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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 23

2013年03月28日 | 日記

      

                                                                    日本フラワー&ガーデンショウより :新品種のチョコレート コスモス 

 ひまわりさんより(3月28日)

今日の日課の言葉は、今の私にとってとても大切なことだと思いました。「もしわたしたちが神の受け入れてくださる品性を発達させたいのであれば、わたしたちは自分たちの宗教経験において正しい習慣を形成しなければならない。日ごとの祈りは、この世の食物が肉体の健康に必要であるように、恵みにおける成長、そして霊的な命そのものにとってさえ、重要不可欠である。わたしたちは自ら、しばしば祈りのうちに思想を神にまで引き上げることに慣れるべきである。もし思いがさまようなら、わたしたちはそれを引き戻さなければならない。辛抱強い努力によって、習慣となり、ついには容易になる」(E・G・ホワイト 『清められた生活』より) 祈りの経験をもっと深めていきたいと思いました。

    すべてをキリストにささげる経験 23

次のステップは何ですか。屠った動物の腹を切ります。腹を開いて、すべての器官、内臓を切り取って水で洗います。これは何を象徴しているのでしょうか。私たちの命のすべてを、キリストにささげるということを表しているのです。たとえば、「私はかつて自分の肺の中にタバコの毒を取り入れていました、お許しください。神の真理を表している水で、それを洗いたいと思います」と言います。心臓も切り取って、「私は自分の心臓を自分の栄光のために使ってきました。私は自分の心をあなたにささげたいと思います」。

そのようにして、内蔵の一つ一つを切り取って水で洗います。この燔祭の経験をすることによって、リバイバルと改革の両方を表したわけです。そのあとに、神様に向かって言うわけですね。「神様、私のうちにまだ罪が残っているなら、私の心を探って、どうぞ清めてください」

 


二つの契約 22

2013年03月27日 | 日記

      

                                        日本フラワー&ガーデンショウより

 ひまわりさんより(3月27日)

果物の話・続き:Kさんは、膀胱がんの末期で入院し血尿も出ていたのですが、少しの時間でも家で過ごしてもらおうということになり、退院して訪問介護が入ることになりました。いつターミナルを迎えることになるのか、気になりながらの対応がはじまりました。Kさんはもともとキゥイフルーツなど果物が大好きな方で、退院後は毎食キゥイフルーツとイチゴを必ず食べるようになりました。すると、3日目から、血尿が止まり、体調もすごくよくなってきたのです。病状の改善にはいろいろの要素があると思いますが、病院と違ったことというと果物を食べるようになったことが大きいのです。キゥイフルーツやイチゴのビタミンCの効果がかなりあったのではないかと思ったりしています。

     燔祭の意味(デビット・カン講演22)

一つのことを理解すべきです。イスラエル全体の罪のために動物が屠られるときには、その動物の血を聖所の第1の部屋に持っていって、垂れ幕ではなくて、垂れ幕の下の方に7回注ぎます。ところが、個人個人の罪のために連れてきた動物の血は、聖所には運ばれないのです。イスラエル全体の罪祭として屠られた動物の血だけが、聖所の中に持って行かれるのです。

罪人が動物を屠ったあと、何をしますか。動物を燔祭として捧げます。燔祭とは、私たちの悔い改め、回心の経験を表しているものです。動物を殺したあと、その皮をはぎ取るのです。これは何を意味していますか。自分の義は汚れた衣、ボロ布のようなものであるから、それを脱いで、イエス・キリストの衣を着たいということを表しているのです。


二つの契約 21

2013年03月26日 | 日記

             

              日本フラワー&ガーデンショウより       ハートの形をした植木             

       ひまわりさんより(3月26日)

私は、時間ができた時にラジオ体操をやるために、DVDを買ってそれを見ながらやっています。このDVDには、出演者の自己紹介が入っています。その中に、好きな食べ物の紹介があるのですが、面白いと思ったのは、体操スタッフの若い人たちは唐揚げや、トンカツ、スイーツが好きなのに対して、指導者の先生方は、ほとんどの人が果物が好きと答えていることです。指導者クラスになると、健康に気を遣うようになるということなのではないかと思います。ところで私が、長年お年寄りのケアをしている中で感じているのは、健康で長生きしているお年寄りは、ほとんどが果物類が好きな人だということです。特に、リンゴかトマトをよく食べる人は、健康長寿の人が多いと思います。最初に創られた人間の食物である、「種をもつすべての草と、種のある実をむすぶすべての木」(創世記1:29)が人間の健康にとって、一番いい食物なのだと思います。

      身代わりの犠牲 21

罪人はこのいけにえの前にひざまずいて、頭の上に手を置いて、みずからの罪の告白をします。そして自分のすべての罪が、告白を通してその動物に移されたことを信じます。そのいけにえというのは、イエス・キリストを象徴しているわけですね。そして、そのいけにえの動物は殺されなければなりません。誰が動物を殺すのですか? 祭司ですか。罪人ですか? 罪人が、自分で刃物を持って、耳のあたりからもう一つの耳のあたりまで、首をバッサリ切ります。その動物は、罪人の目の前でブルブル震えながら死んでゆくわけです。目を開いたまま・・・。

祭司はその時、したたり落ちる血を器に入れます。この血を祭司はどうしますか。聖所に持っていって注ぐんですか? 燔祭の祭壇の四隅に四つの角があって、その角に血をつけまして、残りは祭壇の下の部分に注ぎます。

