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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

霊的な心  第14回

2015年05月27日 | 日記

私たちが食べたり飲んだりするものが、私たちの思考、想像、思いを左右するんです。皆さんの夫、あるいは妻がどんなに顔立ちが整っていても、そんなことはどうでもいいんです。しかし、内臓に消化不良があったら、その人は美しい人とは言えないのです。女であれ男であれ、消化不良がある時点でその人は病的状態なのです。

私たちの思いや想像も、私たちの内蔵、胃腸の状態によって左右されます。影響を受けます。そして外から入ってくるありとあらゆる情報に左右されてしまいます。ですから、私たちが誘惑を受けた時、決してイエス様の思い、思考を逃してはいけません。失ってはいけません。勝手に駆け回る野生馬の様に、自分の思いを駆け巡らせてはいけないのです。ただ神様にこう語って下さい。「主イエス様、私の思い、すべての想像力をあなたの僕としたいと思います。どうか、あなたがこれをご支配下さい。私には出来ません。私を救って下さい」。「助けて下さい」ではないですよ。「救って下さい。主よ、私の思いの全てをあなたの足もとに置きたいのです」

今現在、大きな強い誘惑を受けていると感じていても、様々な誘惑、罪深い衝動、そういったものに引っぱられるような状況にあっても、サタンがあなたを捕らえて、あなたの思いをサタンのもとに引っぱろうとしているように感じても、それでもいいんです。まだ失ってはいません。負けてはいません。その時こそ叫んで下さい。「神様、私を救って下さい。私の思いをあなたに支配して頂きたいのです」。

 


霊的な心 第13回

2015年05月26日 | 日記

 

 

韓国に行きますと、韓国には美しい女性が大勢いるそうです。時には、「おや、この人前よりもいっそう美しくなっている」と思う人がいるんですね。そして韓国の町を歩いていると、韓国の女性ってなんて美しいんだと感じることがあります。どうしてそういう風に感じるか、お分かりになりますか?理由は二つあります。あまりにも化粧をして美しく仕立てあげているから。化粧業界の技術がどんどん向上しているということです。ある時には、化粧前と化粧後の違いにショックを受けることがあります。あまりにも衝撃的なことがあります。時々、眉毛の全然ない女性に会うことがあります。ところが町に出る時、その人はきれいな美しい眉毛を備えています。どういうことですか?。偽物なんですね。こうしたことは、間違った創造によるものなんです。

もう一つが整形。突如として鼻が高く、きれいになっている人がいます。顎の形を変えてしまいます。髪の色も染めてきれいにして、全く違う人に見えることがあります。ある医者の友人がいて、彼が私にこういうことを言ってくれたことがあります。

多くの患者がやって来て、こういうことを要求するというんですね。美しい女優の写真を持ってきて、「先生、私の顔をこういう風にしてくれませんか?」。「もう、馬鹿げているよ」と、言うんですね、医者の友人は。時にはあまり顔がきれいでなくて、はっきり言えば不細工なのに、とても不可能なことを要求するというのです。しかも、ちょっといじるだけで、多額のお金がかかってしまうと。そしてなおすのに一年も二年かかるのです。しかし、今は技術が進歩していて、医学的に科学的にだんだん色んなことが可能になって来ているそうです。顔全体を全く違う人のように、見かけを変えることができるようになってきています。本当に何という時代に私たちはいることでしょう。女性だけでなく男性も、こういった整形手術を受けている人が、少なくないんです。本当に人は狂気に走っています。

町を歩いている多くの人が、偽者なのです。しかし私たちは今、神様のような本物の品性、人格、性格を築いていく時なのです。これがイエス様のみかたちです。イエス様に私たちの思い、想像をすべて捧げる時、誘惑されても、色んな汚れた思い、衝動が襲ってきても、汚れた誘惑が襲ってきても、汚れた思いを巡らすように促されても・・・。そういう時どうしますか。まずはっきりと、一つのことを理解していなくてはなりません。自分の思いをイエス様のとりこにしていただく、そういった能力、力は自分のうちにはないということです。何かの汚れた想像を思い巡らす時、「ああ、そんなのいけない、いけない」と一生懸命抵抗しても、誘惑は強まる一方なのです。私が言わんとしていること、お分かりになりますか?自分の力で抵抗しようとしても、誘惑は強まる一方なのです。私たちの思考というのはそういう風になっているのです。

 


霊的な心 第12回

2015年05月25日 | 日記

再臨に備える生き方

イエス様の再臨の用意が出来ている者となりたいですよね。勝利者となりたいですか?キリストのようになりたいでしょうか?こういったことを考え、思い巡らして下さい。『コリント人への第二の手紙』10章3節から6節をご覧下さい。

「わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、“ここを良く聞いて下さい。5節ですね”神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ」。

これが救いの科学の秘訣です。皆さん、救われたいと思いますか?それならすべての思い、想像力をイエス様に捧げ、イエス様のとりことしてもらわなくてはいけません!イエス様にすべての思い、想像を捕らえていただかなくてはならないのです。これを「幸福な僕」と言います。

6節をお読みします。「そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである」。私たちの従順がすべて、本当に心から喜んでなされることであるなら、私たちはイエス・キリストのとりこになっているのです。その時神様は、悪人たちを裁いて、彼らを滅ぼすわざをなさいます。神様は皆さんの思い、思考を求めておられます。

