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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デイビット・カン説教 ステパノの証言第7回 

2017年03月30日 | 日記

心に割礼のない人たち

 

今日、多くの場合に牧師が教会で王様になっています。教会員の数を増やすために標準を低め、世間受けのするメッセージが語られ、神様を信じれば仕事もうまくいき金儲けもできるというようなご利益的な教えが広がっています。しかしもし、牧師の教えが聖書と一致していなければ、それは偶像崇拝です。人間の権威を高め、偽りのぶどう酒を混ぜて人を酔わせるのは、全く神様の目的を達成するものではありません。従って、ステパノの説教は、現代の教会にとっても非常に重要な意味を持つのです。

 

7:51ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。

 

ステパノは説教をしている最中に、突然、話題を変えました。ユダヤ教の律法を守っているから、神に選ばれたユダヤ民族に属しているから、立派な建物があるから、預言者がいるから、それらが人を神様の前に立たせるものではないと言ったのです。心に律法を書き記され、聖霊の細い声に聞き従わないなら過去の反逆者たちと同じであると宣言しました。そのために間もなく自分が殺されるということが分かって、説教の内容を変えて最後の訴えをしたのです。

 

私は若い人たちに説教法を教える時にそう言っています。「たくさん話したいことがあったとしても減らしなさい。どのようなことを減らし、カットすればいいかよく考えなさい」とよく話します。

 

ステパノは自分の運命を悟って、話を省略して、最も伝えなければならないことを語りました。

 

7:52いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。

 聖書が預言していた約束のメシヤであるイエス様を十字架につけたその事実を指摘して、その罪を悔い改めなければならないと叫びました。

7:53あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。

 律法を守っていると自他ともに認めている人たちに向かって、あなた方こそ律法の違反者だと、最も痛烈な断罪をしたのです。それを悔い改めなければ滅びると言ったのです。これほど大胆な発言をステパノはどうしてすることができたのでしょうか。これは聖霊が彼の心を捕らえ、語らせてくださったのです。怒りと憎しみに燃え、今にも自分を殺そうとしている人々を前に、聖霊はステパノを通して彼らが悔い改め救われるための言葉を語られたのでした。

 マタイ10:18~20にはこのように言われています。

10:18またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。 10:19彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。 10:20語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ10:18~20)。聖書はこのように約束しています。


デイビット・カン説教 ステパノの証言第6回 

2017年03月29日 | 日記

 心の偶像礼拝者

 

多くの人は今も神様の教会で礼拝をささげ、賛美しているかもしれませんが、心では偶像を崇拝していることがあるのです。人の評価や評判という偶像、プライドという偶像、自分はよくやっているという偶像、成功したいという偶像、教会成長の偶像、流行のいい服を着ておいしいものを食べて暮らしたいという偶像、金持ちになりたいという偶像、嫉妬心の偶像、そして、そういうものを与えてくださる神様を信じたいという偶像礼拝で心が満ちているのです。そのような状態で神様を礼拝しても、それは偶像崇拝と同じことです。そこには主はおられないと、ステパノは大胆に説教したのです。

 

7:43「あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。

 

イスラエルの民はモロクの神に赤ちゃんを連れて行って祭壇で燃やして殺しました。「神よ!私たちがこの世界で繫栄できるようにしてください。私たちは自分たちの赤ちゃんをお捧げしますので、残りの子供たちを成功させてください!神よ、私たちを祝福してください」。それは全く異教の考え方でした。今日、私たちもそのようにしていることがあります。無意識のうちにそうしていることもあります。今日、そのような多くの偶像礼拝があることを私たちは知っています。

 

聖書のことばをよく読んで、ステパノが教会に向かって何を言っているのかを受け止める必要があります。そのメッセージは、終わりの時代に私たちが世界に向かって叫ぶことになる使命なのです。

 

教会が真理によって生きておらず、さまざまな偶像礼拝に陥っているとステパノは言っています。ですから最終的には彼は教会を訴えているのです。そのために彼は、怒り狂ったユダヤ人指導者たちによって、直ちに石打ちの刑に処せられたのです。

