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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演16)

2012年12月13日 | 日記
 

    
 ひまわりさんより(12月13日)

ずっと以前に、新聞に出ていたサザエさんの漫画に、お父さんが上司に叱られ、そのストレスでお父さんがお母さんに強く当たり、お母さんはそのストレスを子供にぶつけ、子供は猫に、猫はネズミにという、ストレスの連鎖をテーマにしたものがありました。ストレスというのは、その総量は変わらないようです。誰かが抱えたストレスは、軽くしようとして誰かに話すと、相手がそれをもらい、そのストレスは誰かに、何かに移って行っても、ストレス自体はなくなっていないのです。ストレスを感じた時、サザエさんの回路に入らないで、イエス様に重荷をゆだねることができることを知っている私たちは、本当に幸いだと思います。イエス様が私たちすべてのストレスを負って下さり、私たちを休ませてくださるのです。イエス様がまず私たちに、赦しと、理解と、励ましをたえず与えてくださることを感謝いたします。

     罪の除去の経験(デビット・カン講演16)

このように、罪の勝利の経験、品性完成の経験は、前の雨のもとで経験されなければなりません。使徒行伝3章19節、20節に、「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めのときがきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである」とあります。「悔い改めなさい」という言葉がありますが、これは回心の経験ですね。「本心に立ちかえりなさい」、これは聖化のことです。「罪をぬぐい去っていただく」、これは、罪の除去の経験です。
旧約聖書にある聖所の働きは、キリストの贖いの働きを予表していたものでした。それは,外庭における罪のゆるし、聖所の第一の部屋における聖化、そして、至聖所における罪の除去の経験です。至聖所の経験において、私たちの罪の記録が、「天の記録の書」から消去される必要があります。私たちが、罪のこの世にあって、まだ罪を犯し続けている間は、この記録の書から、私たちの罪の記録を消去することはできません。どうしてでしょうか。私たちが、罪を犯し続けるとき、天使たちは、たえず罪の記録を取らなくてはなりません。天使たちは、人が罪を犯すと、罪の記録を書きしるし、そして罪を告白して悔い改めるとき、そこにゆるしを書き入れます。書いてはゆるし、また書いてはゆるし、絶えずそれを行っているとすれば、神様は、私たちの罪の記録を最終的にいつ消せばよいのでしょうか。