~16回目の一人旅~

いつもより少し長めの一人旅。。求めるものはお酒と世界遺産!デッカいカメラでバシャバシャ撮ってます。

最古のコーラン<195日目> in タシケント

2011-09-07 23:00:00 | 中央アジア
 昨日は2時半まで飲んでいたけれど、今日は朝から観光。色々とタシケントには長く居たけど、今まではほとんど観光していなかった。

 特にタシケントには見所がないと思っていたんだけれど、世界最古のコーランがあるというので、それを見に行った。チョルスーバザールのそばのサーカスから北へ向かうと昔の古い町並みが残っている。そこをさらに進むと大きなモスクやマドラサが残っている広場へ出た。
 モスク?マドラサ?どっちだっけ?


 その中にいた職人。


 これはマドラサ?


 本物です。


 コーランはその広場の一角にある博物館の厳重そうなケースの中にあった。


 古いというのは一目で分かった。そして、かなり大きな本。写真を撮れなかったのが残念だった。
 

 昼食。


 昼からはまた日本大使館へ行った。タシケントで日本大使館へ行くのはこれで4回目。一応、口止めされていたので書かなかったけれど、今回のサッカーのチケットを手配してもらったのは日本大使館。在留邦人向けのところを、ただの旅行者のおれらにも手配をしてくれたのだ。

 で、今日はパスポートの増補の受け取り。分厚くなって少し重くなってパスポートが返ってきた。これが全て埋まったら日本へ帰ろうかな?

 パスポートの受け取りが終わった後は、ネットやったり、明日の移動に備えての買い出しをしたりしているうちに時間が過ぎていった。そして、ウズベキスタン最後の晩餐はいつもと同じようにシャシリク。

 明日はいよいよ飛行機。この旅初だから嬉しい。


 <宿泊地>ハドラホテル ドミ 25000スム
 詳細は昨日と同じ。

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ワールドカップ予選!<194日目> in タシケント

2011-09-06 23:00:00 | 中央アジア
 パスポートの増補をするために日本大使館へ行ってきた。その場でできないか?と聞くと、「今日はワールドカップ予選の準備とかで忙しいのでちょっと無理」と言われた。まぁそれなら仕方ない。大使館のヒトもワールドカップ予選の試合のために色々と仕事をしないとダメだから。

 増補の申請を済ませてホテルに戻って休憩。ちょうど昼頃にミワコさんがようやくやってきた。これでヒトは揃ったので、昼食を食べた後、バザールに日本国旗を作る材料を探しに出かけた。

 欲しいのは白い布とペンキ。これは意外と簡単に見つかった。ユニフォームも欲しかったけれど、さすがに手に入らなかった。適当な青いTシャツで行くしかない。

 ホテルに戻ってさっそく国旗作り。とりあえずボールペンで円を書いてその周りをガムテープで型取り。裏に写らないように裏にもガムテープを貼った。そして、真ん中の円に向かって赤いスプレーを噴射。ヨウスケくんがスプレーを噴射したが、これはかなり上手くできた。


 ところが、1つだけ失敗。型取りのガムテープをもう1周大きくしておくべきだった。やっぱりスプレーで噴射したのがガムテープの周りにも飛んでしまっていて、ガムテープを外すとかなり目立つ。結局、白のスプレーでごまかしてみることにした。


 結果、何やら日の丸の太陽から炎が出てる感じになってしまった。ウズベキスタンで即興で作った国旗なんだから仕方ないかな? 最後にメッセージを入れて完成!
 できあがりはブログの後半の写真で…

 時間もいい頃合になったので、途中でビールを買っていよいよスタジアムに向かった。最寄りのメトロを降りてスタジアム方面へ歩くと、すでに歓声が聞こえている。それを聞くだけでもワクワクする。

 スタジアムの周りはヒトだらけ。入るには予想通り荷物チェックがあった。その周りにはペットボトルの山が… どうやらペットボトルの持ち込みが禁止されているみたい。ちょっとドキドキしたが、なぜか荷物検査はクリア。無事にビールもジュースも持ち込めた。ところが、一緒だったヨウスケくんやタカくんはビールを没収。さっき買ったばっかりなのに…

 スタジアムはもうかなりのヒトで埋まっていた。日本側の席を除いて… これだけヒトが少ないとサポーター席が映れば、ホントにTVに映れるかも(笑)。それにしてもウズベク側の熱気はスゴイ。練習で選手が出てきただけで大盛り上がり。アウェイってスゴイなって思った。


 ウェーブ中。


 試合前の練習。




 サムライ居ました!!


 選手入場!


