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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

日曜休業令の切迫24

2013年02月28日 | 日記


   ひまわりさんより(2月28日)

今日読んだ日課の言葉に、「憎しみに対して愛で報いるのは神の聖霊だけである。感謝の気持ちのない者や悪しき者に親切をつくし、何もあてにしないで善をなすこと――これが天の王家の紋章であり・・・」とありました。ここを読んですごい言葉だなーと思っていたら、早速そのような場面に遭いました。感謝がなくて不平しか言わない、何かあるとすぐこちらのせいにする人の所へ訪問することになったのです。一瞬、戸惑いましたが、そういえば、王家の紋章は、「感謝のない者に親切をつくすことだったなー」と思い、気を取り直して、「王家の紋章、王家の紋章」と言いながら、「イエス様の動機と希望をお与えください」と祈って、平安のうちに出かけることができました。実際に行ってみると、いろいろなことがあり、1時間の予定が2時間になったりして、かなりダメージを受けてしまいました。「王家の紋章」は祈っていれば手に入るのではなく、このような訓練を通して身につけていくのだと思いました。

   日曜休業令の切迫24  回勅の意味 2

④56ページで、教会は社会のあらゆる分野に影響力を発揮しなければならないと、法王は述べている。神は、公共の領域、とりわけその文化的、社会的、経済的、さらにその政治的範囲に関して場を占めなければならないから、というわけである
⑤3章において、新しい世界規模の政治権力は、政府が富を再配分するために、釈迦氏主義的政策を制定するであろうと、法王は述べている。またそこでは、労働組合が決定的役割を果たすことになるであろうとも述べている。
 これも衝撃的ではないでしょうか。
⑥7ページで、この回勅は、「神の普遍都市」を建設するための人類家族の目標」に到達する手助けとなる者であると、法王ベネディクト16世は述べている。( 注:アウグスチヌスは『神の都』という本を書き、その中で、ローマ・カトリック教会による世界的神政支配をうたっており、以来それが、ローマ教会の目標になっている )
⑦9ページで、法王は、「いかなるやり方でも国政に干渉すべきでない」と主張しながら、『自由』という言葉を再定義し、それはローマ教会の霊的価値観によって形づくられた法律(律法)に世界が従う時に実現するものであると述べている。法王によると《ローマ》教会が諸国家に感化を及ぼして、自らの「真理」観を他者に強要するときに、民衆は『自由』になるというのである。「この真理の使命は、教会が決して放棄することのないものである」

     宮沢賢治考


『雨ニモマケズ』には、実はモデルではないかと言われる人物がいる。岩手のトルストイとも言われた無教会派のクリスチャン斉藤宗次郎である。彼はお寺の子として生まれたが、師範学校在学中に内村鑑三の本を読んで感激し、信仰へ入り、内村を生涯の師としたのである。小学校の教師となった宗次郎は、赴任先で宗教を語ったということで転勤させられ、次の学校では休職を命じられ、教職を離れざるをえなくなった。明治30年代の岩手・花巻では、キリスト教に対する無理解、反発は大きく、人から石を投げられたり、刀でおどされたりしたこともあったという。また、長女愛子は、「ヤソの子」としていじめられ、8歳の時に級友の男の子に腹を蹴られたことが原因で亡くなってしまった。重なる悲しみにも負けず、新聞店を営むようになった宗次郎は、雨の日も、風の日も、新聞配達をしながら人々にキリストの福音を説いたのである。大正時代になると、新聞の集金を理由に、以前からの知り合いで、花巻農学校の教師となっていた宮沢賢治と、ベートーベンや、モーツアルトの音楽について、信仰について語りあっていた。大正14年2月の日記には、農学校の校長が、「近頃は寒気が厳しいから朝早く働くのはつらいでしょう」と聞いたのに対して、「目を覚ましたらまず、新生の喜びを感じ、希望と感謝をもって進むのです」と答え、居並ぶ校長、賢治ほかの先生たちと大笑いしたと書き記している。信仰のゆえに、いっさいを失ってもなお、人々に豊かな心を与え続けた宗次郎は、まさに賢治があこがれた「デクノボー」であったのかもしれない。



