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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演17)

2012年12月14日 | 日記



    ひまわりさんより(12月14日)

宗教改革の、3つの大切な教えの中で、「万人祭司」という考えは、全くわかりませんでした。宗教改革の時代、カトリック教会の司祭が、人々の罪の告解を聞いて、罪を赦す権限を持っているとしていたのを、だれでも仲介者なしで直接イエス様のもとへ行き、罪をゆるしていただけるのだという教え、ということぐらいしか、わかりませんでした。現代の私たちにとって、自分たちが祭司となるというのはどういうことなのかはっきりしませんでした。聖書には、「あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築きあげられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい」(1ペテロ2:5)とあります。祭司とは、霊のいけにえを捧げる人だとあります。いけにえについて、聖書には「私たちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善をおこなうことと施しをすることを忘れてはいけない。神はこのようないけにえを喜ばれる」(ヘブル13:15)とあります。またパウロは、祭司の働きについて、「神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげものとするためである」(ローマ15:16)、と言い、新しい魂を獲得することが祭司の働きだと言っています。もっと旧約聖書の聖所の働きの中で、祭司の役割を学んでいきたいと思います。

    聖所の清めと調査審判(デビット・カン講演17)

『各時代の大争闘』の中で、ホワイト夫人はこのように言っています。 「真に罪を悔い改め、キリストの血が自分たちの贖いの犠牲であることを信じたものは、みな、天の書物の彼らの名のところに、罪のゆるしが書き込まれる」(下巻215p)しかし、また、このようにも言っています。「キリストの血は、悔い改めた信者のために嘆願し、彼らが赦され天父に受けいれられるようにしてきたが、しかし彼らの罪は、まだ記録の書に残っていた。型としての儀式において、1年の終わりに贖罪の働きがあったように、人類の贖いのためのキリストの働きが終わる前に、聖所から罪を取り除く贖罪の働きが行われるのであった。・・・古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上に置かれ、そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、新しい契約においては、悔い改めた者の罪は、信仰によってキリストの上におかれ、そして実際に天の聖所に移されるのである。そして、地上の型としての清めが、それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、天の聖所の実際の清めも、そこに記録されている罪を取り除くことによって、すなわち消し去ることによって、成し遂げられねばならない。しかし、これを完成するためには、だれが罪の悔い改めとキリストを信じる信仰によって、贖いの恵みを受ける資格があるかを決定するために、記録の書の調査がなされねばならない。したがって、聖所の清めには、調査の働き、すなわち審判の働きが含まれるのである 」(下巻136p)。