 国歌斉唱。


 控え達。


 さすが地元。デカイ旗を持ってる。



 そして、いよいよキックオフ。






 ワーってなっていうるうちに、なんと点を入れられてしまった。こんな早い時点で点を入れられるとは… しかも、その後、日本はほとんどシュートを打たない。前半終了間際に惜しいのがあったけど、それだけ…

 それにしても、前半45分は一瞬で終わってしまった。ずっと立ちながらサポーターの鳴らす太鼓に合わせて手を叩いて、ワーワー騒いでいるうちに前半終了。








 ハーフタイムは後半に備えて、ビールやウォッカを飲んだ。

 ハーフタイム中にさっきのサムライさんと写真を撮った。



 後半に入ると、お酒も回ってきたのかさらにテンションが上がってきた。ビール飲みながらサッカー観戦。そして、ようやく同点に追いついてからは、もう楽しくて仕方なかった。


 大騒ぎ(笑)


 結局、1-1の引き分け。なんとか同点で終わってくれてホッとした。もし今日ウズベクに負けようもんなら、明日街を歩くと現地人から散々冷やかされてしまうからだ。でも、1-1なのできっと大丈夫。


 サポーターへの挨拶。


 ウズベク人は出るのが早い。


 警官と記念撮影。


 大使館員とも記念撮影。


 そして、これが作った旗(笑)。もしTVに映ってたとかを見たヒトはご一報を(笑)。



 スタジアムを出てからは、現地のヒト達に囲まれた。1-1だったのでウズベク人も明るい。みんなで写真を撮って大騒ぎしながらメトロの駅まで歩いていった。

 それにしてもスゴイ迫力だった。TVで見た方がボールに絡んでいるのが誰かとかは分かりやすいけど、スタジアムの独特の雰囲気は良かった。やっぱり生の観戦はいい。スペインでサッカーを見るのが楽しみだ。


 <宿泊地>ハドラホテル ドミ 25000スム
 詳細は昨日と同じ。

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酒盛り<193日目> in タシケント

2011-09-05 23:00:00 | 中央アジア
 色々と調べないといけないことがあったので、朝からネット。フリーのwi-fiがあるカフェでは、過去3回は何も頼まずにネットだけすることができたんだけど、今日は注文を取りに来てしまったので仕方なくビールを頼んだ。

 まずはイスタンブールからの飛行機のチケットの購入。今まで調べていたら80ユーロで飛べたんだけど、値上げしてしまったうえ、一番安い日が10月24日だけになってしまっていた。これ以上、チケットを買うのを遅らせるとまた値上げしてしまうと思ったので、思い切って購入。

 これで10月24日にイスタンブールからバルセロナ行きが決定! 値上げしたと言っても合計で100ユーロ。LCCバンザイ!!


 そして、明日のサッカーの試合を一緒に見に行くはずだったヒト達がまだ誰も来ないので、メールチェック。どうやら今日の遅くか最悪、明日に着くみたいだ。こういうときに携帯電話がないと連絡がなかなか取れずに不便だ。


 いつタシケントに来るのか分からないので、昼食を食べた後はホテルで休憩がてらしばらく待つことにした。

 で、気づいたら寝てしまっていた。

 ふと目が覚めてボーッとしていると、ドアをノックする音がした。ドアを開けてみると、ヨウスケくんとケンさんが到着。これであとはミワコさん1人だけ。

 とりあえず3人で明日のチケットを取りに行った。チケットは無事に手に入り、これで明日の試合は見ることができる。日本側は150人くらいしか来ないみたいなので、TVに映れるかも…


 夕食を食べてホテルに戻ると、ビシュケクやサマルカンドで会った韓国人のキムさんに呼ばれて、部屋でお酒を飲むことになった。最初は韓国人3人と日本人2人だったんだけれど、いつの間にやら次々増えて、韓国人3人、日本人7人、現地人3人の合計13人。大宴会になってしまった。

 明日のサッカーで勝てば、またお祝いの飲み会だ。ウズベクのビールがもう少し美味しいといいんだけれど…


 <宿泊地>ハドラホテル ドミ 25000スム
 詳細は昨日と同じ。

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国境越えはしんどい<192日目> in タシケント

2011-09-04 23:00:00 | 中央アジア
 昨日、宿の兄ちゃんが「明日は日曜だからマルシュルートカはない。だからおれが20ドルで国境まで送っていってやる」と言っていたので、少し不安だったけれど、アブレシムバスターミナルへ行くと、ブストン行きのマルシュルートカはあった。しかも、昨日の兄ちゃんは「ブストンまで40Ts」とか言っていたけれど、実際は5Ts。嘘つくならもう少し分かりにくい嘘をつけばいいのに。

 ブストンまでは40分くらいで到着。ちょうど同じマルシュルートカにウズベキスタンへ行くカザフ人が乗っていたので、ブストンから国境までのタクシーも簡単に捕まえることができた。1人4Ts。安い。結局、国境まで2ドルで行くことができた。

 タジク側の国境では、まず税関。カザフ人は普通に通れたのに、なぜかおれだけ別室。そして係員がニヤニヤしながら「5ドル払えば、行っていいよ」と言ってきた。賄賂だ。この旅で初めての賄賂。やっぱり役人はまだまだ腐っているのかな。。
 当然、払う訳がないので、ノーノーと断りながら、自分で荷物を開けていった。係員はさすがに諦めたのか、荷物を見だしたが、それすらめんどくさくなったみたいで、結局スグに放免された。