(使徒行伝7:44-49)

7:44わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。 7:45この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。 7:46ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。 7:47けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。 7:48しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、7:49『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。

わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

 

これは何のことでしょうか? 「ユダヤ人はエルサレムの神殿を誇りとし、そこに神がおられると信じていました。しかし神様はそのような宮におられるのではないのです。私たちが屈服した生活を送る時に、私たちの心に神様がおられるようになるのです。今日、多くのキリスト教会から聖霊が去ってしまいました。「霊と真の礼拝が行われていない!」、そのことをステパノが言っているのです。

ユダヤ教会には真理があり、神殿があり、預言者がいて、聖書を保存してきた民でした。神様によって選ばれた者たちが集まっている教会に対して、「神様は教会の建物の中にはおられません。神様はあなた方の神殿にはおられません。教会や教団が、神様を箱の中に入れて勝手に利用することはできません。神様が教会を用いられる必要があります」と言っているのです。それで、人々は怒ったのです。教会の権威を維持することが彼らの最大の目的だったからです。

 

7:50これは皆わたしの手が造ったものではないか』。


デイビット・カン説教 ステパノの証言第5回 

2017年03月28日 | 日記

 ステパノの説教 

 

ステパノの説教を少し飛ばして先を読みます。

 

(使徒行伝7章36-37節)

7:36「この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。 7:37この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである」。

 

ステパノはまずアブラハムに言われた契約のことを述べています。契約の子孫であるメシヤを誕生させる民族をアブラハムに約束されたと言って、それからモーセについて述べています。「そのモーセによって導かれた民がカナンに入り教会となり、やがて神様はモーセのような預言者を一人立てられる」とステパノは話しました。

 

7章38節 この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。

 

「モーセのような預言者を与えると主は約束されました。そのようなメシヤ、約束の子孫が来れば、罪の束縛から私たちを解放してくださいます。その方こそあなた方が殺したナザレのイエスなのです」と言ったのです。「教会が存在する理由は、その中で神様を信じる民が罪の束縛から解放され、イエス・キリストを信じるようになることです」とステパノは叫びました。その言葉をサンヒドリンのメンバーが聞いたとき、「これは我々の教会活動を侮辱し、神が選ばれたユダヤ民族を汚す言葉だ」と怒りを爆発させたのです。

 

(使徒行伝7章39-40節)

7:39ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、 7:40『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。

 

モーセがシナイ山に登って戒めを受けていた時に、民は不信と不満の心を起こしました。それをなだめるためにモーセの兄のアロンが金の子牛を作ったことが書かれています。主の目的を正しく達成しようとするとき、一番私たちを邪魔する者は家族や信仰の兄弟です。心が弱い私たちの兄弟です

 改革をするために真理を持って生活していると、あるときは家族から迫害を受けます。私たちの最も近い人から誤解や批判を受けます。それは本当に心が痛む経験です。モーセの時代、モーセはあまりにも強く原則だけを主張すると思われていました。それに対して、穏やかで争いを好まないアロンは、「自分たちに金の像作ってください!」と言われた時、反対すれば殺されると思って、金を持って来させて偶像を造りました。その時民は「この方が私たちの指導者だ!」と拍手しました。モーセはあまりにも原則だけを主張してコチコチ人間だから、自分たちの言うことを聞いてくれるアロンを新しいリーダーにしようとしたのです。

 7章41節から

7:41そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。 7:42そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、 『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか』。

 これはどういう光景でしょうか?「天の星を拝むままにさせた」。これは何のことでしょうか?これは「占星術」です。太陽と月と星を崇拝することです。偶像崇拝を行ったのです。自分たちの手で作った神を拝むようになったのです。

 この部分は翻訳が少し不足しているところがあります。英語聖書がより詳しく説明しています。英語聖書を直訳すると、「あなたがたは、私だけに犠牲と供え物をささげたか?あなたがたは偶像にも、あなたがたの供物をささげていないか?あなたがたは、いつ私だけに供物をささげたのか」となります。


