つまらないつぶやき⑱
ある友はいう、青春を意識したのは中学時代の後半かな?・・・・え?
私が青春を意識したのは高校時代それも後半の頃だった気がする。
「青春」の認識は特定の異性に対する特別な意識を保有することか?と自分では解釈する。この場合、共有つまり相手に同様の意識が存在することの有無は問わない。
中学時代、高校時代、その時々私の周囲の部活仲間に必ずモテ男がいた。等しく彼らは異性との語らいを自慢した。私に限らず他の友もそんな彼を許容した。許容をいいことに彼はますます開放的になっていく。羨む気持ちはなくもなかったが所詮自分とは違うという思いがそんな気持ちを打ち消した。そんなモテ男の青春も長続きはしなかった。次はいよいよ俺の番か?淡い期待はいつも期待の域を乗り越えたためしはない。
やはり次の青春もそのモテ男のところにやって来た。・・こちらは黙々と部活に励んだ。
そんな私のところにも慈悲深き神様がやって来た。如来様だったかもしれない?
高校時代、2年生の競歩大会だった。当時の競歩大会は男子・女子は別々のコース。距離も違っていたと記憶する。私と○道部の友(卒業後は○京でおまわりさんになった、そう!あの彼)は同じクラスの体育委員。ふたりで女子コースのしんがりを務めることになった。なぜそうなったかは記憶がない。たぶん全体の委員会でそうなったのだろう。しんがりとは最後尾、戦乱の世であれば敵将と一戦まみえる正に決死覚悟の位置であるが、競歩大会のそれは全く別の世界であった。
何と!レースの始まりから終わりまでテクテク歩き。それも二人の3年生とずっと一緒だった。当時の印象としてちょっと不良っぽいが素敵なおねえさん達だった。早生だった○道部の彼は一方の先輩と積極的に会話した。彼女もすかさず切り返す。笑いあり会話が弾む。
そんな状況を横目にもうひとりのおねえさん(キャンディースの蘭ちゃん似だった)と私は時々会話に加わるもののずっと聞き役だった気がする。途中、先生から「てれてれ行くな!急がんか!」と何度か注意されたが、急ぎ足はすぐにテクテク歩きに戻る。とにかく楽しかったと記憶する。
高校時代年上の女性とふれあうことなど全く想定外の出来事であった。秋は深まり部活の苦しみが募る時期とはいえ自分にとっては春の日差しが降り注いでくれた、かな?
やがて聞き役だったおねえさんを意識する日々が続いた。
ある日のこと、例のおねえさんと駐輪場だったか?ばったり会った。聞くと帰る方向は途中まで一緒だ。ここは勇気をだすところ、「一緒に帰りませんか?」と切り出すと、彼女からは「OK」のサインが出た。杵築高校から寺町経由錦江橋まで一緒にチャリを押しながら帰った。話の内容は全く覚えていないが、橋を渡りきりいよいよ彼女と別れた途端、熱き血潮が体中駆け巡っていたのを忘れない。
以来、何もなかった・・が、自分にとってその記憶は今でも青春を意識する出来事であった。
今、こうしてブログに向かいながら少し熱くなることはあっても血潮が騒ぐことはない。携帯電話のなかった時代の息苦しい思い出である。親友で○京にいってしまったモテ男には卒業までに何度も春がやってきたので、一緒に歩いた競歩大会の記憶は今はないかもしれない・・・・。
先輩へのあこがれ、先輩との恋。ブログの向こう側の同窓(女性のみなさん)は今でも大切に胸の内に秘めていることでしょうね。きっと今とは違う?とっても大切なもうひとりの自分が思い出と同居しているのでしょう。今でも血騒ぎ、胸キュンでしょうか?(これは余計なことでした。)
調子に乗るな!たかだかこんな事を自慢するな!と叱責・失笑は覚悟しつつ、このブログ投稿100回記念にあたりつらつらと書き綴ってみました。夏の巻の肴になりそうですね。
バジルさん!やっぱりつまらないので「つまらない」は続けます。・・・ね。
ある友はいう、青春を意識したのは中学時代の後半かな?・・・・え?