 金を取られた訳じゃないからいいんだけれど、やっぱり何か気分が悪い。賄賂とかくだらんことは辞めて欲しいもんだ。。

 タジク側の出国スタンプは簡単にもらえた。そして、緩衝地帯を歩いてウズベク側へ。ウズベク側ではヒトがたまっている。入国スタンプをもらうのにも割り込みがあって時間がかかってしまった。というより、列があるのか無いのか分からない状況だったから、そもそも時間がかかった。

 そして、厄介な税関。なぜか5人ずつくらいしか入れてもらえず、それも20分に1回くらい。結局、税関に入るまでで1hくらい待たされた。

 税関の申告書を書いて、ハンコをもらって、また荷物検査かな~って思っていると、ここでも別室に呼ばれた。そして、なんとお金のチェック。申告書に適当に金額を書いたからヤバい。しかも、書いていないお金も持っている。

 できるだけバレないようにと期待したけれど、残念ながら申告書に書いていないタジキスタンソモニを持っていることがバレてしまった。お土産用に残したキレイなお金で30ドル分はある。で、係員が「これは申告書に書いていないから、没収」と言ってきた。


 これはマジでヤバい。せっかく集めたお金やし、金額的にも取られると悔しい。必死で色々と説明した。


 「申告書に3つしか書く欄がなかったから、書かなかったんだ」と言うと、係員は「それでもダメだ。ココに追加で書く所がある」と言ってくる。「そんなの分からなかった。じゃあもう一度申告書を書き直す」と言っても、「もうハンコが押されているからダメだ」と言い返される。

 あーだこーだやってるうちに、エラいヒトがやってきた。もうダメかなぁ~と思っていると、そのエラいヒトが「いいよ。大丈夫」と言ってくれた。

 助かった~~

 なんとか無事にお金を持ち込むことには成功した。けれど、今度出国のときにもめないように、お金を隠すなりしないといけない。ホントにめんどくさい国だ…

 ようやく無事に国境を通れて、近くの幹線道路でタシケント行きの車を待った。停まってくれたのは、ボカ行きの車。ボカまで行けば、タシケント行きのバスなりマルシュルートカなりが見つかりやすいと思ったので、とりあえずボカまで移動した。

 ボカでは簡単にバスが見つかった。タシケントまでは、まだ7、80kmはあるはずなのに、わずか1500スム。結局、フジャンドからタシケントまで300円くらいで移動することができた。

 移動費が節約できたので、今日の夕食はいつもよりシャシリクを多めに頼んだ。やっぱりシャシリクは美味い。いよいよ明後日にはサッカーの日本戦。その2日後には飛行機だ。トルコが近づいてきた。
 シャシリク食べてるときに相席になったヒト達。全くと言っていいほど何喋ってるのか分からなかった。
 とりあえず、ウズベクが2-0で勝つとか訳分からんこと言ってたから、日本が2-0で勝つと言い返しておいた。


 ハドラホテルからの夜景。





 <宿泊地>ハドラホテル ドミ 25000スム
 サーカスのそば。メトロのガーフル・グラム駅からガーフル・グラム通り沿いに南に歩いて、スーパーやレストランを越えたところにあるバス停のそばの大きな建物。2Fが受付。共同シャワー(ホットシャワー)&トイレ。

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甘かった。<191日目> in フジャンド

2011-09-03 23:00:00 | 中央アジア
 朝、宿のオジサンに朝食に誘われて、断りきれずに頂くことになった。朝食が3ドルなので宿では食べたくなかったんだけれど…

 ところが、支払いのときになって請求されたのは2泊分の宿代だけだった。今日の少食はおろか、一昨日のドイツ人に混じって夕食を食べ、ワインやウォッカをいっぱい飲んだのにその分すら請求されなかった。夕食も朝食もオジサンの心遣いだったみたいだ。感謝、感謝。


 昨日オジサンが「今日のフジャンド行きの乗り合いタクシーを手配してくれる」と言ってくれたので、多少の待ち時間はあれ、楽に移動できると思っていた。「8時~8時半に宿に迎えに来る」と聞いていたけど、来たのは9時。まぁこのくらいは許容範囲。

 来た車には運転手の他に1人しか乗っていなかったので、たぶん人待ちをしないといけないんだろうな~と思ったら、やっぱりバスターミナルで人待ちをすることになった。これがまたなかなか集まらない。しかもあと1人だと思っていたら、後部の荷物入れになっていたところも座席にしてしまったので、あと何人待つのか分からない。仕方なく待つことになった。

 1hほど待って1人が来た。その状態で運転手はエンジンをかけて、車を発車させた。おかしいなぁ~と思っていると、やっぱりパンジャケントの街の方へ車を走らせた。おそらく、バスターミナルで交渉がまとまったヒト達を拾いにいくんだろう。

 そして、街中をウロウロした結果、さらに4人も増えてギュウギュウ詰め。一番後部座席に追いやられてしまったので、かなりキツイ。その後も色々と停まったりしたので、結局出発したのは11時。宿で待った分も入れると3hも待たされた。やっぱり移動はそう上手くはいかない。考えが甘かった。


 車は2日前に来た道を戻っていった。ところが、2日前はウトウトしていたので、一度通ったはずの道なのに、半分近くは覚えていない。さらに今日も寝ていたので、アッという間にドゥシャンベ方面とフジャンド方面の分岐点まで到着した。

