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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印(デビット・カン講演18)

2013年01月14日 | 日記
 

    ひまわりさんより(1月14日)

今日は千葉も大雪でした。夫のいるデイサービスは雪のため、お昼過ぎで終了ということになり、私も、早めに仕事を終わって、二人とも3時過ぎには家に帰ることにしました。雪道が怖いので、夫の乗った普通車の後ろを、軽自動車の私がついて行くようにしました。軽だと重量が軽いので、あまり雪をかき分けられませんが、普通車は雪をかきわけて、タイヤの黒い筋を付けて進んでいきます。私はその後から、タイヤのわだちの跡をついて行けばいいので、かなり安全に進むことができました。前が見えないくらい吹雪いてすごく怖かったのですが、私たちが歩む道は、イエス様が歩まれた道なので、イエス様について行くというのはこういう感じなのかな、と思いながら安心して家に帰りつくことができました。そのイエス様の道とは、自己犠牲と謙遜と柔和の道なのだと思いました。(写真は私の家の教会です。15人集まればいっぱいの小さなところです。いつかここで、主を生きてお迎えする人々と共に礼拝したいと思っています)


  
   印する働き3(デビット・カン講演18)

「そんなことはないでしょう、カン先生」と言われる方がおられるかもしれません。「自分の勝手な解釈ではないですか」、というわけです。本当にそんな意味があるんでしょうか。では証明いたしましょう。『マラナ・タ』という本から、証の書の言葉を読みたいと思います。243ページです。「我々は皆、悩みの時の直前に生ける神の印を受けた」。
「生ける神の印を受けた」とありますね。「その後、私は4人の天使たちが、地の四方の風を抑えることをやめるのを見た。そして私は、飢饉、疫病、剣、国が国に敵対して立ち上がり、全世界が混乱しているのを見た」 
ここで、止められた風が放たれるということが書いてありますね。そして、生ける神の印の事も書かれています。同じページを読みますが、ホワイト夫人はこのように言っています。「神の民の額に押される生ける神の印とは何であろうか。それは人間の目では読むことができないが、天使たちには読むことができるしるしである。なぜなら、滅ぼす天使たちが贖いのしるしを見なければならないからである。知性に富む天使たちは、神の息子、娘とされた人たちにカルバリーの十字架の印を見てきた。神の律法に違反した罪は取り除かれている。彼らは礼服を着ており、神のすべての戒めに従順、かつ忠実なものである」