私が青春を意識したのは高校時代それも後半の頃だった気がする。
「青春」の認識は特定の異性に対する特別な意識を保有することか?と自分では解釈する。この場合、共有つまり相手に同様の意識が存在することの有無は問わない。
中学時代、高校時代、その時々私の周囲の部活仲間に必ずモテ男がいた。等しく彼らは異性との語らいを自慢した。私に限らず他の友もそんな彼を許容した。許容をいいことに彼はますます開放的になっていく。羨む気持ちはなくもなかったが所詮自分とは違うという思いがそんな気持ちを打ち消した。そんなモテ男の青春も長続きはしなかった。次はいよいよ俺の番か?淡い期待はいつも期待の域を乗り越えたためしはない。
やはり次の青春もそのモテ男のところにやって来た。・・こちらは黙々と部活に励んだ。
そんな私のところにも慈悲深き神様がやって来た。如来様だったかもしれない?
高校時代、2年生の競歩大会だった。当時の競歩大会は男子・女子は別々のコース。距離も違っていたと記憶する。私と○道部の友(卒業後は○京でおまわりさんになった、そう!あの彼)は同じクラスの体育委員。ふたりで女子コースのしんがりを務めることになった。なぜそうなったかは記憶がない。たぶん全体の委員会でそうなったのだろう。しんがりとは最後尾、戦乱の世であれば敵将と一戦まみえる正に決死覚悟の位置であるが、競歩大会のそれは全く別の世界であった。
何と!レースの始まりから終わりまでテクテク歩き。それも二人の3年生とずっと一緒だった。当時の印象としてちょっと不良っぽいが素敵なおねえさん達だった。早生だった○道部の彼は一方の先輩と積極的に会話した。彼女もすかさず切り返す。笑いあり会話が弾む。
そんな状況を横目にもうひとりのおねえさん(キャンディースの蘭ちゃん似だった)と私は時々会話に加わるもののずっと聞き役だった気がする。途中、先生から「てれてれ行くな!急がんか!」と何度か注意されたが、急ぎ足はすぐにテクテク歩きに戻る。とにかく楽しかったと記憶する。
高校時代年上の女性とふれあうことなど全く想定外の出来事であった。秋は深まり部活の苦しみが募る時期とはいえ自分にとっては春の日差しが降り注いでくれた、かな?
やがて聞き役だったおねえさんを意識する日々が続いた。
ある日のこと、例のおねえさんと駐輪場だったか?ばったり会った。聞くと帰る方向は途中まで一緒だ。ここは勇気をだすところ、「一緒に帰りませんか?」と切り出すと、彼女からは「OK」のサインが出た。杵築高校から寺町経由錦江橋まで一緒にチャリを押しながら帰った。話の内容は全く覚えていないが、橋を渡りきりいよいよ彼女と別れた途端、熱き血潮が体中駆け巡っていたのを忘れない。
以来、何もなかった・・が、自分にとってその記憶は今でも青春を意識する出来事であった。
今、こうしてブログに向かいながら少し熱くなることはあっても血潮が騒ぐことはない。携帯電話のなかった時代の息苦しい思い出である。親友で○京にいってしまったモテ男には卒業までに何度も春がやってきたので、一緒に歩いた競歩大会の記憶は今はないかもしれない・・・・。
先輩へのあこがれ、先輩との恋。ブログの向こう側の同窓(女性のみなさん)は今でも大切に胸の内に秘めていることでしょうね。きっと今とは違う?とっても大切なもうひとりの自分が思い出と同居しているのでしょう。今でも血騒ぎ、胸キュンでしょうか?(これは余計なことでした。)
調子に乗るな!たかだかこんな事を自慢するな!と叱責・失笑は覚悟しつつ、このブログ投稿100回記念にあたりつらつらと書き綴ってみました。夏の巻の肴になりそうですね。
バジルさん!やっぱりつまらないので「つまらない」は続けます。・・・ね。