 ここから車はフジャンド方面へ進んだ。いきなり山道を走ったが、道が良いのでかなり快適。座席が狭いことを除けば…

 と思っていたのも最初だけで、30分ほど走ったところから舗装は完全になくなり、砂の山道になった。そして、ひたすら山を登っていく。結構なスピードを出しているのでかなり怖い。ガックンガックン揺れるのに、スグ右側は崖。それでも一気に山を登っていくのでかなり景色はキレイだった。

 そして、ついに峠越え。上手く説明できないけれど、「これぞ峠越え!」って感じの気持ち良さだった。峠を越えるまでの景色も良く、峠を越えた瞬間に広がる景色も最高だった。

 すいません。窓が開かなかったので写真は一枚もないです。

 峠を越えても道の悪さは続いた。それでもかなりのスピードを出している。怖い。横を見ると、何台も車が崖下に転がっているのが見えた。全部ペシャンコ。そういえば、ドゥシャンベからパンジャケントへ行く途中も、今まさに炎上してる車を見たし、完全にひっくり返ってスイカが散らばっている車も見た。運転手を信じるしかない。


 山を下り終わると、道は舗装され、かなり楽になった。ちなみに今トンネルを作っているみたいなので、あと数年?もすればこの風景を見ることができなくなるみたいだ。そう思うと怖い思いもするけれど、1hくらい続くジェットコースター(命の保証なし)だと思えばまぁ良かったのかも(笑)。
 峠を下りた後の休憩所。




 フジャンドには夕方5時に着いた。エリナゲストハウスで紹介してもらったゲストハウスへ行くつもりだったので、書いてもらった住所を運転手に渡して連れてってもらうことに。実際は、途中で宿のヒトが迎えに来てくれ、車を乗り換えることになった。

 そして、連れていかれたのは普通のマンションの一室。

 ただの家やん!!

 若い兄ちゃんは少し英語を喋るけど、オバちゃんは全く英語を喋れない。ロシア語での民泊はちょっと辛い。ただ、結構お金を持っているのか、部屋の中はスゴくキレイだし、液晶テレビも何台もあった。


 お茶と食べ物を出されたので、もう外に出る気が起きなくなってしまった。結局、フジャンドは何も見ずに出ることになりそうだ。しかも、タジキスタンの土産を買っていないけれど、これも買えなさそう。1つの国で1つの土産と思ってきたけれど、無理かも。そもそもタジキスタンのお土産に惹かれるものがない。というか、お土産自体を見ていない。仕方ないか…



 <宿泊地>民泊 シングル?ってか居間で雑魚寝 10ドル
 パンジャケントのエリナゲストハウスのオジサンに紹介してもらった。住所書いてもらった紙を乗り合いタクシーの運転手に持って行かれたので、すいません、全く場所が分かりません。たぶん、ブストン(オイベク国境の最寄りの街)行きのマルシュルートカが発着するバス停のそばだけれど、普通のマンションの3Fやし、情報なしでは見つけることは不可能です。興味があれば、エリナゲストハウスに問い合わせて下さい。

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遺跡巡り<190日目> in パンジャケント

2011-09-02 23:00:00 | 中央アジア
 朝からマルシュルートカに乗ってサラズム遺跡に向かった。タジキスタンで唯一の世界遺産だ。

 博物館前で降ろしてもらったが、閉まっていた。ところが、マルシュルートカの運転手がドアの隙間に手を突っ込んで勝手に開けてくれた。良かったんだろうか?

 中に入ると道の両脇に簡単な説明書きがあった。そのまま道なりに進むと作業しているヒトだか、ただの現地人だか分からないヒトと会った。そして、そのうちの1人が付いてきた。少し喋りかけてきたが、コッチがロシア語をほとんど分からないことが分かったみたいで、後は黙って付いてきていた。

 サラズム遺跡は、遺跡というよりただの発掘現場。それでも世界遺産になっただけあって、看板と英語の説明書きもあった。一応、説明書きを読んでみたもののよく分からない。知識がなさすぎる。
 世界遺産の看板。




 遺跡は妄想でなんとか楽しめるもんだとは言え、さすがに無理。ホントにただの発掘現場。考古学の専門家とかなら楽しめるんだろうけど… 歴史的に何か重要だったから世界遺産になったんだろうけど、これじゃあ観光資源にはならないかな(笑)。パンジャケントに来たついでにココへ来るならまだしも、ココへ来るためにパンジャケントに来るのは止めた方がいいかも(笑)。




 遺跡は犬の休憩所になってた。


 ただ、周囲は何もなくのんびりした風景だった。ちょうど向日葵が大量に咲いていて、遠くには山が見えて、そういう風景は良かった。




 子供たち。




 昨日撮れなかったメイド。




 パンジャケントに戻って、とりあえず昼食。タジキスタンへ入ってから、なかなか良いご飯にありつけなかったけれど、今日食べたケバブは良かった。


 パンジャケントのバザール。


 バザールそばのモスク。



 昼食も食べたので、次はパンジャケントの南にあるパンジャケント古代遺跡へ向かった。こっちは小高い丘の上にあった。丘を登って見えたものは、遺跡だかただの土の塊だか微妙な感じの遺跡。






