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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演16

2013年01月12日 | 日記



    ひまわりさんより(1月12日)

以前にも書きましたが、イエス様が言われた、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:33)ということは、安息日に教会へ行くこと、什一献金をすること、祈祷会に休まず出席すること、と単純に思ってきました。それをずっと形だけでは実行してきましたが、その結果は、100円の石鹸も買えないほど、貧乏のどん底となり、家族はバラバラの状態となってしまいました。デビット・カン先生は、「神の国と神の義を求めれば、すべての必要は満たされる」と教え、そのことを体験しておられます。そして、神の国と神の義を求めるとは、完全に自己を屈服させて、イエス様の品性が自分の身になること、具体的には、自分の思いではなく、み言葉を優先できるようにイエス様におすがりして、助けをいただけるよう祈ることだと教えておられます。そのようにしていったら、ほんとうに、必要な物はすべて与えられ、感謝が一杯の毎日を送ることができるようにさせられています。聖書のみ言葉の意味を正しく理解し、それに心から、喜んで従う時に、約束は必ずその通りになるのだということを、感じさせられています。

    印する働きの始まり(デビット・カン講演16)

間もなく私たちは、この世界において、さまざまな争い、憎み合い、恐ろしい出来事を目の当たりにすることでしょう。長年、何百年も、世の終わりを待ちわびてきたわけですけれども、実際に起こるとき、それが起こるのは1日の出来事なんです。
次にエゼキエル書9章4節。ここに非常に興味深いことが書かれています。「彼に言われた。町の中、エルサレムの中をめぐり、その中で行われているすべての憎むべきことに対して、嘆き悲しむ人々の額にしるしをつけよ」。このエゼキエル書9章の4節に、非常に重要なある描写を見ることができます。ここに描かれているのが「印する働き」なのですね。この印する働きは、神の家からまず始まるということです。聖書には、聖所の前にいた「老人から始めた」、という言葉もあるわけですね。この年をとった、老人で表されているのは誰のことでしょうか。白髪の人たちのことを言っているのでしょうか。違います。教会の牧師や指導者のことを言っているんです。神様はまず彼らを打ちたたかれ、裁かれます。なぜでしょうか。なぜなら彼らは、自分たちの権威を用いて、人々を盲目にさせてきたからです。