日曜休業令の切迫23

2013年02月27日 | 日記


     ひまわりさんより(2月27日)

先日ジョイの小屋を作った時、ここに、可愛いネームプレートをつけたいなーと思っていました。息子にそのことを話したら、息子もそうしようと思っていたというのです。つくづく、親子というのは似ているのだなーと思いました。今日の朝の日課の中に、「もし神の子供であれば、あなたがたは神の性質をうけついでおり、従って神に似たものとならざるを得ない」(E・G・ホワイト『祝福の山』)とありました。私たちは、イエス様によって、神の子としていただいたのですから、神様に似る者となることができるのだという、確信と希望が与えられました。
  
    日曜休業令の切迫 回勅の意味 1

この回勅に、興味深いことが書かれています。回勅の内容は、次の7点にまとめることができます。①ベネディクト16世は、世界経済の問題修復のために、『真の世界的政治権力』を要求している。(67p頁)
②この『政治権力』は、その法律を世界に施行する権力を持つものでなければならない、と述べている。(同頁)
③この新しい政治権力は、霊的価値に基づいて決定し、すべての宗教が対等ではないのだから、これらの霊的価値は単にどの宗教からも引き出し得るといったものではないと、法王は述べている。そこで、法王教がこの権力のかしらとして君臨すべきであるというわけである。(55頁)
 驚かれましたか。これはショッキングな声明ですね。国々を治める新しい権威を打ち立てなければならないと言っているわけです。そして、各国はその権威に従わなくてはならないと言っているわけです。さらにこの権威は、ローマカトリックの価値観に基づいて打ち立てられなければならないと言っているわけです。どうしてそんなことが言えるのでしょう。しかし、多くのアドベンチストが、法王のこのような声明に無頓着でいるんです。教会で牧師たちが、信徒に教えることもありません。ですから、神の民は闇の中にいるわけです。愚かな乙女として、寝ている状態にあります。






日曜休業令の切迫22

2013年02月26日 | 日記


     ひまわりさんより(2月26日)

今日の朝、職場に着いたら、2月11日に植えたジュリアンがすっかりしなだれていました。水はけがいいので、水をやってもすぐに乾いてしまって水不足になったようでした。急いで水をやったら、お昼にはシャキッしていました。その時私は、花はすごく大事な霊的教訓を伝えているなーということを感じました。それは、イエス様の命の水をいつもいただいていないと、こうなってしまうのだということです。命の水とは、イエス様のみ言葉だと思いますが、それをただ使ったり眺めたりしているのでなく、体験して自分自身のものとなった時、花が元気になったように、私も生き生きとさせてもらうのだと思いました。

     日曜休業令の切迫 22 資本主義の失敗?

かつて、ラッツィンガー枢機卿と呼ばれていた人が、ベネディクト16世になって、回勅というのを布告しました。国々の総理大臣、大統領たちにあてたものです。この手紙は、世界中のローマ・カトリック信徒に宛てられたものではなくて、各国の大統領、総理大臣など国家の指導者たちに宛てられたものです。これが送られたのが2009年7月7日のことでした。その回勅の題が、「カリタス イン ベリダテ」。意味は、「真理における博愛」というものでした。私たちは真理のうちに、互いに愛し合わなくてはならないというものです。その真理というのは何かというと、ロ―マカトリック教会のとく真理なのです。ローマ・カトリック教会の規則に従って、どのように経済問題を解決していくかということが書かれています。その回勅の中で、資本主義は失敗したと言っています。そういった言葉を聞いたことがありますか。アメリカのオバマ大統領も資本主義は失敗したと言っています。資本主義というのは、大きな用語ですね。今こそ社会主義を取り入れるべき時であると、ローマ法王は言っています。これは本当に衝撃を覚えるような内容です。社会主義というのは、つまり共産主義であります。最近オバマ大統領が、アメリカでちょくちょく言っていることをご存じですか。彼が言うには、私たちは、富を再配分しなければいけないというわけです。どういう意味でしょうか。富の再配分、これこそ共産主義、社会主義なのです。裕福な人からお金を取り上げて、貧しい人たちに配るということです。
 現在アメリカでは、貧しい人たちに、どんどん紙幣を刷って配っているんですね。また、大きな負債を抱えている大企業とかに、紙幣を刷って援助しているんです。政府によって経済がコントロールされている、これこそが社会主義です。

