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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

同性婚と新世界秩序への入口 第4回

2015年08月31日 | 日記

そのような同性愛、さらに同性結婚を認めることは、罪を合法化したものと言えます。罪を合法化すると、道徳的価値の秩序が崩れるようになります。何が真であり、何が偽りか、何が正しいもので何が罪となるか、その基準は消えてしまいます。社会は非常に混乱することでしょう。

現在、米国の幼稚園から小、中、高校では、同性愛を正常なこととして学んでいるそうです。同性愛が正常であると法的に認められるようになれば、同性愛は正常ではないと言う、表現の自由を失うことになります。「同性愛は罪である」と言えば、名誉毀損と差別禁止法で処罰を受けるのです。

 

同性結婚を合法化した米国で、最近、同性結婚式のウエディングケーキ作りを、自分の信仰に反するからと言って拒否したケーキ屋さんに、約2千万の罰金刑が裁判所から出されました(オレゴン州)。このケーキ屋さんには、訴訟の過程で、同性愛者からの脅迫や略奪がありましたが、誰も処罰されませんでした。

また、同性結婚式の司式を拒否した牧師に180日の刑務所刑と罰金刑が言い渡され(アイダホ州)、同性結婚式を拒否した結婚式場に罰金が課されました(アイオワ州)。最終的にこの結婚式場は、脅迫と地域社会からの孤立によって倒産しました。このようなことは、例外的なものではなく、すでに、《国家的に下された法令》に基づいて、アメリカ全体で同性愛に反対する人が、むしろ、犯罪者になったということです。そして米国は、同性結婚を合法化した世界で21番目の国だそうです。

米国の知人から聞いた話では、この法律に同意しない場合は、牧師の地位が奪われたり、非営利宣教センターなどの認可が取り消されることになるので、詳細事項が議論されているということでした。

       私はどうするのか?

さて、皆様はどうなさるでしょうか?同性愛に反対すれば牧師の資格が取り消され、教会が門を閉めなければならなくなる時代が来た時、どうなさるでしょうか? 「教会のドアを閉めて伝道ができなくなるよりも、法を受け入れて、福音を伝えるようにした方が賢明な方法ではないだろうか」と考えるでしょうか?ゲイに反対するなら死刑になるとしたら?皆さんはその時どうなさるでしょうか?

「私たちは弱者を保護する必要があります。教会は罪人のための場所です。私たちは彼らを愛する必要があります。あまりにも極端に偏らないでください。ごらんなさい。全世界が、すべての教会が、同性愛を認めているのですよ」。申し訳ありませんが、このことは皆さんの未来の姿です。それはかつて、神社参拝を合理化していた韓国キリスト教指導者たちの姿でした。そんな中、神社参拝を拒否した牧師がいたでしょうか?そのような人がいました。その結果、どうなったでしょうか?教団や教会から追い出され、国家から追い出され、最終的に死ぬ目にあう人もいました。皆さんはどのようになさるでしょうか?


同性婚と新世界秩序への入口 第3回

2015年08月30日 | 日記

 聖書と同性愛

聖書は同性愛について何と言っているか見てみましょう。

「イスラエルの女子は神殿娼婦となってはならない。またイスラエルの男子は神殿男娼となってはならない」(申命記23:17)。男娼とは男色(同性愛)者を言います。

「また主の宮にあった神殿男娼の家をこわした。そこは女たちがアシラ像のために掛け幕を織る所であった」(列王記下23:7)。

「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」(レビ記18:22)。

「女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」(レビ記20:13)。

 

「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである」(ローマ1:21-27)。

 

「それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者」(1コリント6:9)。

 

なぜこのような言葉が聖書に記録されているのでしょうか?聖書にこのような言葉があるので同性愛者は聖書を嫌悪し、イエス様を同性愛者などと呼んで冒涜しています。

 「神様はあなたを愛しておられます。イエス様を信じれば救われます。あなたはあなたらしく生きればいいのです」。このような、美しく良い話ばかりします。読むのも不快になるような生ぬるい言葉です。

しかし、罪の話をする時だけ、私たちの本来の姿がどうあるべきかを、正しく直視することができるのです。罪を悟って十字架の下にひざまずくために、罪について話す必要があります。自分の状態をあるがままに照らし出されるために、罪について話す必要があります。現代の教会で、罪について話すことは宗教的暴力だという人さえいます。世渡りに疲れ、暖かい慰めを受けようと教会に来たのに、どうして教会に来てまで、罪の話を聞かなければならないのかと言うのです。これらの人々の要求に応えようとして、教会がその本来の機能、使命を失っています。

 

