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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印  デビット・カン講演15

2012年06月30日 | 日記



  ひまわりさんより(6月30日)

今日は、新しい家に金魚だけは持って行こうと思って、小さいバケツに移して用意していたのですが、
すっかり忘れてしまいました。
すぐに水槽へ移すつもりでしたから酸素も入れないでいたので、どうなっているか心配していました。
午後戻ってきたら、ぐったりして横向きになっていました。
あわてて水を足したら、その水の勢いで、反対向きに横になってしまうほど弱っていました。
ところが、急いで酸素を入れたら、1分ぐらいで真っ直ぐになって泳ぎだしたのです。
酸素の補給がいかに大事か教えられました。
そして、信仰の呼吸は祈りだと教えられていますが、祈らないで生きていることは、
この金魚みたいに瀕死の状態なのだと思わされ、祈れることのありがたさを感じました。

   神の御霊が取り去られつつある(デビット・カン講演15)

次に、『教会への証』6巻 408ページの引用文ですけども、「神の抑制の御霊は今、世から取り去られつつある。
暴風、嵐、火事、洪水、海陸の災害が次々と急速に起こっている。
科学はこれらすべてを説明しようと試みる。
我々の周囲に頻繁に起こっているしるしは、神のみ子の来臨が近づいたことを告げているのであるが、
それは真の原因よりも、他のせいにされている。
人々は、神の僕たちが印されるまで、風を吹かせないように、四隅の風を引き止めている見張りの天使たちを、
認めることができない。
だが、神が天使たちに風をゆるめるようにお命じになると、描写することのできないような争闘の光景が現れるのである」。
ここを見ると、ホワイト夫人が、四方の風を自然災害と関連づけているのを見ることができます。
次に『各時代の大争闘』下巻の386ページですけれども、最後の文をお読みしましょう。
「頑強に拒まれてきた神のみ霊はついに取り去られた」。悪人にとって、恩恵期間が終了したことを述べています。
「神の天使たちが、人間の激情の激しい風をおさえるのをやめると、争いの諸要素がことごとく解き放たれる」




生ける神の印  デビット・カン講演14

2012年06月29日 | 日記



ひまわりさんより(6月29日)
今日は仕事を半日で終え、住民票の移動や、銀行の振込み、
そして、注文していた集会室用のカーペットの受け取りに行ってきました。
カーペットは、前にも紹介した、ワインレッドの50センチ四方のものを敷き詰めていくものです。
先週32枚を貼っていましたが、今日は残り64枚を貼りました。
夫も仕事を早く終えて来てくれ、カーペットの隅を切って調整する仕事を手伝ってくれました。
必要枚数はおよそ計算していったのですが、ちょうど1枚残っただけでぴったり収まりました。
どちらかというとアバウトな我が家としては、珍しくきちんとした仕事となり、
これも主がお助け下さったと思わされました。すばらしい集会室になり、
ここで明日、デビット・カン先生のビデオを見ながら礼拝する予定です。

 2種類の神の印(デビット・カン講演14)
7章の1節で、地の四方の風が引き止められている様子がえがかれています。
なぜでしょうか。なぜなら、神の民が、今だに印されていないからです。
天に移されるすべての人は、神の印を受けていなくてはなりません。
聖書には2種類の神の印がえがかれています。「聖霊の印」と「生ける神の印」、この二つは異なるものです。
「聖霊の印」とは何でしょう。これは、悔い改めの経験において印されるということです。
私たちが回心するとき印されるわけです。「生ける神の印」とは何でしょう。
地上歴史の最後の時代に住んでいる人たちだけが受ける印であります。
この「生ける神の印」とは、四方の風が放たれる時に生存している人たちが受けるものです。
この四方の風とは何でしょう。戦争とか飢饉とか流血沙汰、さまざまな問題ですね。悩みであります。
そして四方の風は、最後の七つの災害とも言えます。
あるいは、七つの災害が起きる前の時代に起こる、さまざまな出来事を表しています。
現在、世界各地でいろいろな自然災害が起こっているのを、私たちは見聞きしますね。
これらの自然災害は、四方の風が、今にも放たれようとしているしるしなのです。
四方の風が放たれると、地球はさまざまな恐ろしい出来事が起こってくるわけです。
ですから、この時に私たちは「生ける神の印」を受けなくてはならないわけです。




生ける神の印  デビット・カン講演13

2012年06月28日 | 日記



    ひまわりさんより(6月28日)

私が今、毎朝読んでいる日課は、エレン・G・ホワイト著『キリストを映して』という本ですが、
今日の所にも、とても考えさせられる文がありました。「アブラハムの家には、千人以上の人々がいた。
彼の教えを受けて、ひとりの神を礼拝するようになったものは彼の天幕に住むようになった。
彼らは、ちょうど学校のように、ここで真の信仰の代表者となるための教育をうけた。・・・彼は、
偽りの宗教のどんな形のものも閉め出し、真の礼拝の対象である生きた神の栄光と威厳を人々の心に深く印象づけようと、
最大の注意を払ったのである」。
私はこれを読んで、純粋なものを求めていかないと、知らないうちに霊的にマヒしていくのだと感じました。
聖書の道は、あれもいいしこれもいい、というようなあいまいなものではなく、唯一、真のものだと思います。
あるゆる不純なものを切り捨てないと、すぐに不純と同化して、そのことを気がつきもしないようになってしまうのです。
心していきたいと思いました。
 (昨日はログは書いていたのですが、うまく投稿されていなかったようです。
開いてくださいました皆様、申し訳ありませんでした)

