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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演8)

2012年12月05日 | 日記



     ひまわりさんより(12月5日)

私は、最近の機械はどれも苦手で、携帯、パソコンなど、フーフー言いながら使っています。特にパソコンは、前の職場では、難しいものは事務の女の子に頼むとすぐやってくれていましたが、新しい仕事場では何でも、自分でやらなければなりません。今までは、表を作るのは、ワードで文を書いて、定規で線を書いていましたが、今日、弟が、エクセルの使い方を教えてくれました。エクセルは、周りの人はみんな、「便利だよ。使ってみたら」と言ってくれていたのですが、食わず嫌いというか、覚えるのが難しそうでやってみようという気にさえなりませんでした。でも、私がエクセルを覚えて仕事をどんどんこなしていかないと、弟の仕事が増えるばかりなので、必要に迫られて教えてくれることになったのです。弟は、決してていねいに教えてくれたわけではありませんが、やってみると、確かにエクセルは便利だということが分かりました。まだ、そんなに使えるわけではありませんが、こんなに便利なものを、もっと早く覚えておけばよかったと思いました。難しいという消極的な考えや、面倒くさいという怠惰な思いを優先してしまって、便利なものを使えないでいたのです。「まずやってみよう」、とか、「できないなら繰り返しやってみよう」、という気持ちが大切なのだと思いました。
 
     恵みによる勝利(デビット・カン講演8)

私たちは神様の恵みによって、すべての罪に勝利することができますか? どうでしょうか? すべての罪ですか? すべての罪に勝利できるようになることを、みなさん信じていますか。心をつくして神を愛するならば、私たちはすべての罪にうち勝つことができるのです。これこそがイエスの信仰であります。これが品性の完全なのです。神様の恵みによって、神様の愛によって、神様のすべての戒めに従うことができます。すべての罪、すべての誘惑に勝利するのです。これが、品性完成の定義なのです。
 このような、状態ですね。これは、到達すべきレベルのことを言っているのではないのです。ですから、聖書には、「すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れたものであるから、罪を犯すことができない」(1ヨハネ3:9)とあります。罪を犯さないと言っているのではなくて、罪を犯すことができない、と言っているんです。もし、神の種が私たちのうちにとどまるならば・・・。神の種とは何でしょう。み言葉のことです。神の言葉が力であることを信じるならば・・・。神様が「光あれ」と言われたとき、そこに光がありましたね。瞬時にして、そこに光が現れました。全く時間はかかりませんでした。