やまんばのひとりごと

あと何年 健康で生きられるかわからないけどその日まで この世に生きた足跡を残していきたいな。

昔の歌

2021-12-31 19:59:25 | 日記
今日の夕方 某テレビ局で 懐かしのメロディ―をやっていた。見るともなしに見ていたら 音が拾えるのだ。

思わず一緒に歌ったね。そして泣いたね。

耳が聞こえなくなって かろうじて真ん中の音だけ拾えるから 今風の歌はみんなおんなじにきこえるのだ。しかし20年前までは普通に聞こえていたのだから 本当の歌のメロディがわかるのだ。一緒に次から次へとうたったね。

懐かしのメロディが 人気があるのは こういうところにあるんじゃないかな。加齢して音程が拾える範囲が狭くなった人にとって 昔聞いた歌は ちゃんと歌えるからうれしいものだ。

今日も9時から歩きに行った。いつもとは違うコースで東へいった。目につくのは廃業したお店の多いこと。 区画整理で 廃業するのかと思うほど商店が軒並み閉ざされていた。あるのは大型チェーン店。あんなのが周りにあったら小さい小売店にはいかないだろうな

冬の太陽の高度は低い。南中の時刻になっても一切太陽が入らないうちが新築であるのだ。駅からだいぶ離れたところに建っている家。
南側に3階建ての家が建っていると 隣の2階にも太陽が差さないのだ。見ていて気の毒になった。太陽が冬の寒さの中でどんなに暖かいか 身にしみているので 見ていて気の毒になった。それを承知で買ったのかな。

今日もまた 稲荷神社を探して歩いた。 静かでひとけがなかったが ある神社では平成の時代に地域の篤志家6人で¥10000000の寄付をしたと石碑に彫ってあった。すごいなあ。何に使ったのだろう。 神社や寺は見えないところにお金がかかるのだろうか。

4時間歩いた。途中でおなかがすいたが 店に入って食べる気にならなくて スーパーで山形牛の駅弁を買って帰った。これがおいしかったのです。
温めて夫と半分こにして食べた。

22110歩 約13㎞。2021年の歩きおさめ。
来年こそは コロナにあたふたしない年になりますように。。



暮れの過ごし方

2021-12-30 17:59:06 | 日記
うちにいると どうしてもお互いに文句を言う機会が多くなってくる。もうプールもジムも図書館も お正月休みになっているので行くところがない。

だからお互いに外に行くことを考えている。

今日は 7つ先の駅まで電車に乗っていき 帰りは歩いてくることにした。
道路沿いはうるさいので川沿いを歩くことにした。
昨日は道に迷ってしまったので今日はしっかり大型地図をもって出発。

何度も歩いている道だが 季節が変わると見えるものも変わってくる。
他人様の家の植木をのぞき込み 花を見 その中で全然変わらないのは神社 寺。

この辺の神社は昔は村の中心地としてずいぶん栄えたのだろうが 今はあちこち朽ちている。お寺は無人寺が多く人の気配はない。しかし立派な石碑を見ると1000年前のものだとわかるものがある。戦前までは この時期 市が開かれたり 参拝者が多かったのだろうねえ。

こんな小さい社があちこちにあり じっと大きな木の下にたたずむと 昔の風が吹いてくるような気がする。
しかし12000歩を 超えるころになると足取りは重くなり 1分間に180歩で歩いていたのが 120歩にガクンと落ちてしまう。でも 決して休まない。

9時から歩き始めて 3時間。 ようやくうちに着いたら 夫は階段の上から
今 上がらないで!! と叫ぶので何事かと思うと ワックスをかけたのだそうだ。1階から3階までピカピカに磨いたらしい。

仕方なく踵を返して スーパーに買い物。
混んでるねえ。
何でもめんたまが飛び出るほど高いねえ。2割引きとなっていたが 始めから2割増しの値段をつけて2割引きにしたのじゃないかと思うほどなんでも高い。そうじゃないことは分かっているが そう思いたくなるほど去年に比べて高い。

coronaで仕事を失ったり 給料が減ったり 離婚したりした人たちにはつらい年末だろうなあ。
そんなことを考えて 今年はうちも いつもより小さい物 少量のものを買った。もう二人ともあまり食べられないのだ。 残るばかり。