 


二つの契約 20

2013年03月25日 | 日記

 

          日本フラワー&ガーデンショウより

  ひまわりさんより(3月25日)

最近忘れ物が多くなったので、朝家を出る時、仕事に必ず使う物は「時計、メガネ、鍵、財布、携帯」と声に出して確認しています。今日もそうやってから、車まで行ったのですが、座席に座ってから、時計をつけようとしたら、ありませんでした。たった今、手に持っているのを確認したのに見当たりません。玄関から車までの短い距離のどこにあるのだろうとあちこち探したのですが見つけることができませんでした。出発の時間は来ているし、時計がないと本当に不便なので、ついイライラしそうになりました。私は特に、物がなくなるとイライラしやすく、以前は物が所定の場所にないだけで怒鳴りまくるような性格でした。でもその時、なくなった時計と、イライラしない心と、どっちが大事だろうかと考えました。そして、「朽ちる外はない金」にではなく、朽ちない物に心を置くほうが大事ではないかと思いました。そして、「ああ自分は今まで、心よりもものを大事にしていたのだなあ」と思いました。それで探すことよりも、心をイライラしない方に意志を向けていったらイライラしそうになった心も穏やかになり、感謝の気持ちで一日を始めることができました。ところが、午後になって、次の訪問のために、今何時だろうと思ったら、時計がなくてすごく不便な思いをしました。それで神様に「私は時計がなくなったことで、すごく大切な学びをしました。でも、今は時計がないととても不便なので時計を出していただけませんでしょうかと」と、お祈りしました。なんだかへんなお祈りだなあと思いましたが、祈りました。それから何となく助手席の方が気になって、左側のドアを開けて座席の下をふと見ると、すぐそこに時計が落ちていました。朝何回も見たところだったのに、祈ったらすぐ答えられたのです。これからは、時計を見るたびに、「見えるものにではなく、見えないものに」(2コリント4:18)心を向けていきたいと思います。

    信心の奥義とは   20

私たちのこの堕落した性質を着て、イエス様は地上においでになりました。そしてなおも、罪に打ち勝たれたのですね。これこそ、聖書で「信心の奥義」と言われているものなのです。これが福音の力であります。そのような経験をして初めて私たちは新しい契約のもとで生きるようになります。

旧約聖書レビ記の1章において、燔祭をどのようにささげればよいか、そのプロセスが示されています。この燔祭というのは、私たちの悔い改めの経験をさしています。

どうして新しい神学がセブンスデー・アドベンチスト教会に見事に入ってきたと思いますか。それは、私たちが聖所のメッセージの理解を失ってしまったからなのです。この、燔祭をささげる過程を覚えているならば、ー――よく聞いていただきたいのですが、罪人が犠牲となる動物を連れてきます。それから何をしますか。その動物を祭司に渡すわけですね。祭司の仕事とは何でしょう。祭司は、動物を連れてきた罪人に、罪の告白をして、罪を象徴的にその動物に移したあと、どのようにしてこの動物を殺すかその手伝いをしてあげます。現在の牧師である多くの人々が、この働きをしていません。もし皆さんの教会の牧師が、このことを教えていないならば、いつまでもその教会に出席して間違った教えを聞き続けないでください。真理によって皆さんが養われる、そのような適切なメッセージを探すのは、皆さんの義務であります。私が言っていることは強すぎますか?きつすぎますか? そうは思いません。皆さん、自分の魂をそのような異端的な教えにさらして、魂を危険にさらすべきではありません。

 

 


二つの契約 19 

2013年03月24日 | 日記

    

    第23回 フラワー&ガーデンショウ:今年のシンボルフラワーはアルストロメリアでした

   ひまわりさんより(3月24日)

今日は午後から、幕張メッセで開かれている『日本フラワー&ガーデンショー』へ夫と一緒に行ってきました。大好きな、色とりどりの花に囲まれて楽しいひと時を過ごしました。たくさんの花を見ているうちに、ふと、花は何のために咲くのだろうと思いました。多くの人を楽しませ、慰めてくれるのですが、あまりにも花の命は短いのです。そして結局、花は、子孫を残すために咲くのだということに思いいたりました。風や虫などの力を借りたりして、花は受粉し実を結び、次の世代へ命を伝えていくのです。私はそのことから、自分たちの信仰も、子供たちにしっかりとリレーしていかなければならないと改めて思いました。わたしたちが神様からいただいた恵みや祝福の数々、そして真理を見いだし、それに従うこと、こうしたことを、私たちの生き方という模範を通して伝えていきたいと心から思いました。

     皆さん福音を信じていますか? 19

しかし私たちは、自分の力、自分の努力で神様の戒めに従うことはできません。それが問題なのです。ではどのようにして神様の戒めに従うことができるようになるのでしょう。どうやって誘惑に勝つことができるようになるのでしょう。私たちのうちにある、この罪深い性質、悪の力にどうやって打ち勝つことができるようになるのでしょう。これを教えるのが福音なのです。福音とは良き知らせというだけでなく、救いに至る神の力でもあるのです。それを信じるならば・・・。皆さん信じておられますか。本当に信じますか? どうしてみんな静かなんでしょう。皆さん福音を信じていますか? これが聖徒たちの信仰なんです。これがイエスの信仰です。