goo blog サービス終了のお知らせ 

SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演10)

2012年12月07日 | 日記



     ひまわりさんより(12月7日)

私は毎朝、ジョイの散歩のため、5時半に起きていますが、どうしたことか今朝は、目が痛くてあけられないのです。目の奥に鈍い痛みがあり、目をあけられませんでした。しかたなく、かなりの時間じっとしていたら、そのうちに痛みがなくなり、見えるようになりました。私は、この経験を通して、目が見えるということは、本当に素晴らしいことだということを、改めて実感しました。そして、いままであまり感じていなかった、目が見えることや、聞こえること、においを嗅げることなど、どれもすごい神様のみ業なのだということを感じ、このように、人間を素晴らしく造って下さった神様に感謝しました。それから、このことを、通勤の車の中で夫に話していたら、窓の外に美しい紅葉の景色が広がっていたので、『このように人間や自然を、美しく装って下さる神様が、人間の品性を、神さまのみ像に造り変えてくださらないはずはないな』と思いました。その時気づいたのですが、私は小さい時から、「自然と聖書は神様の愛を表しています」、と教えられていたのに、聖書を読んでもよくわからず、では自然の中から神様の愛を感じようと思って、よく散歩をしていました。でも、自然を眺めていても、「きれいだなー」とは感じても、神様の愛を感じるところまではいきませんでした。ところが今日、美しい自然を造られた神様は、私たちの品性を、花のように、いいえ花よりももっと美しいものに造り変えて下さるのだ、という思いになった時、神様の愛の深さに、心から感謝しました。『花にこれほどの美しさを与えたお方は、それよりはるかにまさって、魂がキリストの品性の美しさに装われることを願っておられる』 『草花を創造したのは神の言葉であるが、その同じ言葉があなたのうちに、聖霊の実を生み出すのである』 『神が大きな愛を持っておられるから、自分の性質は変えられて、神と調和するようになることを、子供たちに教えなさい』(『祝福の山』E・G・ホワイト著)

    神から生まれたものは罪を犯さない(デビット・カン講演10)

聖書に書かれているように、神の種が私たちのうちにとどまるならば、神から生れた者となるならば、罪を犯すことができなくなる、という事です。そのように書いてありますね。神の言葉は、力なのです。見かけは、小説とか、科学書などと同じです。紙に字が書いてあります。同じ本です。しかし、違っているんです。もし、信じて受け入れるならば、神の生きた力となります。神の約束を信じるならば、それを食べて咀嚼するならば、それが、皆さんの生活の中の生きた力となります。それが、神の言葉なのです。