パウロは、当時のローマ社会に蔓延していた罪を取り上げて、神様を離れた結果、こうなったと指摘しています。歴史は、ローマ社会が善と悪が混沌とした状態であったと記しています。善悪があいまいな社会は、必ず続けてぜいたくと快楽の追求が起きます。平凡な日々に退屈を感じて、毎日新しい刺激と快楽を見つけるのに忙しくするのです。パウロが生きていた時代のローマ皇帝15人を調査したところ、15人中14人がゲイでした。同性愛者だったのです。皇帝ともなれば、宮殿に女性を連れてきて思い通りに快楽を求めて生きることができるので、面白くないのです。退屈だというのです。それで堕落した先が同性愛でした。このような同性愛を自然に受け入れるような社会だったので、さらには獣と交わるところまで堕落していきました。こうしたことは、ローマ時代にのみあった罪ではありません。今日、私たちの社会でも多く見るようになってしまった罪です。

昔の、他人の話ではなく、私たちの話です。私たちの罪であり、私たちの悪です。「私は同性愛者ではなく不倫だけだ。同性愛よりよほどましだ」。まさかそう考えている方はいらっしゃらないですよね?人間が神様を離れた時に、一番最初に現れるのが性的堕落です。いつの時代を問わず、社会が腐敗して堕落した時に、性的堕落が最も蔓延します。その中でも同性愛は、その社会が崩壊する直前の末期現象です。


同性婚と新世界秩序への入口 第2回

2015年08月29日 | 日記

 同性愛者のカミングアウト

さて、その前に同性愛の問題についての聖書の立場と、それに対する、私たちの立場を確認してみる必要があります。同性愛の象徴は虹ですが、虹は何色でしょうか?同性愛者の象徴である虹は藍色(indigo)が抜けた6色の虹です。ヒラリーは自身のツイッターで、虹の写真を投稿した後、「誇らしい日」と書きました。 また、GoogleとFacebook、YouTube、コカ・コーラなどのグローバル企業も、虹の波に乗り出しました。自分が同性愛であることを公にすることを「カミングアウト」と言いますが、そのカミングアウトした人の中には、ハリウッドの俳優や、有名人や政治家たちも含まれています。皆さんがよく知っているアップルのCEO(最高責任者)ティム・クックは自分が同性愛であるのは神様からの贈り物だとカミングアウトしました。アイスランドの初の女性首相は、世界の国々の指導者の中で同性愛者、レズビアンであることを明らかにした最初の人物です。その他、米国の民主党議員、ニューヨーク市議会議員、ドイツの外相、ドイツ社会民主党議員、ドイツの環境大臣もカミングアウトしました。

また、同性愛者も牧師として按手礼を受けました。同性愛も神様がくださった賜物だと考慮されることができるという神学的解釈もあります。なぜそのようになったのでしょうか?それだけ数が増えたからです。昔は少数だったために適当に処理されていましたが、今ではあまりにも多いので、それも無知な人々の話ではなく、上から下まで、知識の有無を問わず、経済水準の高低を問わず、あまりにも多くの人々が性的に乱れてしまっているために、これを受け入れなければならない状況にあるのです。それで、教会が規則を改正して牧師按手を与えるのです。

他人事ではありません。東方儀礼の国である韓国でも、皆さんが誇りに思う潘基文(ハン・キムン)国連事務総長も、以前から同性結婚を支持してきましたが、今回、アメリカの決定に祝辞を述べました。ソウル株式市場も、人間は誰でも皆、幸福追求権を保持する権利があるとして、アジアでは韓国が同性結婚を認める最初の国になることを望んでいます。2015年7月には、韓国のある映画監督が自分の同性結婚を認めてほしいという訴訟を起こしました。

世界が異常に沸き立っています。想像もできなかったことが白昼堂々と行われています。今、世の終わりとなったので、最後の準備をするようにと大声で叫んでいるようです。

現代人に、罪について話すことは非常に困難です。「教会に人が来なくなる。うるさい。口をつぐんでいなさい。人々が落胆して憂鬱になるため、罪について話してはならない」。教会が商売をしようとし、お客様を集めようと客引き行為をしています。「信じたようになる。教会行事によく参加すれば祝福される。教会奉仕をたくさんすれば子供たちがよく育つ」。「何か心配がありますか?心配しないでください。教会生活を熱心にすれば、神様がすべて責任を負ってくださいます」。耳触りの良い言葉で人々を魅了しています。人々は株式に投資するように、教会に投資します。教会で、目的の商品を選んで、お気に入りのみ言葉に慰められ、罪の中に生きながらも、表面的な平安を享受しています。

イエス様が今教会にお出でになったら何をされるでしょうか?神殿で商人の机をひっくり返されたように、まず最初にその働きをされるのではないでしょうか。 「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」(ルカ19:46)


同性婚と新世界秩序への入口 第1回

2015年08月28日 | 日記

同性婚と新世界秩序への入口

 ソン・ケムン(2015・7・19)

     預言の理解の進展

ヨハネによる福音書を書いたヨハネよりも、私たちがヨハネ福音書をよりよく知ることはできません。いくら神学者たちがギリシャ語の文法がどうだとか、ロゴスとは何であるかとか、定義を掘り下げても、ヨハネが見たり聞いたり感じ、悟り、書いた、そのヨハネ自身よりヨハネ福音書をよく知ることはできません。

