同窓会にまた行ったでー!

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2000年のはずだけどなあ(バジル)

2007-09-29 01:41:31 | Weblog
私がシャンテに関わり始めたのは、震災の次の年だったので、1996年のはずです。

そして、シャンテ分裂の原因がコータロー君のメジャーデビューだったので、
2000年が最後だったと記憶してます。

シャンテって何?と聞かれそうですよね。
一応ロックバンドってことになってましたけど、中身はロック?だったかな?

ユニークなバンドだったので、演奏が下手なわりには、あちらこちらに呼ばれてましたよ。
特に学校が多くて、小学校、中学、高校、大学と年代もばらばら。

メインメンバーは4人。うち3名が全盲だったんです。
コータロー君や私達はサポーターとして、彼らを支えていました。
メンバーもサポーターも仕事を持っているバンドなので、やりくりが大変でね。

私の役割は、歌詞の部分を声以外の方法で伝えるというものです。
ですから、ステージに立っていても、声を出すわけでもなく、楽器を演奏するわけでもありません。

なんだそりゃ???って感じでしょ?

メインメンバーのうちの全盲ではない彼女(山本さん)は、私と同じ手話サークルのメンバーでした。

つまり、声ではないというのは、ひとつは、手話で、もうひとつは文字なんです。

私は主に文字の方の担当で、最初はOHPで動かない歌詞を出していたんですが、
リーダーの「文字も歌ってて欲しいなあ」という一言で、考えだしたのが、
動く字幕です。
文字が飛び跳ねたり、伸び縮みして、歌っているようなアニメーションを
パソコンで作って、ステージのバックや上に出していたのです。

それがおもしろかったのでしょうねえ。テレビ番組もできました。
「手話でロックを聞かせて」という番組です。

この番組は、ギャラクシー賞という、テレビドキュメンタリー賞を頂ました。
そのおかげでシリーズ化され、バージョン3まで作られました。
番組で私の姿が出たのは、手だけでしたから、番組を見た人からも、
どこに出てたの?と聞かれるほど分かりませんでしたけどね。

この番組で共演してくれた西村知美さんは、長くシャンテを応援してくれて、
自主コンサートの時には、参加してくれてました。

コータロー君が作曲した作品もありましたよ。
シャンテのCDも一応ありました。
プロデュースしたくれた人は、桑名さんや天童さん。枚数限定でしたから、
おそらく世間では残ってはいないだろうと思います。

私も、山本さんが出られない日には、手話ボーカルとしてステージに立ってましたから、
私を山本さんだと思って見ている人もいたでしょうねえ。

シャンテのおかげで、私は手話パフォーマーとして別のステージにも呼ばれ、
ゴダイゴのタケカワユキヒデさんや、アニメソングの影山ヒロノブさんとも共演できたのはラッキーでした。

今は、おとなしく会社と自宅を往復の毎日です。