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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演20

2013年01月16日 | 日記



     ひまわりさんより(1月16日)

今日の日課の言葉をご紹介させていただきます。「真の礼節の神髄は他人のことを思いやることの中にある」(『キリストを映して』より)。ここは去年も読んだところで、太いアンダーラインが引いてありました。1年たって、思いやりの精神が身についていないなと思い、ため息をつきそうになりましたが、その少し前に、このように書いてありました。「このお方(キリスト)は、最も粗野で見込みのなさそうな人々の前に、彼らが神の子であることを明らかにする品性に到達することができるという保証を示しつつ、希望を抱かせようと努められた」。この言葉に励まされ、ため息なんかついていられないと思いました。

      聖所の儀式とキリスト(デビット・カン講演20)

聖所の儀式において、備えのパンを焼く時、神様はそのパンを、安息日の朝に焼きなさいと指示を与えておられました。安息日に働くべきではなかったのに、神聖なパンは、安息日の朝に焼きなさいと神様は指示を与えられたのです。レビ人はこのパンを、このように焼きました。このパンが、しっかりと焼けているかどうか調べるために、フォークのような細長いもので、そのパンの横から刺して、そのパンがしっかり焼けているかどうか確かめたわけです。そしてこれが、しっかりと焼けたならば、十字架のしるしをそこにつけました。そしてこのパンは準備ができたということになったわけです。
イエス様は、私は、天からやってきた、命のパンだと言われました(ヨハネ6:51)。
イエス様が十字架上で亡くなられたとき、ローマの兵隊たちは、本当に死んだのかどうか確かめたかったわけです。何をしましたか? その時、槍でイエス様の脇腹を刺しました。
槍の先はイエス様の胸まで届いて、そこから、水と血とが流れたと記されています。なぜでしょう。なぜならイエス様の心臓が破裂していたからです。イエス様は全世界の罪の重荷を負うのに耐えきれなかったのです。イエス様の心臓は・・・。そしてその結果、イエス様の心臓が破裂したと書かれています。その時、胸の中に水と血がいっぱいになったわけです。体液の中には、色のない血小板というのがあるんですが、それと赤血球とが分かれたのです。そして、赤血球と血小板が分かれて出てきたわけですね。
イエス様は、十字架の苦しみで亡くなられたわけではありません。皆さんの罪、私の罪の故に、イエス様は死なれたのです。私たちの罪をご自身で負われたゆえに、それに耐えきれなくなって、イエス様の心臓が破裂してしまったのです。