     市原の民話紙芝居 市兵衛の願い 最終回


「市兵衛、どうぞ、私が死んだらあなたの隣に墓を建てさせてください。私は死んでもあなたから離れたくないのです」
かつての主人次郎兵衛は、そう言って、生涯市兵衛に感謝することを忘れませんでした。
その後市兵衛は、総名主として立派な働きを続け、享保19年72歳で亡くなりました。市兵衛と次郎兵衛の二人の墓は、最近まで市原市姉崎の妙経寺に仲良く並んで建っていました。(現在は改葬され市兵衛の記念碑が建っています)
 
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

    参考文献
『忠僕市兵衛物語』斉藤孝三
『女神さまは松が嫌い』酒井登志生





日曜休業令の切迫21

2013年02月25日 | 日記

           (世界らん展より)


     ひまわりさんより(2月25日)
「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(黙示録22:20)。イエス様の再臨を待ち望む神の民には、いつイエス様が来られてもいいように準備するという喜びに満ちた緊張感があります。それは、エノクや、エリヤのように、生きてイエス様にお会いする備えをするということです。『実がいると、すぐにかまをいれる。刈入れ時がきたからである』「キリストは、ご自分の教会の中に、ご自身をあらわそうと熱望しておられる。キリストの品性が完全に神の民の中に再現された時に、彼らをご自分の所に迎えるために、主は来られるのである」(希望の光1211p)。昔、このような文を読むと、とてもありえないことで、自分に関係があるとは思えませんでした。でも、カン先生のメッセージを何回も聞いて、特に聖所の勉強を深くするようになってから、今まで自分を支配していたのは、不可能の霊だけど、イエス様の霊は、可能性の霊だから、聖書や証の書に書かれていることは、必ずなるのだという確信と希望が与えられました。しかも、神様が、どんなにそのことを願っておられるかという思いが迫ってきて、それにお応えしたいという気持ちが強くなってきています。

     日曜休業令の切迫 21 困難な時代の到来
自分たちが売ろうとしていた不動産の価格が、半減してしまったら、どうやって残っているローンを払うことができるでしょう。もう誰も、下落した不動産を欲しがらなくなりました。諦めて、破産宣告をするわけです。もう払えませんと・・・。アメリカの不動産価格は、そのような形で破綻しました。そして、何千、何百万という人たちが、自分たちの財産、老後の蓄えといったものを失ってしまったのです。そこから、アメリカ経済が坂道を下り始めたのです。それが起こったのが2008年のことでした。今年(2011年)の終わりから、来年にかけて、さらに悪い経済破たんがアメリカを襲います。経済的にうまくいっている時には、政府の言うことを聞く必要はないんですね。自分の家に自分の畑があって、そこから食料を得られるならば、外で起こっていることを心配しなくていいわけです。しかし私たちは、経済的奴隷になってしまったので、私たちが通常食料を買うスーパーマーケットが閉じてしまったら、政府が食料を配給するためのチケットをもらって下さいということになるわけです。
世界中で、飢餓が起こっているのを、みなさん見ていますか。異常気象とかが起こって、自然災害が起こって、いろんな疫病が起こって、遅かれ早かれ、本当に困難な時代がやってきます。こういった問題があるんです。多くの人が、この世界は、この状態でずっといつまでも続くと思っています。ある時、突然すべてが止まってしまいます。そして、世界の経済問題をどのようにして解決すべきかということで、G8サミットが開かれたわけです。