 ところどころには、住居跡らしきものがハッキリと残っている分、サラズム遺跡よりは妄想しやすい。それに思った以上に広く、遺跡の上などをアチコチ歩きまわることができた。

 でも、一番良かったのは、丘からの眺め。パンジャケントの街の向こうには川と山が見えてキレイ。そして、西風が吹いてかなり気持ち良かった。日が照っていて暑いはずなのに、風のおかげで全然暑くなかった。







 夕食はシャシリクをお持ち帰り。やっぱりシャシリクは外れることが少ないので安心感がある。

 そして、荷物の整理をした。と言っても、特にモノを捨てる訳でもなく、結局、荷物を一度放り出して、もう一度詰め直しただけ。これ以上、荷物を減らせる気がしない。


 <世界遺産31個目(文化遺産23個目)>・・・サラズムの古代都市遺跡
 パンジャケントの西15km。パンジャケントのバザールそばから8番のマルシュルートカで約20分。遺跡の博物館前で降ろしてくれる。市バスの1番でもたぶん行ける。
 2011年9月2日現在で、サマルカンドとパンジャケントとの間の国境は閉まっている。国境が開けば、国境行きのマルシュルートカを途中下車することでも行ける。国境とパンジャケントとを結ぶ幹線道路から遺跡は見えている。


 <宿泊地>エリナゲストハウス シングル 10ドル
 詳細は昨日と同じ。

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タジキスタンはメイドがいっぱい<189日目> in パンジャケント

2011-09-01 23:00:00 | 中央アジア
 旅行人やロンプラには、乗り合いタクシーでもパンジャケントまで8h以上と書いてあったので、できるだけ朝早くに移動することにした。7時半には準備をして宿を出ようとしたんだけれど、宿のヒトがまだ起きていなかった。少し待ったけれど、起きてくる気配もないので、仕方なく宿代を置いて勝手に出ていくことにした。
 宿に居た子猫。メッチャ小さい。


 パンジャケントへはドゥシャンベの北にあるセメント工場から乗り合いタクシーが出ていると聞いたので、宿の近くのワルゾーブバザールからマルシュルートカに乗ってセメント工場まで移動することにした。ところが、バザールの周辺で「パンジャケント?ホジャンド?」と乗り合いタクシーの呼び込みの声が聞こえる。そして、アッと言う間に呼び込みのヒトに捕まり、パンジャケントまでの交渉がまとまった。


 相変わらず今日も誰も待っていなくて、最初の1人。パンジャケント行きの乗り場じゃないせいか、いつまで待っても客は現れない。そろそろ1h経とうかというところで、運転手が戻ってきて、「アッチの車に乗り換えだ」と行って、別の所へ連れていかれた。

 連れていかれたところには車が待っていて、すでにヒトがいっぱい。というか、単なる家族連れの車のようだ。まぁ何であれパンジャケントまで行けるなら問題はない。しかも助手席を割り当ててくれた。おかげで後部座席には大人2人、子供3人。荷物入れのところにさらに子供2人。運転手とおれを含めて合計9人も乗っている。


 このコらは同じ車に乗っていた子供。


 車が走り出してしばらくは起きていたが、結局ウトウトしてしまった。おかげで峠越えをハッキリとは見ることができなかった。それでも景色はなかなかのもので、パキスタンの風景に似ている。今回は結局パミールハイウェイを通る時間がなかったので、ドゥシャンベの北の方へ行くことにしたが、コッチですら満足いく景色。パミールハイウェイもいつかは通ってみたいと思わせるに充分だった。










 ちなみに、今日はひょっとして始業式or入学式なのか、子供たちはみんな制服を来ていた。女の子の服はどう見てもメイド服。小学生から高校生くらいまでみんながメイド服を着ている。タジク人がどんなヒト達かなんて知ってるヒトはほとんど居ないと思うけれど、メイド服も私服も結構可愛い。移動中だったので、結局一枚も写真を撮れなかったけれど…>_<

 結局パンジャケントまで途中休憩も含めて5h弱で着いてしまった。ほとんどをウトウトしていたので、アッと言う間に着いてしまった気がする。

 とりあえず、宿に荷物を置いて昼飯を食べた。


 そして、一度宿に戻ってビールを飲みながら休憩。と、気づいたら寝てしまっていた。あれだけ移動中も寝たはずなのに、さらに寝るとはよっぽど疲れていたのかな? 結局、夕方になってしまったので、今日は終わり。

 夜は同じ宿に泊まっているドイツ人グループと一緒に食事。英語で話しかけてくれるが、なかなか理解できずに大変だった。それでもウォッカを飲み、ワインを飲み、ブドウに洋なしにメロンにスイカ… 満足だった。



