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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演7)

2012年12月04日 | 日記



    ひまわりさんより(12月4日)

私の職場に、最近、幹部候補として入ってきたヘルパーさんがいます。この人は、すぐ利用者さんに受け入れられます。訪問先にすごく気難しいおばあちゃんがいるのですが、このおばあちゃんは、私と会うと作り笑いをしていますが、この人を見るとすごくにこにこしています。このヘルパーさんは、「まだ慣れていなくて、うまくできなくてごめんなさいね」などと言いながら、手際よく新しい人のお世話をしています。この人と同行訪問しながら、どうしてこの人は、人にすぐ受け入れられるのだろうと思って見ていたら、今日、「この介護の仕事をしていくと、自分がどんどん謙遜にさせられるんですよ」と言っていました。「謙遜は栄誉に先立つ」と聖書にありますが、クリスチャンでない人が、謙遜の大切さに気付いているのでした。

   失敗はあるが意図的な罪は犯さない(デビット・カン講演7)

ですからイエス様は、私を愛するなら、私の戒めを守りなさいと言われました。神様を愛するならば、神様の戒めを破ることはなくなります。不可能になるのです。
意図せずして失敗したり間違いを犯したりすることはあるでしょう。やるつもりではないわけです。何か急いでいて、誰かにぶつかったとします。やるつもりではないわけです。「あ、すみません」と言いますね。私も時には失敗します。そのつもりではないわけです。意図せずして、誰かを傷つけることもあります。そんなつもりはないんです。時には忙しすぎて、物を忘れることがあります。心がせわしくなって、誰かに対して失礼なことをすることがあります。神様は、そのような私たちの心の内を理解してくださいます。
しかし私たちは、愛する者に対して、意図的に罪を犯すことはなくなるのです。では完全とは何でしょう。神の戒めを守るということはどういうことでしょう。心をつくして神を愛することです。神様に心を捧げて、心をつくして神を愛するなら、神様の愛が私たちの心の中に注がれます。そして、他の人々をも愛することができるようになります。はじめに、神の愛が注がれるのです。そしたら、自然に私たちは相手を正しく扱うことができるようになりまし。接することができるようになります。これこそが、神の戒めを守るということです。