    市原の民話紙芝居 市兵衛の願い 第11回


「市兵衛ありがとう。お前のおかげで国に帰ることができました」。主人の次郎兵衛は涙を流しながら、市兵衛の両手を握りしめて感謝を表しました。市兵衛が喜んだのは言うまでもありません。
その後市兵衛は、幕府よりたくさんのほうびを受けることとなりました。また、土地の大名であった、水野壱岐守からも、「わが藩最大の名誉である」として、たくさんの土地とお金、刀、着物などを受けました。また、鉄砲事件いらい、空席になっていた姉崎村総名主になるよう命じられ、苗字をつけ、刀を差すことが許される身分となり、初代斉藤市兵衛と名乗るようになったのです。
また、江戸で市兵衛を物心両面から支えた姉崎屋四郎右衛門も、よい働きをしたということで、たくさんのほうびを受け、このあと永久に幕府に米を納めることができる特権を受けたのでした。




日曜休業令の切迫20

2013年02月24日 | 日記

     世界らん展より
    
     ひまわりさんより(2月24日)

私は長いことお年寄りの看護、介護の仕事に携わってきましたが、そこでいつも心を引き締められるのは、お年寄りの方々にサービスするのは今日が最後かもしれないという緊張感です。今日が最後の日かもしれない、という思いで心をこめてケアしないと、次にできるかどうかは分からないのです。あのときここまでやってあげればよかった、という後悔をしないためにも、今日できることは全部やってあげたいと思います。そして、アドベンチストのメッセージというのも、背後にはそのような緊張感が必要なのだと思いました。
お客様がいつ来られてもいいように、部屋をきれいにしておくように、イエス様が、いつ来られてもよいように、心を整えていきたいと思います。
「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(黙示録22:20)

    日曜休業令の切迫 20 アメリカ経済の破綻は目前

外国人の投資したお金です。アメリカの中央銀行が、そういった裕福な人たちに、アメリカの不動産、ビルとかを買うように勧めるわけですね。そのために、利子を下げます。そして、誰でもお金を借りることができるように、その規則を簡単にするわけです。そのために大勢の人たちが家を買うわけです。2番目の家、3番目の家、4番目、5番目の家と、どんどん購入していくわけです。銀行からお金を借りて不動産とかに投資をするわけです。そういった形で、土地とかの価格がどんどん上がっていくわけです。小さい家一軒でも、時には1億円ぐらいの値段がつくことがあったわけです。不動産の価格というのは、どうやって上がっていくのですか。同じ不動産を大勢の人が買いたいと希望するときに、その不動産価格というのは上がっていくわけです。しかし、これは全部仕組まれたものなんです。アメリカ経済を破綻させるために・・・。そして、突如高騰した価格が下落するわけです。その勢いが急に止まるわけです。20年とかのローンを組んでいて、それができなくなったら破産状態になってしまいます。自分たちの投資した不動産の価格がどんどん暴落してしまうので、ローンが払えなくなるわけです。

    市原の民話紙芝居 市兵衛の願い  第10回


萩原近江守の差し出す市兵衛の訴えを読んだ、時の幕府側用人、柳沢吉保(赤穂浪士を裁いたことでことで知られる)は、しばらく首をたれて黙っていました。やがて、涙を浮かべながら、膝を「ハッタ」とたたいて、「でかした市兵衛とやら、自分のことを忘れ、主人に代わって罪に服したいとは、よくよく立派な心がけである。人はこのようにありたいものだ。市兵衛にほうびを与えよ」と言い渡したのでした。
幕府の老中という偉い人たちもみんな、市兵衛の行動は、赤穂浪士以上の立派な行いであるとして、市兵衛にほうびを与える決定が出されました。しかし、ほうびをもらうことで喜ぶ市兵衛ではありません。市兵衛の願いは、ご主人の次郎兵衛が許されて、姉崎へ帰ってくることでした。市兵衛はほうびを断り、何としても次郎兵衛が許されることを訴え続けたのです。
ついに、事件から11年後の宝永2年1月、この話は5代将軍徳川綱吉の決定により、伊豆へ流されていた次郎兵衛はじめ、八丈島へ流されていた名主たち全員も許されて故郷へ帰ることができるようになりました。そして、翌年の宝永3年5月、全員は無事姉崎へ着いたのです。