私の思いを神様は求めておられます。そして私たちの思考を神様のみ心に従って形作りたいと望んでおられるのです。時には誘惑に会うことがありますか?もちろんそうですね。何か強い誘惑を受けて、心が動くことがありますか?ありますね。「ああ、あれ欲しいな」とか、「あれがあれば幸せになれるのに」とか、「ああいうきれいな人になれたら、本当に幸福になれるのに」、「あれだけのお金持ちになれたら幸福になれるはずなのに」、この世のたくさんのものが皆さんを誘惑してきますか。その通りですね。

 


霊的な心 第11回

2015年05月24日 | 日記

あらゆる事物、情報が私たちを攻撃してきます。スポーツのこととか、美男美女からなる俳優たちとか、ヨン様とか世俗の音楽とか、そういうものを通して、サタンは私たちを良からぬらぬ思いへと駆り立てようとしているのです。私たちにいろいろな画像を吹き込もうとしています。そして一瞬一瞬、思いを吹き込もうとしています。暗示しています。本とか音楽を通して、テレビを通して、新聞を通して、もう、色んなメディアを通して、最近ではスマートホンというのがありますね。そういったものを通して私たちの思考、思いのうちに、汚れた情報が取り込まれようとしているのです。

聖書によりますと、洪水前の人々は、「すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかり」(創世記6:5)であったと言われていますね。サタンは当時の人々の思いを汚して、彼らの魂を手中に納めてしまったのです。ですから神様は洪水をもたらして、世界を滅ぼさなくてはいけなくなりました。彼らの思考パターンはそのように固まってしまったのです。そして、その思考パターンが、彼らの人生における習慣となってしまいました。もうその傾向が一方向に凝り固まってしまって、もはや神様の側に矯正不能となってしまいました。神様は彼らを滅ぼす以外に何もすることができなくなってしまわれました。

そしてイエス様は、私たちがノアの時代に住んでいるようだとおっしゃいました。ノアの時代のような時代ですね。サタンが私たちの思考、思いを汚すことができるならば、私たちの魂を手中に納めることができるわけです。特に若い人は気をつけて下さい。思い、どのような思いを抱くか気をつけて下さい。どこにでも勝手に行ってしまう野生馬の様に、自分の思考をかけ巡らしてしまうならば、いつでも何か良からぬことを考え、想像しているならばサタンのとりこになってしまいます。

神様の戒めには、「むさぼってはならない」とありますね。どのようにして私たちはむさぼるのでしょうか。思いにおいてなのです。「姦淫してはならない」とありますね。どのように姦淫の罪を犯すのでしょうか。思いにおいてです。汚れた思いを抱くことによってです。教会に行くと、本当に紳士淑女の格好をした人たちが大勢座っていますよね。そしてイエス様の名によって讃美歌を歌います。ところが、その人たちの多くが姦淫を犯す者たちなのです。自分たちの思いにおいて、姦淫、汚れたことを行なうのです。それを行なう機会がないために行動には起こしませんけれど、思いにおいては、そのような罪を犯しているんですね。思いを守ることがいかに重要なことか皆さんおわかりでしょうか。


霊的な心 第10回

2015年05月23日 | 日記

 

サタンの攻撃の手段

『詩篇』139篇3節4節をお読みします。「あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。私の舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます」。

『歴代誌上』28章9節なんですけれども、「主はすべての心を探り、すべての思いを悟られる」と書かれています。神様は私たちの人生に何を望んでおられると思いますか?神様はある特定のことを私たちに望んでおられるのです。それを得られたら神様は私たちを救うことがお出来になるのです。もし私たちがそれを神様に捧げるならば、神様はそれを使ってイエス様のみかたちへと、私たちを形作ることがお出来になるのです。

すでに申し上げたことですけれど、私たちは品性の完成に向かっていても、イエス様と全く同じになるわけではありません。イエス様と同じくらい、全く同じくらいに親切な優しい心を持つようになるわけではありません。イエス様ほど愛情深い、あわれみ深い、情け深い者になるわけではありません。イエス様の表された謙遜に匹敵するような謙遜に達することはありません。しかし、イエス様の模範をまねる、模倣することができるようになるのです。そして、イエス様のご品性に似た者となることができるのです。

どうやってでしょうか。どうやって?知らないで誰かの品性をまねることが出来るでしょうか。ではどうやって、あることを知ることが出来るのでしょうか。どうやって、あるものを思いのうちに取り込むことができるのでしょうか。どうやってあるものを思い巡らして、理解に、悟りに至ることができるのでしょう。“思いによって”です。思い巡らすことによって、何かを取り込むことができます。思いで、「あそこにカメラがあるな」と認めるわけです。「あ、あの人が今僕の写真を撮っている」とか、そのカメラの機能とかそういったものを把握して、自分の思いで理解することができるのです。一瞬にして・・・。

私が目を閉じている時何が見えるでしょうか。そのカメラを、まだ思いにおいて見ることができます。そこに若いご夫婦が座っていらっしゃいます。彼らのことを知っています。彼らは私が間違っていなければ、新婚旅行をまだ楽しんでいる最中だと思います。まあ、新婚期間ということでしょうか。その新婚生活を満喫しておられると思います。口げんかなんかしませんよね。本当に幸福な時期だと思います。もう、あっという間に彼らのことを自分の中に取り込みます。どうして彼らを思いのうちに捕らえられるのでしょうか。思考によってです。そのように、私たちの思考、想像力を働かせて、神様を知るように努めなさいと神様は私たちに求めておられるのです。同時にサタンもまた、私たちの思いを通して自分の思いを吹き込もうとしています。