 <宿泊地>エリナゲストハウス シングル 10ドル
 ホットシャワー&トイレ付き。wi-fiなし。シングルは狭いが、特に問題なし。キレイ。他にドミというか、ご飯を食べるところにマットレスを持ってきてもらって寝るだけなら5ドルでも良いらしい。
 ルーダキー通り22/16。博物館からルーダキー通りを西に10分ほど歩くと、ロータリーがあり、そのそばにある。少し路地に入ったところにあるが、ルーダキー通りから看板が見える。ロンプラには「Homestay of Nematov Niyozkul」として載っている。バスターミナルからは1番のマルシュルートカで行けるらしい。バザールや街の中心にはちょっと遠い。

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ニーハオは無視<188日目> in ドゥシャンベ

2011-08-31 23:00:00 | 中央アジア
 眠いはずなのになぜか8時過ぎに目が覚めてしまった。午前中は洗濯したり、ブログの更新したりして、昼過ぎから街へ出かけた。

 宿は街の中心から結構離れているので、最初はバスに乗って中心へ行こうと思ったけれど、ドゥシャンベでコレと言って見たいものがある訳じゃなかったので、ブラブラと歩くことにした。
 ドゥシャンベの通りには、英語の記載もあった。あとの2つはタジク語とロシア語。たぶん。


 ドゥシャンベ市内。今までのスタン系の国で一番ムスリム色が強い気がする。


 5Dってどういうこと?最大で7Dもあったけど…


 モスクや公園や変なモニュメントなど、目についたところへ適当に近寄ってみた。モスクではお祈り中だったので、入れず。公園もモニュメントもボーッと眺めて写真を撮るだけ。
 モスクの入り口。


 モスクの中。


 公園にあったルーダキー像。誰だ?


 モニュメント達。






 デッカイ旗。これだけデカイとちょっとやそっとじゃ、はためかない。



 さらに郵便局へ行って切手の購入。何を思ったか50ソモニ分も買ってしまった。1ドル=4.8ソモニなのに、買うときにキルギスソムとこんがらがって、ついつい1ドル48ソモニと勘違いしてしまった。切手に10ドル以上。今まで買った切手の中では一番の出費だ。

 これだけのことをするのに、宿が遠かったおかげでかなりの時間が経ってしまった。とりあえず、久しぶりのファストフードでハンバーガー。その後、近くのカフェで生ビール。ここでも生ビールは3ソモニと、瓶より安い。瓶ビールでは安いのを見つけたが、それでも4.4ソモニもした。

 さらに歩き続けて駅に到着。一応の目的地としていたので、ここで終了。寄り道しながら宿まで戻ることにした。思った以上に遠い。そりゃー寄り道したり、ご飯食べたりしたけれど、3hもかかった道のりを戻るんだから。結局、宿に着いたら夕方になってしまった。
 駅。ちっぽけ。


 帰りには戦車も見つけた。


 独立20周年のモニュメント。


 今日1日歩いて、何回も「ニーハオ」と話しかけられた。今までの国では「中国人?韓国人?」とまずは国籍を聞かれていたのに、タジクではとりあえず「ニーハオ」。そんなに中国人が多いのか?

 で、国籍を聞かれるならともかく、中国人と決めつけられて(?)いきなり「ニーハオ」と話しかけられるのは嫌いだ。なので、ほとんど無視。明らかに目が合ってから「ニーハオ」と言われた場合は仕方ないけれど、遠くからorすれ違いざまに「ニーハオ!」って叫んでるヤツらは全て無視。ちゃんと日本人として扱って欲しい。旅が長くなるにつれて、日本人から離れていってる気もするけれど…

 まぁそもそも全員と相手していたらめんどくさいって理由が一番だけど。


 <宿泊地>アドベンチャーズイン ツイン 1人15ドル
 詳細は昨日と同じ。

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6時間待ち<187日目> in ドゥシャンベ

2011-08-30 23:00:00 | 中央アジア
 朝8時前には眠い目をこすりながらホテルを出た。ホテルのオバちゃんに教えてもらって、市バスに乗ってバスターミナルへ移動した。バスターミナルではスグに国境の最寄りの街のデナウ行きの乗り合いタクシーを見つけることができた。値段は12000Us。

 まだ誰も居なかったけれど、少し待っただけで4人揃って出発。相変わらず、スゴく飛ばした。でも、ほとんどウトウトしていたので、気づいたらデナウに着いていた。テルメズからデナウまで150kmとか言っていたけれど、2hもかかっていなかった。

 デナウから国境までの乗り合いタクシーでもヒトを待った。ところが、今回は全然揃わない。結局、4、50分待ったところでようやく1人が来た。運転手もそれで諦めたようで、そのまま出発した。

 1h弱で国境に到着した。カザフスタンのシムケントとウズベキスタンのタシケントの間の国境と違って、寂れている。全然、ヒトが居ない。ちなみに、一緒に乗り合いタクシーに乗ったヒトは、国境の手前の村で降りてしまった。


 まずは、ウズベク側の税関。ここでも全部荷物を開けられた。それでも、対応は意外と優しい。「もうすぐサッカーの試合あるだろ?どっちが勝つと思う?」と聞かれたので、当然「日本!」と答えておいた。ただし、点数だけは控えめに「1-0」って答えておいた(笑)。

