やまんばのひとりごと

あと何年 健康で生きられるかわからないけどその日まで この世に生きた足跡を残していきたいな。

暖かい日

2022-01-17 15:21:45 | 日記
最近の起床は4時半から 4時になった。夕方7時に寝ているから4時に起きるのも当然だけどね。

3階のベランダに敷いたカーペットがかちんかちんに凍っていた。夜中は零度以下になったのだろう。

今朝 墓参りのために家を出るとき 寒かったのでホカロン2つポケットに入れて出かけた。

ところが 電車に乗っているうちにだんだん温かいから 暑くなり リュックにしまった。墓参りが終わった後 20000歩 歩いているうちに 汗が出てきた。なんだか陽が当たって 背中が暑い。風もないので どんどんヒートアップしてくる。 なんでこんなに暑くなるんだろう。



ネックウオーマーを外し 手袋も外し コートのチャックを全開にした。それでも暑い。ゆっくり歩いても暑い。荷物は本一冊だけなのになあ と思ってふと気が付いた。

ホカロンだあ。

リュックの薄い生地を通して もろに背中に熱が伝わっていたのだ。寒い時は便利なものでも 日が照って風のない春のような日にはいらないね。捨てるのももったいないので 両手にぶら下げて歩いた。ホカロンは30時間は熱いのねえ。 

不安なこと

2022-01-16 15:43:32 | 日記
加齢してくると不安なことがあれこれ起きてくるということを新聞や本で読んだことがある。

私には関係ないこと と思っていたが やはり不安が最近むくむくを出てくるものですねえ。

①もし近所から火事をもらったらどうしよう。

②夫が突然倒れたらどうしよう。

③家を出るときガスは消しただろうか。

④銀行の通帳はちゃんとしまっただろうか。

⑤遺言書は夫とお互いに書いたが これはいつどうやってどこで開けるのだろう

⑥最近記憶力が衰えてきたのだが これは認知症の始まりかしら。などなど・・・・

我が子が小さい時は 交通事故にあわないか 友達をいじめてないか 突然高熱を出さないか などだったが 今は自分の身を案じることばかり。
ほかの皆さんは どうなんだろう。

今までは 同年配の人や兄弟と頻繁に会っては 話をしたり聞いてもらったりと 愚痴のはけどころがあったのだが 今はコロナ禍で出かけられないので 誰とも話さず 頼りにできず・・・・。

50歳の我が子は仕事で忙しく声をかけるのもためらってしまう。
ご近所の人たちはコロナが怖くてろくに外に出てこないし あっても頭を下げてあいさつするぐらい。

ジムで会う人とはマスク越しでよく 聞こえないし 迷惑がられるので 寄らず触らずの毎日。育ち盛りで友達との交流から学ぶこともある中高生は どんなに人に飢えてることだろう。

気軽に集まって話せる日々が来るまで 生きていられるかしら。







ふせ

2022-01-15 19:25:29 | 日記
関東地方では何というのだろうか。穴の開いたところを当て布をして穴をふさぐことを。母親が九州出身なので 私が子供のころは方言がずいぶん入っていた。

接ぎあてかな。

夫の長袖のシャツの左わきの下が破れているのに 昨夜 気が付いた。
お父ちゃん このシャツ 寿命だよ。こすれて布地が薄くなって破けてるよ。

わきの下だから見えないから いいよ。 着続けるつもりらしい。
もともとは背広の下に着る上等な生地の開襟ブラウスだった。勤めを辞めて背広を着なくなって 春や秋のお出かけに 着て行くぐらいだった。

たぶん50年はたっているだろう。以前はクリーニングに出していたがだんだん手洗いから洗濯機に変わって行った。それとともに だんだん布地がそぜて 柔らかくなっていった。最近はうちの中で着ることが多かった。

それならば 私はふせをしよう。

胸のポケットの生地を取り外し裏に当てて 細かく縫っていった。表から見て違和感のないように格子の模様も一致するように縫っていった。30分後 完成。

夫のところにもって行って ほら 破れていたところにふせをしたよ。
ン?ふせ? 彼は三代続く江戸っ子だから ふせがわからないらしい。
オーきれいになってるねえ。ありがとう。これであと10年は着られるなあ。
え? そのころあなたは95歳ですけど。

私はこんな仕事が好き。タオルを使いすぎて薄くなったところに当て布をして 再利用するのも大好き。

Tシャツが汚れたところに当て布をして そこに絵を書くのも好き。

母が 忙しい中そうやって再生しているのを子供のころから見ていたので破れたらすぐ捨てる気にはなれない。だから夫が愛着のあるブラウスを まだ着るというのを聞いて うれしくなった。

断捨離? うちは ない ない。


95歳の男性

2022-01-13 15:25:39 | 日記
ウイークデイの日中にジムに来ている人は 勤めがない50代 とくに多いのが60代以上。りタイヤ人たち。

80を超えたと思う人も多い。夫が仲良くなった方は95歳。矍鑠としている。
器械を操作しているときは 重りも強度もなかなかの段階を頑張っている。私も隣で器械を使っている時 さりげなく彼の動きを見ているが本当にしっかりしている。私も95歳になっても 彼のようなバイタリティを持っていたいと思う。

女性はあまりマシーンをやらない。太極拳のコースに行っている人が多い。
あるいはヨガのようなゆっくりしたペースのものをやっている。

11:30にジムを終わって出ると 95歳氏に ジムのそばの揚げモノやさんで会う。
奥さんが先年なくなったとのことで 3食 自分で用意するらしい。面倒なんですわ、と言っているが そうだろうなあ。 
でも 油こってりのものばかり食べてると体に良くないと思うのだが 夫に言うと 
いいじゃないか もう95歳だよ。自分の好きなものを いつ どこで 食べようと。
うん 確かにそうなんだけど 彼を見てると私が死んだ後のお父ちゃんの姿を見るようで心配なんだよね。

だいじょうぶだよ。僕はお母ちゃんが死んだら もう何も食べない。水だけ飲んでいるよ。そして餓死するね。

キャー 大変だあ。私は彼より1日でも長生きしなくては。 

離婚したいと思った時

2022-01-12 18:34:36 | 日記
56年目に突入したわれら夫婦の歴史の中で 何回 離婚しようと思ったことか。

わたしは 子供二人抱えてもやって行けるだけの生活力はあった。
男性並みに働いているのに うちに帰るとすべての仕事は 私がやるしかないのだ。夫は帰ってきても新聞読んだりテレビを見たり まして子供の面倒は見ない。何でもかんでも私が一人でやった。

やって というとどうやればいいかわからないという。
掃除してというと 自分の部屋だけやって やったことにしてしまう。 
洗濯して ちょっと手が離せないから 干してね と言っても どうやって どこに干すかといちいち聞いてくる。

それなら自分でやった方が速い。 だんだん何も頼まなくなった。

給料は全部封を切らずに渡してくれた。

その中で私の考えで旅に出たり 相談せずに高額なものも買った。
喧嘩をすることもあったが 毎日が目の回る忙しさだったので 何事も深く考えなかった。 一時 離婚も考えたが 踏みとどまった。母が生きているうちは悲しませたくないの一心。夫を戦争で亡くし 日本に引き揚げ 無から私たち5人を育ててくれた母にこれ以上の悲しみを与えるわけにはいかなかった。

そのうちお互いに年を取り 性格も丸くなった。 時間ができた夫は 家事を進んでやるようになった。自分で工夫して料理もするようになった。
85歳になった現在は お互いを頼りにして暮らすようになり あと何年生きられそう?とお互いに 気遣うようになった。

昔 離婚を考えたことを 今は笑い話になっている。