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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人はなぜ苦しむのか 第28回

2014年09月30日 | 日記

 

    人はなぜ苦しむのか第28回

神様が不快に思われるような生涯を過ごしている人の中には、一見何事もなく穏やかで、刑罰や問題が生じないこともあります。そのような人々は、自分が望む通り食べたり、飲んだり、めとりとつぎなどした後に、やがて致命的な問題が起きるまで自分の道を楽しむかもしれません。ノアの時代にも、神様の怒りや不快を表すようなどんな現象もなく、120年が過ぎた時に、いきなり洪水が押し寄せてきました。快楽と自己中心的な生涯を送っている人々に、今現在は何か特別な懲らしめがないように見えるかも知れませんが、罪の杯が満ちた瞬間、彼らは取り返しのつかない苦痛と苦悩の経験を持つことになります。

   絶望から希望へ 第30回

あらゆる欲を十字架につけよ!

「キリスト・イエスに属する者は自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」(ガラテヤ5:24)この言葉は何でしょうか。キリストに属している者は、その肉を、情欲、あらゆる欲望を、十字架につけてしまった、と言っています。皆さんの心の中には、何かの欲望は残っていませんか?聖書に照らした時、聖書と違う思いを持っていませんか?罪と知っていながら犯していることはありませんか?それらの全部が十字架につけられたと言っています。全部十字架につけられ、全部なくしました。ですから、「生きているのは、もはやわたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)といえるのです。

しかし皆さん、キリストと共に十字架につけられる生涯、死ぬだけがすべてではありません。死んだらどうなるのですか。復活するのです。聖霊による新しい人として甦るのです。 


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2014年09月29日 | 日記

      

 人はなぜ苦しむのか 第27回

神様の律法もこれと同じです。神様の律法である十戒も、決して変更したり、廃することができない宇宙の法則です。ある人々はイエス・キリストの愛を信じるなら、これ以上律法を守る必要はなく、律法は廃止されたのだと主張します。しかし、イエス様は「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:17、18)と言われました。自然法則に従わない時、病気や苦痛に直面したり、命が失われることになるように、神様の律法を犯した場合にも、それに対する代価を必ず支払わなければいけません。聖書はその代価を『罪の支払う報酬は死である』(ローマ6:23)と宣言しています。

  絶望から希望へ 第29回

「ああ、酒を飲まず、タバコを吸わず、殺人をしなければいいんじゃない。姦淫を犯さなければいいんじゃない」。皆さん違います。皆さんの心の中にねたみが起こりませんか?私よりうまくいっている人を見たら、引きずり下ろしたいと思いませんか?敵意や争い、怒り、人をいじめる心はありませんか。これらのことを行う者は、神の国を継ぐことは出来ないと言っています。これは私の言葉ではありません。神様のお言葉です。

「神の国を継ぐ」というのは、救われるということですね。永遠の命を得るという意味です。現在の教会はどのように教えていますか。「皆さん、救われましたか?」。「アーメン」。これで良しとしていませんか。皆さん全く違います。どんなにイエス様を信じると言っても、聖霊の声に従わず、自分の肉のままに生きる人には決して救いはありません。聖書のみ言葉は非常に明白で、きっぱりと教えています。「しかし御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」(ガラテヤ5:22、23)。皆さんの心の中に、この御霊の実が結ぶことを妨げるものは、何もありません。以前は罪の臭みだけを持っていましたが、聖霊様がお入りになるなら、聖霊の実が結ぶための、この素晴らしいみ業を妨げるサタンの働きはありません。なぜでしょうか。私たちの持っている本性より、私たちの悪より、聖霊様の力がもっと強いからです。


人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。


人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。


人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。