 荷物検査があったせいでウズベク側では1hくらいかかってしまった。そして、タジク側まで緩衝地帯を歩く。この緩衝地帯を歩いているときはなぜかワクワクする。国境を自分の足で越えるっていうのは日本では絶対にありえないことだし、陸路国境の醍醐味だ。


 タジク側の入国審査では、入国カードを書いているうちに係官が居なくなってしまって、放置されてしまった。10分くらい待ってようやく戻ってきて、ハンコを押されて終了! ついにタジキスタンに入国。この旅で6ヶ国目。

 タジキスタンの税関もロシア語の紙を書くのに苦労したが、それだけ。荷物検査もなくスルーだった。


 税関から少し歩くと、数台の車が停まっていた。タクシーの値段を聞いてみると、ドゥシャンベまで40ドル。70kmくらいなので高すぎる。「シェアタクシーやマルシュルートカがないのか?」と聞いてみたが、「ない」らしい(あっても「ない」って答えると思う)。

 で、困ったのは、この国境を越えてくるヒトが全然居なかったこと。ウズベク側では4人組の現地人が居たけれど、先に行ってしまったし、その後、荷物検査を受けていた間には誰も来なかった。タジク側で待っていたときも誰も来なかった。ってことは、ここで仮にシェアタクシーがあったとしても、ヒトが全然集まらない。

 とりあえず近くの街までタクシーで行こうかと思ったけれど、近くの街の名前が分からないし、そこからシェアタクシーがあるかどうかも分からない。結局、20ドルでドゥシャンベまで行くはめになってしまった。ボラれたんだろうなぁ~と思いつつも、諦めるしかない。

 ドゥシャンベの宿に着いて休憩した後、ご飯を食べに出た。普通のラグマンとサモサとビールで約2ドル。生ビールが2ソモニ(=35円くらい)だったのが良かった。けれど、その後お店で瓶ビールを買うと何と6ソモニ。1ドル超えている。高い。
 ラグマンとサモサ。サモサは美味しかった。ラグマンはいまいち…


 もう夕方だったので観光は明日にして宿に戻った。ところが、同じ部屋のオーストラリア人が鍵を持っていってしまったらしく、部屋に入れない。最初は晩ご飯を食べに行ってスグに戻ってくるのだろうって思って大人しく待っていた。

 だけど、いつまで待っても帰ってこない。2hくらい待ったところで、マスターキーがないのか、宿のヒトに聞いてみた。けれど、ないらしい。「すまない。帰ってくるまで待ってくれ」と言われた。マスターキーがなぜ無いんだ…

 さらに待った。いつまで経っても帰ってこない。何であのオーストラリア人は鍵持って出ていくんだ? 部屋にもう1人居ることが分かってるくせに、鍵持っていったら入れなくなるってことくらい分からんのか? と、イライラしながら待っていた。

 いい加減、10時も過ぎたのでもう限界。宿のヒトに「何とかしろ!6hも待ってるんだぞ!」と言うと、何やら鍵を持ってきて1つずつドアに合うか試しだした。オーストラリア人が持っていったんだから合う訳ないやん…って思って見ていた。

 すると、なんと3つ目で開いてしまった。鍵あるやん!! オーストラリア人、疑ってごめんm(_ _)m と同時に、宿のオッサン、しっかりしろよ。6h待ったのが全く意味なかったんやん…

 全くもってバカらしい一日になってしまった。。


 <宿泊地>アドベンチャーズイン ツイン 1人15ドル
 ハムサファールという旅行会社経営の宿。共同シャワー(ホットシャワー)&トイレ。wi-fiあり。
 ワルゾーブバザールの南の通りを西に向かって、突き当たりで道なりに左折。スグに小さな橋があるので、橋を渡って右前の道をそのまま真っ直ぐ。3分くらい歩けば、左側に旅行会社の看板が見えるので、その中。ロンプラに載っている。

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テルメズなんて二度と来るかっ!!<186日目> in テルメズ

2011-08-29 23:00:00 | 中央アジア
 眠い。でも、今日出ないとさすがに時間がなくなっているので、頑張って宿を出た。これからしばらくは1人。タクシーで乗合タクシー乗り場へ移動した。1人だとタクシー代がかさむのが辛い。

 乗合タクシーは最初テルメズまで50ドルとか言っていたが、結局、50000スム(20ドル)で落ち着いた。ちょっと待って出発。予想通り、昨日と全く同じ道。それでもほとんどウトウトしていたので大して気にはならなかった。

 しばらく走ると、検問。残念なことに外国人のおれだけ車外に出され、パキスタンと同じようにノートに記帳された。ロシア語なので何喋ってるのか分からないが、フレンドリーなことだけは分かる。旧ソビエト圏の警官とかは腐っているイメージが強かったけれど、結構まともな人が多い気がする。

 6h程かかってテルメズに到着した。博物館そばの安宿に行くつもりだったけれど、やっていなかった。仕方なく、そこで紹介してもらった高めのホテルへ。地図も何も持ってないし、今日中に少しでも観光したかったので安宿を探しているヒマは無かった。

 それでも、1泊40ドル。とりあえず35ドルには下がったが、やっぱり高い。ところが、スム払いで聞いてみると63000スム。タシケントでは闇両替で1ドル2500スムだったからこれだと、25ドルくらいになる。テルメズでは公定レートに近い1ドル1800スムで計算しているらしい。でも、スムの持ち合わせがない。