しかし、実はヨハネの黙示録を書いたヨハネよりも、私たちは黙示録をよく知ることができるのです。これはどういうことでしょうか?私たちが使徒ヨハネよりも優れているということでしょうか?そうではありません。ヨハネは成就されていない出来事、将来についての啓示を書いたので、自分でも理解できず、すべてがぼやけていました。しかし私たちは、使徒ヨハネが見た未来が、私たちの時代に成就する時を迎えているのです。そのため黙示録を、より確実に理解し、悟ることができるのです。預言は、10年前より5年前、5年前より、3年前、昨年より今年、より明確にかつ確実に理解することができるのです。なぜでしょうか?人々の頭がますます賢くなったからでしょうか?そうではありません。すべての預言が成就されたわけではありません。まだ残されている獣の刻印の艱難前後の最後の預言があります。私たちは、国が始まって以来かつてなかったような試練の時が近づくにつれて、記された預言がどのように成就するのか、より明確になります。ですから10年前より、5年前より、昨年より今年、そして今日より明日が預言の明確な理解と悟りが与えられていくのです。預言が成就していく過程を見るのでそうなのです。

私は最近、同性結婚が合法化される一連の出来事を見ながら「この終わりの時代の預言がどのように成就するか!」について新しいポイントを見つけるに至りました。単に「ああ、世界はノアの時のように堕落した。それで主来られる時が近い」、そのような話をしたいのではありません。この同性結婚合法化が、どのように獣の印の通過危機まで続いて、この最後の時代、神様の真の聖徒たちを殺し、新世界秩序を広げることになるか、大きな青写真をはっきりと見させたということを言いたいのです。それほど今回の同性結婚合法化は、私たちにとって非常に重要な示唆を与え、本当に歴史の最後に時代に突入していることを再認識させてくれます。

2015年6月26日に、アメリカで同性結婚が合法化されました。世界の警察国家といわれるアメリカで、キリスト教の理念を持って建国されたアメリカで、アメリカのすべての法律を決定する最高機関である最高裁判所で、同性愛者の結婚が合法であるとする決定が下されました。最高裁の判事9人中6人がカトリック信者です。オバマ大統領は「平等に向けた大きな一歩、アメリカの勝利」と祝いました。


教会に入ってきたニューエイジ 最終回

2015年08月27日 | 日記

Ⓔ死んだ者も意識を持っているという信念の人々

人が死ぬとその肉体は死んでも、霊魂は生きてこの世界のどこかを漂っていて、生きている家族や友人を助けるために時々現れると信じている人がいます。そのような人の前に、サタンと悪霊たちは死者の姿をして現れ、本物そっくりの偽りを語るのです。聖書は、死者は無意識の状態でキリスト再臨の時まで墓の中にいると教えており、死者の霊との交流という考えは聖書が厳しく禁じているものです。しかし現代においても、このような考えは根強く残っています。またあるクリスチャンは、聖書のいくつかの言葉を用いて、死者の魂は生きていて黄泉におり、そこでもう一度キリストの教えを聞いて改心する機会が与えられるとする、セカンドチャンスという非聖書的な立場をとる人々もいます。いずれも霊魂は不滅であるという立場に立った、サタンの惑わしの思想です。

Ⓕ感情的な信仰を持つ人々 

教会が世俗化するのにともなって、多くの人が、新しく生まれ変わっていない自分の心を満足させてくれる感情的信仰や形式的信仰を好むようになります。生まれ変わっていない人は、自分の感情を信仰の土台としているので、厳粛で重要な聖書の真理を体験することが難しいのです。愛を神様の属性と信じていますが、その愛は、しばしば感動的な例話や感傷的な物語のことであって、その人を根本から創り変え、全身全霊で善に向かっていくようなエネルギーとならないのです。善と悪の明確な区別もなく、神様の義と罪の結果に対する理解も不足しています。神様の律法は、どのような場合にも、人が喜んで従うべきものである事を永遠の真理として受け入れていない人は、この世の感情や愛情に流されて、いざというときに信仰よりもこの世的な判断を優先させてしまいます。人から良く思われることや、世の中の悪の流れに逆らうことを好まない感情的な信仰を持った人々は、サタンに対してたえず心の扉を開いたままにしているクリスチャンです。

日常生活の中で、小さな悪を見逃していたり、自分の悪い習慣のとりこになって、そこから抜け出そうとしない人は、もっと大きな選択を迫られる時に、やすやすとサタンの餌食になってしまいます。このような人は、神様と天使たちの保護を自ら拒絶するために、悪霊の攻撃に対して何の抵抗する力も持っていないのです。

 

この小冊子を読まれた皆様が、最後の時代の大きな惑わしから守られ、神様に喜ばれる正しい判断、決断が出来ますようにお祈りいたします。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている」(エペソ1:17~19)。