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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演20)

2012年12月17日 | 日記



 ひまわりさんより(12月17日)

息子の行っている神学校では、2015年より、神学部の大幅な改組が行われるという連絡とそのための募金の依頼がきました。これまで短大以上を卒業した人を神学生として受け入れ、3年で卒業としていたのを、高卒から受け入れ、4年制と通常の大学のカリキュラムになるのだそうです。また、神学部教員の博士号取得のためなどの資金援助のお願いもありました。私は、高等教育を受けることは、大切なことだと思いますが、それ以上に、神学部の先生方は、高潔な品性と、真理に対する情熱を持った、信仰と祈りの人であって欲しいと思います。神学生たちが、20代の頃に受けた教育は、その後の牧師としての働きを大きく形作っていくのですから、単に、聖書の知識や情報を伝えるのではなく、聖書の生き方、人を愛し許し救う力を、身をもって実践する人であって欲しいと願っています。私の願いは、間違っているでしょうか。

    悪人の第2の復活(デビット・カン講演20)

1844年に、天の至聖所で調査審判が始まりました。まず、すでに死んだ人たちの審判が始まりました。彼らの運命はもう決まっています。彼らが救われるか、滅びるかはもう決まっているんです。彼らが死んで、なぜ1844年から、記録の書の調査が開始されたのでしょうか。過去の人たちが死んで、長い時間がたってから、1844年にこの書が開かれたのは、神様の裁きについて、天使たちが知るためです。
第2の復活において、なぜ神様は、悪人たちをもう一度甦らされるのでしょうか。もうすでに、死んでいますよ。なぜ、あえて甦らせるのでしょうか。そしてまた、火によって焼きつくされて死ぬわけですよね。残酷ではないでしょうか。死んでいなくなっているのに、なぜ悪人たちを再び甦らされなければならないのでしょうか。
それは、全宇宙に質問を投げかけるためです。千年期ののちに、神様は悪人たちを甦らされます。新エルサレムがあって、その中に義人たちがいます。悪人たちはエルサレムの外にいます。そのとき、その同じ場所に、地上歴史始まって以来生存したすべての人が、義人であれ、悪人であれ、その場にいることになります。私たちの家族の幾人かや、教会の幾人かは、外にいることでしょう。そして彼らを、外に見ることができます。それはひどい、悲しいことですね。