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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演22)

2012年12月19日 | 日記


      ひまわりさんより(12月19日)

我が家のジョイは、気ままに飛び跳ねるのが好きで、散歩のときも相当制しないと、自分の行きたい方へぐいぐい引っ張っていきます(夫に言わせると、しつけが全然なっていないのだそうです)。そんな時、「ジョイ」と呼んで、しっかりアイコンタクトを取り、「いい子ね」というと、急にいい子になっておとなしく私の横を歩くのですが、30秒ぐらいすると、また、ビューッと走り出してしまいます。人間と神様との関係もこういうものではないかと思いました。人間は、何かのことで神様と共に歩むようになるのですが、すぐに神様を忘れ、自分の道を進んでしまうのです。そこで、また、神様が導きを与え、神様のもとへ帰るのですが、また飛び出していってしまいます。これまでの私の歩みは、まさにそのようなことの繰り返しでした。自分の勝手な道というのは破壊しかないのですから、今は、自分の好きな道を行きたいとは思いません。でも、肉の要素として、イライラしたり、つぶやきたくなる心が起きてくることがあります。そのような時、「この思いに従ってはいけないのだ」、という、自分を別の自分が監視しているような思いがあります。また、このような思いはイエス様だったらどうされるだろうと考えると、イライラの思いより、イエス様に従いたいという思いが強くなります。
 
   反逆者の滅亡(デビット・カン講演22)

そういった光景を目撃するのは、非常に困難なものです。そのとき、全宇宙に対して、私たちに対して、イエス様が質問されます。「この人たちをどうしましょうか。彼らをどうしてほしいですか」と。義人たちは言うでしょう。「愛の神様、彼らを死なせてください。あの状態で、彼らが永遠に生きるとすれば、それこそ地獄です。彼らに憐れみを注いでください。彼らを滅ぼしてください。彼らの反逆を、これ以上見るに耐えません」。
それで、神様は命じられて、天から火を降らせられるわけです。その火の炎は、彼らを焼きつくします。彼らが焼きつくされるとき、イエス様は泣かれます。サタンは、かつては、聖なる天使ルシファーでした。悪天使たちも、かつては聖天使でした。そういった、サタン、悪天使、私たちの親戚や、教会員だった人たちをそこに見ることになるでしょう。そのとき私たちも、イエス様と一緒に、彼らのために泣きます。