すぐ側にいるかもしれないヤングケアラーをみつけて声をかけてみよう

2015年02月23日 | 日記
病気や障害、精神的な病を抱える家族を世話する、未成年の子どもや若者のことを「ヤングケアラー」というそうです。

近年少子化や核家族化によって家族が小単位になり、10代20代の子どもや若者が家族を介護する事例が増えているとのこと。

医療機関で患者やその家族の支援をしている医療ソーシャルワーカーへの調査で、3人に1人が18歳以下の子どもが家族をケアしていると感じた事例がある、ということです。

ケアの内容は「家事」「きょうだいの世話」「請求書の支払い・病院への付き添い」「情緒面のサポート」などで、学業との両立の難しさや、同世代からの孤立といった表面化しにくい課題を抱えている事例も少なくないと指摘するのは、成蹊大学講師の澁谷智子さんです。

こうした実態の統計や社会的な認識は乏しく、支援策もほとんどないのが現状だと澁谷さんは言います。

学校の先生に相談しても、現状を理解してもらえず「親に任せろ」と言われたり、疲れのため居眠りをして目の敵にされたり、「おうちのお手伝い」としか思われなかったりと、現状を周囲に説明することが非常に難しいことがわかります。

大人は何ができるのか?

支援の第一歩は「介護を担う子どもをみつけること」だそうです。

イギリスでは教育省の指導の下、教員や学校関係者がヤングケアラーを見つけて支援できるよう、さまざまな訓練を行っているということです。

こういったニーズを見つけ出すことは困難なことだと思います。

ヤングケアラーに限らず、助けを必要としている人と、サポートする人が偶然出会うということはほとんどあり得ません。助けが必要でありながら、どうやって助けを求めていいのかわからず立ち往生している人はいたるところに存在するでしょう。

ドイツの作家ケストナーの『点子ちゃんとアントン』映画版のなかで、お金持ちの点子ちゃんが、お母さんが病気で貧乏な親友のアントンを助けようとお父さんに相談するのです。お父さんは「我が国ドイツは、社会福祉がしっかり整っている。困っている人はそういう制度を使えばいいんだよ」と言います。点子ちゃんは、大人がてんで当てにならないとわかり、自分で稼ぐことに決めました。繁華街に行き、ダンスを披露し小金を集めました。近所の悪ガキから「おまえんちの娘見世物になってるぜ」と言われ、お父さんとお母さんは慌てて点子ちゃんを探しに行きます…

国がやるべき。行政の仕事。自分の職域ではない。税金はそういうところに使うべし。

自分が関わりたくない人はみんなこう主張します。

私がやろうとすると夫はこう言います。なので私は「夫が反対するから」といってやろうとしません。夫が賛成したらどうなることやら…ほんとうは一人でもでもできるし、誰が反対したって、できるのです。

ヤングケアラーならぬ、リトルケアラーもいます。児童養護施設にいる子どもたちは、保護されるまで、小さな弟や妹の面倒を見ていた子が多いのです。お父さんやお母さんが病気だったり、外国人で日本語が不自由なため、生活に必要な日用品を買ったり、家事のまねごとらしきことをしたり。こども本人がまだ世話を必要としているにもかかわらずです。

なんとなく気にはなっていてもどう支援したらいいのか迷うものです。学校や市町村役場、児童相談所などに連絡するのもひとつの方法ですが、まずは思い切ってなんでもいいから声をかけてみたら、と思います。時間はかかっても、状況が把握できたり、子どもにとって選択肢の一つとなる可能性もあります。

ちょっとした勇気だけど、これがないと動けないものです。

やってみなきゃ。
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白雪姫に毒りんごを食べさせたのは実の母親である

2015年02月21日 | 日記
グリム童話やイソップ童話の原作は残酷である。

白雪姫に毒りんごを食べさせたのは、初版では実母であったが、グリム兄弟は改訂中に継母に変えている。

現在の児童虐待はその多くが実の親によるものである。

民話は事実を冷徹に見ている。

最近の絵本や童話では、昔話などはハッピーエンドとなっていることが多い。残酷な結末や表現が子どもに与える影響を考慮してのことだろうか?

保育園や幼稚園などで演じられる民話・昔話の類も同じように丸く収めてある。

アリとキリギリスでは、遊んでばかりいたキリギリスをアリやチョウチョたちが、「ダメよ~」と言いながらも、ちゃんと食べ物を分けてあげるのである。

白雪姫では、継母が改心して白雪姫と仲直りしている。

めでたしめでたしで文句のつけようもないのだが、腑に落ちない。

残酷な結末を持つ民話や物語は子どもたちの心を荒廃させてきたか?

