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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演4

2012年12月31日 | 日記



    ひまわりさんより(12月31日)

2012年もまもなく終わろうとしています。この1年、ブログを見ていて下さりありがとうございました。今年は、我が家にとっては激動の年でした。7月に引越しがあり、10月には仕事を変わりました。まさかこんなことになるとは思ってもいませんでしたが、神様のお支えにより、乗り越えることができました。でも、何と言っても、私にとって最大のことは、このブログを通して、永遠の福音、現代の真理を伝える道が開かれたことです。毎日、神様は、何か心に感じることを教えて下さり、ブログを続けることができました。今日は、イエス様が「私は道である」と言われたことを、カーナビを使いながら思いました。今日も、6軒の訪問がありましたが、次の家には、カーナビがなければ、私は絶対に行くことはできません。上から見て、道を教えてくれるカーナビには、本当に感謝しています。そして、私たちを上から見ていて下さるイエス様に従うことが一番だと思いました。また、イエス様は、私たちのための、天の聖所へ行く道そのものとなってくださいました。具体的にはそれは、イエス様が天の神様に対して持っておられたのと同じ信仰を持つことだと思います。来年も、そのイエス様の信仰へ近づく1年でありたいと思います。皆様の上に、神様の祝福がありますようにお祈りいたします。

  塵に伏させられる経験(デビット・カン講演4)

神様は、私が生まれつきどんな人間かということをよくご存知でしたので、私がありとあらゆる試練、迫害にあうことを、あえて許されました。特に私がこよなく愛していた教会から、教会内でそういった苦しみを受けました。私の親しい友人、親しかった牧師仲間たちが、急に私に反対して、私の最も苦い敵となってしまったのです。理解できませんでした。どうして私にそのようなことが起こるのか。セブンスデー・アドベンチストの本当のメッセージ、真理を発見して間もなく、セブンスデー・アドベンチストの信者や指導者たちが私を憎むようになっていたんです。
私はかつて人気のある人間でした。敵は作らない人間でした。作るのは大嫌いでした。しかし福音を語り出して以来、私は孤独の道を歩き始めることになったのです。そして、イエス様の十字架を負うということが理解できるようになりました。神様は私を「塵に伏させる」ような経験をさせられたのです。塵に伏させて、人に踏みにじられるような経験をさせられました。

*デビット・カン先生の講演会が、2013年3月29~31日、埼玉県比企郡嵐山町菅谷728 国立女性会館 で行われます。講演タイトル 「神はみ業をどのように速やかに完成されるか」詳しくは、0980-56-2783 サンライズミニストリーまでお問い合わせください。



生ける神の印 デビット・カン講演3

2012年12月30日 | 日記


   ひまわりさんより(12月30日)

新しい家の庭には、柚子の大きな木があり、200個ぐらい実をつけていました。ちょうど、教会で発行している雑誌『サインズ・オブ・ザ・タイムス』に、柚子の効用についての記事があり、柚子は、「糖尿病の予防や改善に効果がある、血圧を正常にする、血液中の悪玉コレステロールを低下させ、善玉コレステロール値を上昇させる、柚子にはレモンの3倍のビタミンCが含まれている」などのすごい効果があることが紹介されていました。そこで、夫に取ってきてもらい、汁はレモン絞り器で絞り、はちみつを入れてジュースとして飲むようにしました。皮は、圧力釜で煮たものを小さく切り、さらに煮てはちみつを加え、マーマレードジャムとして食べるようにしました。風味があってとてもおいしいし、ちょっと風邪気味かなと思う時には、柚子湯と柚子ジャムを食べると、それ以上ひどくならず、知らないうちによくなっています。神様は、風邪をひきやすい季節には、風邪の予防になるような果実を用意していて下さり、なんてありがたいのだろうと思いました。

   肉の思いを捧げる経験(デビット・カン講演3)

ところが福音の経験にあずかって以来、私は、自分の肉の思いを神様にささげる、神様に屈服させることについて学ぶことができたわけです。妻に対しても、自分を譲るといいますか、そういったことを学ぶことができました。若い頃は、私は37年前に結婚したのですけれども、その時私は、まあ、一生私にかしずいてくれる僕ができたぞという思いでした。母親も私の4人の姉妹も、私に仕えていてくれたのです。妻として私に仕えてくれる人がもう1人増えたぞと思ったわけです。神様のみ前で悔い改め、罪を告白し、神様に屈服してからは、妻に対しても屈服することができるようになりました。

*デビット・カン先生の講演会が、2013年3月29~31日、埼玉県比企郡嵐山町菅谷728 国立女性会館 で行われます。講演タイトル 「神はみ業をどのように速やかに完成されるか」 詳しくは、0980-56-2783 サンライズミニストリーまでお問い合わせください。






デビット・カン講演(生ける神の印)

2012年12月29日 | 日記



    ひまわりさんより(12月29日)

ローマ2:4には、「神の慈愛があなたを悔改めに導くことを知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか」とあります。私は、この悔改めということが分からなくて悩んでいた時期が長くありました。悔いるというと、「私はこんなことをやってきました」とか、「こんなにひどいものでした」と言って自分を嘆くことのように感じていて、一日中、「神様ごめんなさい。私は罪人です。私は本当にどうしようもないものでした」と言い続けていたこともありました。でも今では、悔い改めというのは、自分を支配してきた、闇の霊に従わないで、み言葉を優先して生きていくことで、そのような思いがどんどん強くなっていくことではないか、と思うようになってきました。悔改めというのは、そのような路線上にあるのではないか、と思っていますがどうなのでしょうか。