    14万4千の人々(デビット・カン講演13)

生ける神の印を研究しなくてはいけませんが、生ける神の印とは何でしょう。
黙示録7章の1節から4節をお読みします。
「この後、わたしは4人の御使いが地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風を引き止めて、
地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もう1人の御使いが生ける神の印を持って、
日の出る方から上って来るのを見た。
彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使いにむかって、大声で叫んで言った。
『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは地と海と木とをそこなってはならない』。
私は印をおされたものの数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は14万4千人であった」。
これはとても重要な聖句ですね。
ここに、14万4千がえがかれております。この14万4千の人は、聖書で2ヶ所だけ登場します。
黙示録7章と14章です。黙示録7章では、この14万4千の人たちが、いつ登場するかが書かれています。
14章では、14万4千の人たちの特徴、彼らがどういう人たちか、どのような品性を持っているかが書かれています。




生ける神の印  デビット・カン講演12

2012年06月27日 | 日記




    ひまわりさんより(6月27日)

今日、訪問看護の途中で、背中に赤ちゃんをおんぶして、右手にもう一人の子供の手を握り、
左手で空のベビーカーを押している若いお母さんの姿を見かけました。
私の場合は、3人の子供でしたから、ベビーカーの中にも子供がいたのですが、その光景を見て、
子育て中の私は、本当に自分勝手だったなあと思いました。
子供のためにいいことだと思って、あれもやり、これもやりしましたが、全部自分の思いで、
子供が本当に何を望んでいるのか、子供の立場で考えてこなかったのです。
どうして、もっと子供の心に寄り添って行かなかったのか、悔いるばかりですが、
これからの歩みは人の気持ちに寄り添った生き方をしていきたいと思っています。

    三天使の使命(デビット・カン講演12)

現代の真理とは何ですか。ノアの時代の現代の真理は何でしたか。箱舟に入ることでした。
エリヤの時代の現代の真理は何でしたか。エホバが我々の主である、ということでした。
「自分たちの古き良き形に戻らなければいけない」というものでした。
バプテスマのヨハネの説いた現代の真理は何でしたか。「悔い改めよ」、でした。
では、私たちの時代の現代の真理は何でしょうか。「三天使の使命」であります。
なぜ各時代に、神様は、現代の真理、それぞれの時代にふさわしい真理を与えられるのでしでしょうか。
これが、一人一人をテストする特別のメッセージとなるからです。その特別な現代の真理にどのような態度を取るかということですね。
その人の心の内がテストされるわけです。
神様はアドベンチスト教会を、教会員を裁かれます。まず初めに、ご自分の教会の指導者から裁きを始められます。



生ける神の印  デビット・カン講演11

2012年06月26日 | 日記


    ひまわりさんより(6月26日)

今日の日課の中に、ガーンとさせられる文がありましたので、反省をこめて紹介させていただきます。
「天には神がおられ、その御座から出る光と栄光は子供が悪の力に抵抗できるようにと、
教育に努力している忠実な母親の上にくだる。
これほど重要な働きはほかにない。母親は画家が画布の上に美しい肖像をえがき、
彫刻家が大理石を刻むのと違う。また著述家が力強い言葉でりっぱな思想を表現したり、
音楽家が美しい感情をメロディーに表現したりするのとも異なり、
神の助けによって人の心の中に神のごとき姿を育てるのが母親の仕事である」。
デビット・カン先生のお母さんは、まさにこのような母親として、カン先生を育てられたのだと思います。
私は、子育てに失敗したものですが、これからお母さんになる若い人たちに、
何とか、自分の失敗を繰り返さないように、「人の心の中に、神のごとき姿を育てる」手助けができればいいと思っています。

   安息日は現代の真理(デビット・カン講演11)

安息日は、生ける神の印と言われています。なぜでしょう。
神様のみ力のうちに私たちが休むからです。神様の創造のうちに、休むからです。
神様にあって、私たちは土くれになるわけです。自分の栄光を塵に伏させるわけです。
その上で、イエス・キリストに、私達を違う人間に造り変えていただくわけです。
それが、信仰による義認です。
イエス様が私たちを義としてくださることをイエス様に期待するわけです。
もう一つ、申し上げたいことは、『教会の証』第一巻を読んでいただきたいのですが、
その中でホワイト夫人が言っていることは、
「セブンスデー・アドベンチスト教会員の大多数の者が獣の刻印を受けるようになる」とあるのです。
なぜなのでしょうか。・・・安息日ではなく、土曜日を守るからなのです。
安息日遵守を理解しておられますか。
終末において、安息日が最後のテストとなります。それで終わりですね。
すべての人を、神様は試験なさいます。この第4条をもってテストされます。
これが「現代の真理」です。