SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演19)

2012年12月16日 | 日記



     ひまわりさんより(12月16日)

今日は日曜日で、午前中、たまっていた事務的なことや、支払い、投票などを済ませ、午後からは、職場に行って弟夫婦と私たち夫婦で、新しいデイサービスの設計図の再検討を行いました。設計図はすでに出来上がっていたのですが、県からの指摘があり、全面的に変更する必要が出てきました。そのため、白紙の状態から、もう一度考え直さなければならなくなりました。「ああでもない、こうでもない」といろいろアイデアを出すうちに、どうにか形が出来上がり、前よりもすっきりして、いい感じに出来上がりました。結局遅くなったのでみんなで食事をして、帰ることになったのですが、職場から家まで車で約1時間かかります。みんなは「遠いですねー」というのですが、通っているうちにそれほど遠いという感じはなくなりました。特に今日はすごく早く感じて、あっという間に着いたという感じがしました。こういう感じで、あっという間に天国へ着くことができたら、どんなにいいだろうと思いました。

     神の公平な裁き(デビット・カン講演19)

彼を救うという、神様の審判は正しいものであること、そのことを証明なさりたいわけですね。そのことを、神様は証明しなければいけないのです。全宇宙に対して神様の裁きは開かれています。なぜなら、サタンが神様を訴えたからです。そのために、宇宙のすべての人に神様の義を証明するために、神様はこの裁きをオープンにされたのです。
天で、私たちの名前が呼ばれるときに、調査が始まるわけではありません。名前が呼ばれるときには、皆さんの運命はすでに定まっています。救われるか、滅びるか決まっています。私たちの審判は、結審されているわけですね。そのとき、神様は、私たちの名前を呼ばれます。「デビット・カンよ、私は、彼を永遠に生かすことに決めました。彼は安全です。本を持ってきなさい。開いてみなさい、自分で見なさい、そして私の審判が正当なものかどうか見てみなさい」。
天の聖所において、合唱の歌がおこります。「ハレルヤ、ハレルヤ、主を賛美せよ。神の審判は正しいものである。正当なものである。公平なものである」という、賛美が湧きおこります。それが調査審判です。記録の書というのは、神様のためというより、私たちのため、聖天使たちのため、悪天使たちのためのものなのです。