで最後は『わっははは』って笑うんだよ。

 警備員をしていたとき、持ち場の前に、ホームレスの親父さんが住んでいてね。階段を上がっていく女性のスカートを覗くの。『親父さん、何やってるの?』って訊くと、『イヒヒヒヒ』って。

 そんな人たちをたくさん見てきたことが、役者をやるうえで、ものすごく、ものすごく役立ってる。頭で考えて役作りをしようとしても、自分の想像力なんて、たかが知れてるんですよ。想像じゃないのよ、実際にそういう人物を見てるから。

『冷たい熱帯魚』(笑いながら人を殺し、解体する熱帯魚店の店主の役)は、そんな人たちの複合技なの。いろんな人間が入ってるんです、あの中に。賞をもらったときは実感がなかったけど、5、6年たってからジワジワと、『ありがたかったな』って思うようになったね」

 でんでんはいま、舞台『神の子』の稽古に励む。大森南朋(47)、田中哲司(53)と、警備員の役を演じる。

「なるべく、“ふり” をやめようと思ってる。怒ったふりとか、泣いたふりとか。

 泣く芝居でも、ただ涙を流してるだけじゃダメ。おふくろが死んだときの涙なのか、痛くて泣いてる涙なのか、博打で負けての悔し涙なのか、その涙の種類があるんです。あるんですよ。

 それはすごく難しいけど、そういうことを考えながら芝居をやってるのとやらないのでは、違うと思うんだ。

 台詞覚えはいいほうじゃない。何回も何回も声に出して、体の中に対流させる。そうすると、だんだん、『こういうことを言いたいんだ』って気がつく。それに気づいてからが稽古なの。今回の舞台は新作だから、台本の上がりは遅くなる。どこまで自分が完成形でいけるのか、試される舞台なんだ」

「ほら、もっと食べてよ」と、ちょうどよく焼けたホルモンを記者たちの小皿に取り分けた。

「この店ではね、みんな呂律がまわらないか、耳が遠いから、同じことを2回、3回言わないと伝わらないんだ(笑)。俺ももうすぐ70。『演じてる最中に台詞がぶっ飛んじゃうようになったら、辞めどきなのかな』って。でも、そうなるまでは続けていたいね。

『でんでんは、上手いか下手かわからないけど、なんかいいね』。そう言われると嬉しい。昔からそういう役者を目指してるんだよね」

 

でんでんさん。お笑いスタ誕出身だったんですね。とんねるずさんもそうですよね。憲さん好き。

前にNHKだったかな?卓球やっているのを見て「上手だなぁ」って思っていたのですが、中学高校と卓球部だったんですね。どうりで上手なわけだ。今でもやっているなんて。羨ましい。私もやりたいなぁ。「卓球のデコメ」の画像検索結果

 

俳優さんになる前は、デパートにお勤めされていたんですね。

 

これからもご活躍を祈っています。