 どこかでスムに両替できることを期待して(最悪、35ドル払うことを覚悟して)チェックイン。スグに町に出た。ホントはバザールへ行きたかったが、どこにあるか分からない。博物館へ行きたかったけれど、閉まるまで1h程しかないので両替のためにバザールを探している時間がない。


 仕方なく、少しだけウロウロして、声をかけてきたタクシーの運転手に両替できるか聞いてみた。1ドル2250スムで替えてくれるらしい。タシケントやサマルカンドで両替するよりは悪いが、今は仕方がない。ただ、明らかにコイツらは金を持ってなさそう。

 でも「OKだ。OKだ。」と言うので30ドル渡すと、やっぱり自分のポケットにしまい込みやがった。。半分予想していたこととは言え、ムカっときたので、お金を突っ込んだポケットを掴んで思いっきり引っ張ってやった。それでも相手もなかなか離さない。

 もういい加減頭にキタので日本語で罵りまくって、お金を奪い返すことに成功。こういうときって関西弁って得なのかな? それでも、気分が悪い。

 仕方なく両替は諦めて、博物館へ行った。入るときに声をかけてきた男が居たんだけれど、どうやら博物館の管理人(チケット売り)らしい。「英語喋れるか?」と聞いてきたので、コイツならひょっとしたら両替できるかもor両替できるところ知ってるかもって思って英語で聞いてみたけど、全然英語喋れない。結局、そいつが喋れるのは、博物館の入場料を英語で言えるだけだった。

 ラチがあかないので、5000スムと言われた入場料だけ払って博物館を見ることにした。考古学博物館なんだけれど、まぁパッとしない。この辺りの考古学に対する知識を持ってないので、適当に見て回るだけ。無駄な5000スムだった。
 博物館。


 博物館の中。まぁ普通かな?








 昔のチェスがあった。


 博物館を出たところで、さっきの管理人らしき男がやってきた。「写真撮っただろ?カメラ代は5000スムだ」と言ってきた。入場料と撮影料が別になっているところは多いので、多少覚悟はしていたけれど、納得できない。とりあえず「ちゃんとしたチケットを出せ」と言うと、料金表を見せてきた。それを見ると、入場料は4000スムって書いてある(たぶん。管理人が「入場料だ」って指さしたところに4000スムって書いてあった)。

 バカか?コイツ… さっき入場料として5000スム取ったくせに。自分でホントは4000スムって言ってる。

 これまた腹が立ったので、「お前はさっき5000スムって言っただろ?5000スム払ったからそれ以上は払わない」と撮影料は突っぱねた。管理人が撮影料だって指さしているロシア語もどうみてもカメラとか写真とかいう単語じゃなさそうなので、尚更怪しかった。

 散々もめていたら英語を喋れるヤツがやってきたので、「管理人は嘘つきだ。だから、おれは払う気はない」って言い張った。さらに、一悶着あったが、結局、管理人が折れた。「もういい」って言わせたので、こっちも差額の4000スム投げて出ていった。ホントに入場料4000スム+撮影料5000スムだったら、払わない料金を踏み倒したことになってしまうから。相手に負けを認めさせたので、とりあえずお金を払うことには諦めがつく。


 ただ、やっぱり納得がいかない。今までウズベクではそんなにイヤな思いをしなかったけれど、なんでたった一日でこんなにイヤな目に遭うんだろう? ムシャクシャしたまま、近くのシャシリク屋でシャシリクとビールを注文。

 ところが、こういうときに限って、なぜかいつまで経ってもビールが来ない。結局、シャシリクと同時にビールが来た。しょうもないことだけど、これまでに腹が立っているだけに、異様にムカつく。ただ、最後にお金を払うときに少し喋るといい感じのヒト達だったので、まぁ気分はマシになった。


 それでも今日一日の、というより、テルメズに着いてからのイライラが収まらないのでビール1.5リットルを買ってホテルに戻った。結局、両替もできなかったので、USドルで35ドルも支払った。

 シャワーを浴びると、なんとホットシャワーが出ない。キレイなホテルだからと油断していた。35ドルって昨日までサマルカンドで泊まっていた5泊分も払ったのにホットシャワーすら出ないとは…


 全くもってテルメズに良い想い出はできなかった。郊外の遺跡やアフガニスタンを見に行くことにも興味が完全に失せてしまった。ホントはタジキスタンからアフガンへ行くはずだったのが、時間がなくなって諦めざるを得なくなったからせめて見たかったんだけれど…

 ホント一日イライラしっぱなしだ。唯一良かったのは博物館に居た子供が可愛かったことだけ。。


 明日はグッバイウズベクだ。


 <宿泊地>アッスンホテル シングル 35ドル
 考古学博物館を正面から見た場合、左に100mくらい。考古学博物館の前にあるホテルテニスコートがやってなかったので、紹介してもらったホテル。高いくせにホットシャワーも出なかった。テレビ、トイレ、エアコン付き。wi-fiなし。スムで払えば63000スム。

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