やまんばのひとりごと

あと何年 健康で生きられるかわからないけどその日まで この世に生きた足跡を残していきたいな。

いよいよ明日。

2019-12-31 16:15:12 | 日記
元旦マラソンの出走。10:00

7歳児は父子のレース。ドーターインロウは私と同じく3㎞。彼女は東京マラソンを2回も4時間切りで走ったつわもの。

私は 20年前までは海外のレースにも出たのだが 今は 参加するのに意義あり 例年 びりを走って 高齢者参加賞を もらうのが楽しみ。

夫はもう走らない。いつも 伴走してくれていたが 左ひざのけがの後遺症が40年たって出てきて 走れる状態ではないので カメラマンと応援と荷物持ち役だね。

昨日 今日は ジムがないので 土手を走りに行った。
平坦で走りやすい。ジムでは8km/hのスピードで走っていたが 外ではちょっと遅れる

でも 今日は きのうより1分短縮して走った。明日は 20分を切るのが目標だ。
レースでは 中学生以上と走るのだが 彼らは 速い 速い。 若いっていいねえ。

100均ってすごい。

2019-12-30 14:09:16 | 日記
この3年間 障子を張り替えなかった。

7歳児が遊んでいて ついボールを当てたり 剣を使っての戦いで 破ったり 走って行って止まり切れずに手を突いたりと 頻繁に破ってくれた。その時々 応急処置をするのだが昨日来たとき 7歳児に

君は もう十分大きくなったから もう障子破る前に 踏みとどまれるよね。というと 

えーーこれ全部僕が破ったの?

うん ここは4歳の時 これは5歳の時 これは6歳の時 そしてこれは ついこないだのキックだよ。もうこんなつぎはぎだらけは みにくいから 明日 はりなおそうと思ってるんだけど 7歳になったら当たらないようにうまく行動できるかな

うん 大丈夫だよ。

というので 貼りなおすことに。ところが どこのうちでも貼りなおしているのか 障子紙の在庫がない。3店 回ったんだけどない。

だめもとで 100均ショップに行ったら 4つ残っていた。4ロールで¥440.
ウーーーン ちょっと安いなあ でも もう障子は はがして洗ってしまっているし もしうまく はれなかったら模造紙でも貼ろうか と思って購入。

今日 早速 糊を作って 貼っていった。
いやいや驚いたねえ。貼りやすいし 糊がさ――っとくっついて ロールがまっすぐ下りていくんだよ、

ちょっと高級な紙だと なかなか貼れなかったり よじれたりするのだが これは一発で きれいになる。霧吹きもいらない。立てかけておくだけで パンパンに張りが出てきた。夫が散歩から帰ってきて 出来上がっている障子を見て プロがやったみたいに きれいに貼れたねえ と褒めた。

100均って 馬鹿にはできないね。線香とライターを買っても¥220
発泡スチロールで 大きい幅広のイスを作るのに 12個買って¥1200+Tax。
クッションがよく 肌触りが温かいので冬には 最適。

卓上時計も¥110 腕時計も¥110 全然壊れない。 こんな安いものが 広く使われたら一般の会社は困るんじゃないかと 心配になっている。

人の死と病気

2019-12-29 09:04:23 | 日記
1年に1回 この1年間に亡くなった教員の公表がそれ関係の冊子であった。

細かい字だったが 私はこの年齢で まだ老眼ではないのだ。それでも目を凝らして 順に人の名をなぞっていったら 見覚えのある人の名を見つけた。

亡くなってしまえば もう それだけで忘れ去られるものなのだろうが その人は忘れようとしても忘れられない人だった。散々 職権を傘にして 意地悪をした人だったから。いまなら パワハラというのだろうね。

どんな晩年を過ごしたのだろうか。最後までえらそうに 人に命令する人生を送ったのだろうか。

最近 プールでお会いしないなあ と思っていた人がいる。夫も あの人を この数か月 見ないけど どうしたのかなあ と心配していた。 きのう 他にどなたもいないプールで その親戚の方にお会いした時 思い切って尋ねてみた。最近お見掛けしないのですが…・

ええ 9月の初めに どうもよろよろしているなあ と思って 病院に行きMRIを取ったら頭の中に2つ腫瘍があり しかし高齢のため手術できないとのことで 施設に移ったのですよ というではないか。細身だったが笑顔が素敵な人だった。

