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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演23)

2012年12月20日 | 日記



     ひまわりさんより(12月20日)

イエス様は、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」(マタイ11:28、29)と言われました。くびきを負うってどういうことなのだろうなと、分かったような分からないような気持ちでした。でも、柔和とへりくだった心があれば、重荷がずいぶん軽くなります。結局、重荷の大部分は、自分が作りだしているもので、捨てられていない自我に基づくものだと思います。その自分の醜い自我を、イエス様の思いと交換してくださるというのが、この聖句なのではないかと思うようになりました。イエス様に目を向け、み言葉に心を向けるなら、荒れ狂う自我の嵐も、すぐにおさまり重荷も軽くされるのです。

   完全な愛が回復されるとき(デビット・カン講演23)

黙示録21章を見ると、神様は、私たちの目から涙をぬぐい取ってくださると書かれています。それ以後は、もはや、悲しみはなくなります。調査審判とはどのようなものですか? 今現在、恩恵期間が終了するまで、義人たちの調査審判が天で行われているわけです。そして、天国へ連れていかれてから、1000年の間、私たちは別の形でこの調査審判にたずさわるようになります。その目的は何ですか。『なぜこの人が、天国に入ることができなかったのか』を知るためなのです。そのことを私たちが見ることができるようになるために、天国には書物があるわけです。神様に対して、永遠にわたって、何の疑惑も疑念も起こることがないようにするためなんです。神様に対して、完全な愛、完全な信頼が回復されます。