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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演21

2013年01月17日 | 日記


    ひまわりさんより(1月17日)

今日は、夢の中で、「この思いは、神様の思いではない。黙れ、出て行け、下がれ」と何度も叫んでいました。そうしたら目が覚めて、夢の中でも、サタンとの戦いをしていたことに気づきました。私にとっては,起きていても、眠っていても常にサタンとの戦いで、それは、イエス様の思いに自分の思いを従わせる戦いなのだと思いました。そのようなサタンとの戦いの中で、イエス様の思いは、赦しと、理解と、励ましなのですが、サタンの思いは,仕返し、批判、破壊なので、はっきりと違うものです。以前は、やすやすとこのサタンの思いに身をゆだねていたのですが、今はそれがサタンの思いだということが分かるので、それに従わないように戦うことができるのだと思います。

    十字架のしるし(デビット・カン講演21)

イスラエルの歴史を通じて、神様は十字架の印をつけることを、イスラエル人に教えられました。なぜ神様は、天使たちにこのカルバリーの十字架のしるしを額に付けるようにと指示されるのでしょうか。これは「生ける神の印」ですね。なぜそのようなしるしなんでしょうか。
先ほど読んだところに、「神の律法に違反した罪は取り除かれている」とあります。どういう意味でしょうか。本当の意味で許された人たちのことですね。神様の恵みによって、彼らの魂において、罪の問題がすべて解決されているわけです。神の律法を完全に守っているわけです。もはや、神の律法に違反することはないわけです。イエス様をこよなく愛するからですね。ゆえに、イエス様を傷つけたくないと思うわけです。罪が除かれた状態ですね。罪の除去なのです。そういう人たちに十字架のしるしがつけられます。日曜休業令がやってくる前に、私たちはそれを持たなくてはいけません。多くのセブンスデー・アドベンチストは、そのことについて全く知らず、世の人達たちと同じように生きているだけです。ただ、土曜日に教会に行って、午後にはやりたい事をやっています。ある人は土曜日の午後買い物に行って、レストランで食べたりします。安息日を守るとはどういうことかわかっていないんです。






生ける神の印 デビット・カン講演21

2013年01月17日 | 日記


    ひまわりさんより(1月17日)

今日は、夢の中で、「この思いは、神様の思いではない。黙れ、出て行け、下がれ」と何度も叫んでいました。そうしたら目が覚めて、夢の中でも、サタンとの戦いをしていたことに気づきました。私にとっては,起きていても、眠っていても常にサタンとの戦いで、それは、イエス様の思いに自分の思いを従わせる戦いなのだと思いました。そのようなサタンとの戦いの中で、イエス様の思いは、赦しと、理解と、励ましなのですが、サタンの思いは,仕返し、批判、破壊なので、はっきりと違うものです。以前は、やすやすとこのサタンの思いに身をゆだねていたのですが、今はそれがサタンの思いだということが分かるので、それに従わないように戦うことができるのだと思います。

    十字架のしるし(デビット・カン講演21)

イスラエルの歴史を通じて、神様は十字架の印をつけることを、イスラエル人に教えられました。なぜ神様は、天使たちにこのカルバリーの十字架のしるしを額に付けるようにと指示されるのでしょうか。これは「生ける神の印」ですね。なぜそのようなしるしなんでしょうか。
先ほど読んだところに、「神の律法に違反した罪は取り除かれている」とあります。どういう意味でしょうか。本当の意味で許された人たちのことですね。神様の恵みによって、彼らの魂において、罪の問題がすべて解決されているわけです。神の律法を完全に守っているわけです。もはや、神の律法に違反することはないわけです。イエス様をこよなく愛するからですね。ゆえに、イエス様を傷つけたくないと思うわけです。罪が除かれた状態ですね。罪の除去なのです。そういう人たちに十字架のしるしがつけられます。日曜休業令がやってくる前に、私たちはそれを持たなくてはいけません。多くのセブンスデー・アドベンチストは、そのことについて全く知らず、世の人達たちと同じように生きているだけです。ただ、土曜日に教会に行って、午後にはやりたい事をやっています。ある人は土曜日の午後買い物に行って、レストランで食べたりします。安息日を守るとはどういうことかわかっていないんです。