    かつての私(デビット・カン講演2)

私はかつてはとても高慢な人間でした。何をやっても自分は一番になれると思っていたことがありました。家族の者から、また教会員、友人たちから、たくさん称賛されていました。教会では牧師として働いていましたので、学校等でもいろんな会議の議長とかに任命され、そういったいろんな責任を負わされていたわけです。そして、聖歌隊ではいつも指揮者に選ばれていました。何をやっても、人よりすぐれた人間として目立っていたわけです。必然的に私は、高慢な人間になっていきました。教会員が私のところに来て、「誰々先生の説教を聞いたことがありますか」、と尋ねられたことがありました。「素晴らしい説教をなさる方がいますよ」とかそういう話を聞くと、わたしは嫉妬の念にかられるわけです。いつも自分が一番になりたかったのです。







 生ける神の印  デビット・カン講演

2012年12月28日 | 日記



    ひまわりさんより(12月28日)

今日は、朝3時にパッチリ目が覚めましたので、これは聖書を読みなさいということだろうと思って、ローマ人への手紙を始めから読みました。ローマ1:29には「彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、不遜な者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無常、無慈悲な者となっている」。そして、2章1節では、「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。・・・ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか、それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか」とあります。以前は、前半を読んで、まさか自分はここまではひどくないんじゃないか、と思っていましたが、後半では、あなたも同じだというのです。それは、どうも受け入れがたいと思っていました。でも、聖所の研究を通して、霊の世界の事が分かってくると、人間は、すべての人が悪の霊に支配されているのだから、表面に出ているかどうかの違いであって、本質は同じなのだと思いました。今は、本当にこのような者ですという思いで読んでいます。そして、人間を破壊する、この悪の霊に従ってなるものか、という、強い思いになってきました。

      生ける神の印 
  
   本当の福音を語った結果(デビット・カン講演1)

イエス・キリストは、この世の何ものにも勝るお方であります。私がこの自給伝道の道に入った頃でありますけども、私は自分がどういう世界に入っていっているのか、自分では全くわからない状態でした。私はSDA教団の中でだけ教育を受けたものでありました。教会牧師として、教団から給料を受け取って働くということ以外の経験をしたことがなかったわけです。教会の牧師として働くということは、給料はもらえますし、いろんな補助もありますし、働き自体は比較的簡単なんです。私の家内は看護師でありました。彼女は牧師の娘だったんですね。義理の父は永年教会の出版事業の責任も持っていました。そして、とても忠実な牧師でありました。そのような父を持った私の家内は、伝道の働きをすることについては、家庭で訓練を受けている女性であったわけです。
神様が、私に真の福音の経験をさせてくださってから、本物のアドベンチストのメッセージを語り始めたわけです。本当の福音ですね。イエス様がまもなくおいでになるというので、教会員に悔い改めを呼びかけたわけです。率直な証しを語るようになりました。教会内の特定の罪や問題なども、ズバリ指摘するようになりました。それから私は、様々な非難、迫害などを受けるようになっていったのです。






後の雨に備える(デビット・カン講演30)

2012年12月27日 | 日記



    ひまわりさんより(12月27日)

昨日の日課の言葉をご紹介いたします。「幾百万という人々が、サタンの欺瞞的主張に服することを断固として拒んだために、汚名を着せられて墓にくだっていった。彼らは、人間の法廷において、最悪の犯罪人であると宣告された、しかし今、『神はみずから、さばきぬし・・・である』(詩篇50:6)。今、地上の判決はくつがえされる。・・・彼らはもはや、弱く、苦しめられ、追い散らされ、圧迫される人々ではない。これからは、彼らは、いつまでも主とともにいるのである。彼らは地上のどんな栄誉ある人も着たことのない美しい衣を着て、み座の前に立つ・・・痛みとなげきの時は、永遠に過ぎ去った。栄光の王が、すべての者の顔から涙をぬぐいとって下さった。悲しみの原因はすべて取り去られた」(各時代の大争闘下巻432p)。私は、以前にはこういう所を読むと、恐怖感が起きてきました。迫害にあうなんて嫌だなーと思っていました。でも今は、このしばらくの苦しみを過ごせば、全宇宙に神様の律法が擁護されるのだと思って、すごくありがたいと思います。そして、聖書や証の書は、すべて、最終時代に神の律法の擁護者として立つ人々への慰めと励ましのメッセージだと思うようになりました。

   《 祈り 》

天のお父様、あなたが私たちに与えてくださった光、真理を感謝いたします。お父様、私たちの心を清めてください。あらゆる汚れから清めてください。世のあらゆる悪から私たちを清めてください。永遠に救われるのに安全な者になりたいと願います。何が起ころうと、私たちは、罪深い生活をもう送りたくはありません。イエス様の心を心とさせてください。あなたの後の雨を受けるようになりたいのです。働きを終えて、天の故郷に帰りたいと思います。もうこれ以上、罪深い世界にとどまりたいとは思いません。
神様、どうぞ私たちに聖霊を与えてください。この教会を祝福してください。イエス様の御名を通してお祈りいたします。 アァメン
(デビット・カン先生の『後の雨に備える』のメッセージは今回が最終回です。明日からは、新しいメッセージとなります)