プールもやめて もう じいいいっと寝ているばかり。かわいそうですが 私にはどうしようもなく・・・・ほかに身寄りもないので 私が頻繁に行くようにしていますが私も84歳を超えたのでいつまで世話ができるかと心細くて…・。と話していた。

年の暮れになり 友人や知り合いの不調や訃報を聞くことが多くなり さみしい。
人間いつかは この世からおさらばするのだが 人にいい印象を与えながら去っていきたい。
亡き弟がいつも 姉ちゃん 死んだらただのごみだよ。生きているうちに好きなことしたほうがいいよ。 と言っていた。その弟も13回忌を迎えた。本当にいい弟だった。欲張りもせず 人の世話を焼き 子供をかわいがり 仕事を頑張り…・

おとうちゃん あと何年生きられそう? と聞くと両手を出して 10年という。
じゃあ 私はその前日にするわ じゃあ 僕はその前日だ と笑いながら言いあった。

アハハハハ

2019-12-28 16:41:44 | 日記
きのう図書館からの帰り 高架下を歩いていたら 中東風の顔をした中年の男性が そばに寄ってきて 私に何か聞いてきた。

その時は 補聴器をしていなかったので Wait a minutes! と言って スイッチを入れ
What? と聞いたら ○×△□%$#)=% というので perdon? と聞き返したら ○○駅はドコデスカ? とたどたどしい日本語。

Oh yeah. Go straight.
It takes three hundred meter.つい 英語で言っちゃった。
彼はにっこり笑って 分かった。ありがとう。というような日本語の言葉を言ってた。

夫と二人で外国を旅しているとき 道がわからなくなると 必ず女性に聞いた。スコットランドで 聖堂の行き方がわからないので 朝 出勤途中の 中年の婦人に尋ねたら ごめんなさい バスに遅れるからあの人に聞いて と その人に早口で教えるように言ってくれた

教わった道を歩いていったら バス停でさっきの女性にあった。 思わず駆け寄って 私が道を尋ねたから バスを1台ミスしたの? ううん そうじゃないのよ。バスが時刻より早くいってしまったの。こんなことなら あなたに道を教えればよかったわ。ごめんなさいね。

二人で笑いながらハグしたね。いっぺんにこの町が好きになった。


年末になると

2019-12-27 06:59:22 | 日記
忘れられない出来事がある。 結婚して初めての冬。

さむい冬だった。10月に結婚して 慣れない嫁ぎ先で日常が気の張りっぱなしだった。

しかし 勤務している間は日中うちにいないので それほど気にならなかったが 冬期休業に入った12月26日から 四六時中在宅。ちょうど妊娠したばかりで 体の調子も悪かったが お義母さんは容赦しなかった。

○○家の嫁の仕事は…・と言って次々に仕事を言いつける。休む暇もない。掃除 片づけ 買い物 料理 ・・・・永久に仕事はなくなることはなかった。一つが終われば ハイ 次はこれ。その間 夫はテレビを見ていた。

夕方になり 玄関の戸をきれいに拭いて!!!! はい。 
もう外は暗くなり 冷たい風が吹いていた。 ぞうきんを絞る手はかじかんできた。 
30分後 お義母さんが来て あんた!!!きれいにしてないじゃないの? 下の方に汚れが残っているわよ。やり直し。

7時を過ぎていた。7時半からのNHKの大河ドラマを見たかった。実家では いつもみんなで見ていた。 急いでおわらして テレビの前に座ろうとしたら 次の用事を言いつけられた。

この連続。ああああ しかし 実家の母につらいとは言えなかった。母は 家事が苦手の私を心配しているだろうなと思ったが 一切 何も言わなかった。電話も手紙も出さなかった。

その3か月後 他にも言えないほど たくさんの嫁いびりが続き 私は離婚するつもりで嫁ぎ先を出た。学校の近くにアパートを借りた。教職という仕事があるので ひとりでも 子供を育てるられる。

夫は子供の責任を取るといって一緒に出てくれて 以来 53年間 仲良く暮らしている。
自分の受けた数々のことは 半世紀以上たってもはっきりと覚えている。
だから次世代には決して同じことはするまいと思っている。 

次世代には 余計な口出しはしない 非難はしない お金は惜しみなく孫に使う。 
この3つのことは私がされなかったことだから。

年末になると 半世紀以上たっても あの風景 あの心情を思い出して涙することがある。