デイビット・カン説教 ステパノの証言第4回 

2017年03月27日 | 日記

教会の使命は何か  

 

神様が教会に与えられた重要な使命は、真理を持ち、それに生き、それを宣べ伝えることです。もしこの働きをしていないなら、教会の建物がどんなに立派でも、集まってくる人の数が多くても、その存在意義を失ってしまうのです。ですから、今日の多くの教会は道端に捨てられた味を失った塩のようなものなのです。

 

ステパノの説教の結論をまとめてみると次のようになります。

 

「神様がアブラハムに与えられた契約は、この世界の富を与えて豊かにし、大きな国とするというようなものではなかった。神様の約束とは、この世的な目に見える祝福ではなく、霊的な祝福である」。このことはその当時のサンヒドリンの指導者やパリサイ人、ラビたちが教えていたことに正面から反対するものでした。

 神様はアブラハムに約束を与えられました。それは彼に子供が与えられるというものでした。それは彼の子孫から、約束の子キリスト、メシヤが与えられるという契約でした。そのメシヤが与えられた時、彼を通して全世界が祝福されるために、イスラエルとユダヤ人教会を選び、約束の子を育む民族とされたのです。ユダヤ人教会やイスラエル民族に重要性があるのではありません。メシヤを受け入れることが重要だったのです。教会や教団に大きな土地や建物があり、富があったとしても、メシヤが正しく伝えられていなければ何の意味もないのです。ステパノはそのことを言っているのです。

 神様がヤコブの子孫であるイスラエル民族を選び、カナンの地に導かれたのは、約束のメシヤを待つためであり、メシヤが来られたら彼を受け入れ、イスラエル民族が祝福の基になって全世界が祝福されるという約束です。メシヤによって、世界中のすべての人々が救われるようになることが神様の計画であり約束でした。

創世記7章5節からお読みします。

7:5そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。  (創世記7:5)

 

ステパノが次に言っていることは、神様はイスラエルの民が反逆して、北、南に分裂しバビロンに連れて行かれ、そこから戻ってきたとしても、ずっとイスラエルを保護してこられたのは、約束のメシヤを育むためであったということでした。 


デイビット・カン説教 ステパノの証言第3回 

2017年03月25日 | 日記

ユダヤ教会を起こされた目的

 

使徒行伝第7章1節からお読みします。

7:1大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。 7:2そこで、ステパノが言った、

「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 7:3仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。 7:4そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、 7:5そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。 7:6神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。 7:7それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。(使徒行伝7:1-7)

 

皆さんこの聖句は私たちがよく知っている言葉です。しかし、奇妙なのは、ステパノの証言、この説教の内容が何なのか、なぜこのような話をしたのかをほんとうに理解しているクリスチャンは少ないのです。そこでこの時間は、この1節から7節までの言葉が一体何を意味するのか、彼が何を言っているのか、これがなぜユダヤ人の指導者たちをあれほど激しく怒らせたのかを学んでいきたいと思います。

 

ステパノはここで何を言っているでしょうか? ステパノはここで、神様がアブラハムとモーセを通してイスラエルを立てられた真の目的を説明しているのです。神様はアブラハムを通してなぜ教会を立てられたのか、また、モーセを通して何のためにユダヤ人教会を起こされたのかを説明しようと努力したのです。神様は新しい宗派を作ろうとされたのでしょうか? 新しい教団を建てようとされたのでしょうか? この世界で最も壮大で豪華な神殿を建てようとされたのでしょうか? ステパノはそうではないと言ったのです。その話は、当時の教会の指導者たちの心をとても不愉快にさせました。現代でも、もしステパノが出てきて教会の指導者たちに同じ説教をするなら、石が飛んでくることでしょう。今日、教会で説教がなされ、伝道活動が行われていますが、そのすべてのことが、本当の主の御心、主のご計画に沿ったものでなく、真の福音を伝えているものではないからです。今日の教会にとっても、教団がより重要であり、教会の建物や機関の発展がより重要なものになっているからです。実はそのために、ユダヤ人教会が滅びたのです。