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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演14)

2012年12月11日 | 日記



    ひまわりさんより(12月11日)

夫が施設長をしているデイサービスでは、毎朝、健康についての勉強会を利用者さんと一緒におこなっています。利用者さんの中に、Wさんという、糖尿病による網膜症でほとんど失明している人がいます。この人は、ある日突然目が見えなくなり、不安と心配で3日間、一睡もできなかったのだそうです。その後、医者からは、右目は手術すれば見えるようになるだろうと言われて、手術をしたのに、眼帯を外したら、全然見えなくなってしまっていたのだそうです。この人は、私がおこなっている、笑う健康法の時も、一人だけ、「俺はいいよ」と言って笑いませんでした。ところが、今週の勉強は、「笑いと健康」というテーマで、笑いがいかに人間の健康に良いかということについて、大阪府が府民に配布した20ページのパンフレットを勉強していました。このパンフレットの中に、笑うと血糖の上昇が抑制されたという、筑波大学の先生の研究報告が紹介されていたのです。「Wさん、ここはよく聞いていて下さい」と言って、糖尿病と笑いの効果についての記事を読むと、Wさんは、じっと聞いていました。その後、皆で笑いあうと、Wさんも、はあ- はあーという感じで、少しだけ笑っていました。

   成熟を完成させる後の雨(デビット・カン講演14)

毎日、毎日、聖霊を受けるからです。雨のように。雨が注ぐときに、植物は成長し続けます。神の命が注がれているからです。そしてこれは、前の雨の経験です。成熟して、実を結ぶまで、成長し続けます。完全になるわけです。あれをちゃんとやったか、楽しくやったか、と言うような、律法主義的な考え方によってではありません。
心をつくして神を愛するなら、神様に対して罪を犯すことはなくなりますし、罪を犯すことは、心が痛むのです。もう神様を傷つけるようなことは、したくなくなります。完全というのは、その人の状態なのです。
すべての実が熟したとき、必要なものは何ですか。後の雨です。後の雨が降り注いだとき、その実の成熟が完成させられます。実が甘くされるのです。こうなることによって、捧げ物としてふさわしくなるわけです。印を押して、市場に持って行く用意ができるわけですね。ですから、後の雨と印が同じものとして、えがかれているわけです。印された者たちが、後の雨を受けます。