もう いいかな と帰宅したら 床が輝いていた。
お父ちゃん頑張ったねえ というと嬉しそうに にっこりした。



年の暮れ

2021-12-29 19:08:50 | 日記
この時期になると決まって思い出すことがあり そのたびにくら―い気持ちになる。

55年前 私が結婚した年の初めての年の暮れ。
わたしが ようやく冬休みになっていたのを待っていた姑は 次から次へと仕事を言いつけて 座る暇もなかった。

今のようにお湯が簡単に使えない中で 手を真っ赤にしながら 掃除 炊事 洗濯をした。夜8時になっった時  玄関の格子戸を水拭きして と言われ はい
といったものの 真っ暗い玄関の外で涙をこぼしていた。 きょうはこれとこれをやってね と初めから言っておいてくれれば 時間配分や手順を考えてできるのに 1つ終わると この次は の連続。

わたしは奴隷? 無料でこき使える使用人? 
NHKで 大河ドラマの最終回だった。それをどうしても見たかったのだが・・何やってるの?テレビ見ている時じゃないでしょ


そのほかにも耐えられないことが重なり もう いいや 私は一人でも生きていける収入があるんだから こんな理不尽の扱いを受けるなんてもう御免だ。

年明けに家を飛び出した。 長男で 孝行息子だった夫は 責任を取る と言って一緒に家を出てくれた。

大掃除の季節になると決まってあの時のつらい思いがあふれてきて 決しておんなじことを次の世代にはしないぞ と思った。



いやはやの9歳児

2021-12-27 09:05:40 | 日記
昨日 3時からのプロバスットの試合を見に行った。・


9歳児も来ていtr私を双眼鏡で見つけて こっちの席の方がいいよと 迎えに来た。バスケチームの仲間と一緒だった

もう親とは座らないのよねえ。試合経過を仲間と楽しそうに話しいる。

試合は接戦で手に汗を握って声を出してはいけないので ベンチをたたいてひいきの選手のタオルを振って 応援したが私はつい よし!!ナイスドリブル!と大声で出しては 周りの人ににらまれていた。

すまん。

今日は お泊りする。 と宣言し我が家へ。
ちょうど夫の誕生日祝い膳を用意していたので 大喜び。

9時までバスケットの デスマッチ。
そこへ仕事が終わったお父さん(私の息子)が上がってきて お父さんも泊まろうかな 9歳児は大喜び。風呂に入って 楽しそう。しかし息子は家を出てから22年ぶりの泊まりだ。


しかし私は超忙しかった。座る間もなくドタバタドタバタ。

今朝息子は6時に起きて自宅に帰った。
30分後に起きた9歳児は すぐバスケ。 

いやはや 今日も夜7時まで忙しい日になりそうだ。



年賀状を書かなくては

2021-12-25 15:20:59 | 日記
この時期はいつも焦る。

現役の時から毎年少しづつ送る枚数を減らしてはいるものの 書くまでは気が重い。

夫と二人の写真を画面半分に置き 後は人によって言葉を変えて書く。

80歳を超えた友人たちは もうこれでおしまいにします。 の挨拶状が毎年増えつつある。しかし私は 生きている限り ちゃんと意識がある限り まだ字がちゃんと書ける限り 書こうと思っている。

今まで付き合いがあった人々に この世から消え去るその時まで 交流を持っていたいと思う。兄弟にはもちろん一番に書く。特にコロナ禍で会えなくなって2年余り、 私夫婦の写真を付けて送れば  きっとあの子もまだ元気なんだろうと 安心してくれるだろう。

また 新卒の時受け持った子からは もう定年になりました という賀状が来てびっくりすることがある。22歳の時 11歳の子を受け持ったから 私と11歳違い。退職する年齢になったんだなあと感慨深い。こんなことを知るのは年賀状の時だけだろう。 

夫はもう結婚してから 半世紀以上 年賀状は書かない。だからどなたからも来ない。もともと彼は人に興味ないからそれでいいと思っているらしい。書きなさいとも言わない。でも寂しいだろうなあ。