ゲームやマンガなどの残酷なシーンが問題になることがよくあるが、それほど単純なことなのだろうか。

少年犯罪が低年齢化し出したころ、「心の闇」という言葉がしきりに使われた。

まるで心に闇があってはいけないかのような、闇があることが問題であるかのような、そんな言葉である。

子どもがぬいぐるみや人形、生き物に対して残酷な行為をしていると、大人はぎょっとして、止めさせたくなるが、大人はさりげなく日常的に残酷な行為で日々の感情を調整し、やりすごしているのである。

ハッピーエンドオンリーの物語が主流だと、日陰者はツライ。

誰だって日陰の部分はある。それをないものと考えるのは無理がある。


最近反抗的な5歳の娘にてこずり、イラつき、いい子にさせようと躍起になっている自分の姿をみていて感じたことである
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ヤジのひとつも飛ばさないと男がすたるのか?

2015年02月20日 | 日記
 安倍総理が昨日の国会で、民主党の議員が質問に立った際、うるさくヤジを飛ばして、委員長からも注意を受けたとか…

ネット上で失望の声が広がっているということです。

またか。と思った人も多いかも。

下品で教養に欠ける人(総理大臣だけど)と言ってしまえばそれだけなんだけど、その人が総理大臣であることはちょっと脇に置くとして、下品で教養に欠けるだけで済む話でもないかなと思ったりもする。

人が話をしているときにヤジを飛ばすことを、恥ずべき行為と思っていないだけではなく、なにかカッコイイこと、武勇伝のひとつぐらいに思っているのではないのか?

日本には、据え膳食わずは男の恥とかいう、しょうもない考えがあるが、もしやヤジのひとつも飛ばせないような人間には国会議員など務まらぬとでも思っているのが日本の政治家なのか?

男は黙ってサッポロビールといかないものか。

口下手がけっしていいわけではないが、反動で小沢一郎氏が好もしくみえてしまうじゃないか。

安倍総理がどこにだしても恥ずかしくない人間ではないことはわかりきったことだが、そんな安倍総理をいっしょうけんめい支えている人たちって…

選挙のときに足や時間を使って票取りに奔走する支持者をなだめすかして、大反対していた政策を取り入れて、安倍総理を持ち上げて神輿を担いでいるのは誰だ?

ひとりの支配者とは独力で支配を維持しているのではなく、周囲には幾人かの取り巻きがおり、その取り巻きたる追従者らが支配者に取り入ることで圧政のおこぼれにあずかる。

1530年にフランスで生まれ、14歳で裁判官になったラ・ボエシが16~18歳の時に書いた『自発的隷属論』の中に書かれている言葉である。

たかがヤジだが、暗い話題である
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英語教育の早期化は英ぺを作り出すことが目的ではないはず

2015年02月20日 | 日記
小さな子どもが英語を学ぶ意義はどこにあるのだろうか。

町の図書館では、月に一度国際交流員の人が幼稚園児~小学生を対象とした英語の本の読み聞かせをしている。保育園・幼稚園の年長クラスでも行っている。

私は5歳の娘を連れて3回ほど参加したことがあるのだが、どの子も英語の単語をよく知っている。絵を見せるとちゃんと、「エレファント」「マンキー」「ラビット」などと答えるのである。(この程度は日本語の延長なのか?)

だが、少しでもフレーズになると、全く反応しないのである。ポカーンと口を開けた状態から退屈なのでモソモソ動き出すまで時間はかからない。交流員は日本語が話せるが十分ではない。周りの母親たちは子どもを静かにさせようとはするが、交流員を手助けするまでには至らない。

国際交流員の任期は1年である。

どこの自治体もそうなんだろうか?1年てあまりにも短い気がする。交流員は「日本で働いたことがある」という経験にはなるだろうが、1年でできることは少ないし、交流員への援助も手薄だと思う。いくらもらってるのか知らないが、予算の無駄遣いのように思える…

どこの自治体もやっているから、予算がついているから、以外に理由があるのだろうか。

小学生の英語必修化に関しても賛否両論あったが、結局3年生からですか?始まってますが、これだって、予算の無駄遣い、国語の授業を増やした方が子どものためになる…なんてことになってるんじゃないですか?

図書館の子ども向けのコーナーに、「世界のともだち」というシリーズがあります。パレスチナとインドのを読んでみると、パレスチナの10歳の女の子は、キリスト教系の学校で、国語(アラビア語)の他に英語とフランス語も習っています。(他の学科は算数、科学、社会、地理となってます)インドの男の子は新興富裕層で、有名な私立校に通っており、英語とヒンディー語を習っています。ユニークなのは暗算の学科があることです。他にも環境・地球科学という学科があって週5時間も費やしています。この男の子はパンジャブ地方の出身なのでパンジャブ語も話しますが、一番得意なのは英語だそうです。

なんか彼我の感強し…

グローバル人材育成のためとか、英語できちんと自己主張したりコミュニケーションを取ったりできるようにするため、とかが英語早期教育化の理由だったような気がしますが。日本語が先だろうとか、主張するだけの考えがないんじゃ英語を話せたって意味ないだろうとか、という反論もありましたね。そう言いたくなる気持ちもわかります。

英語がペラペラという表現があるとおり、日本人にとって外国語というのは、ペラペラっとしゃべるのがかっこいいという軽薄さがどうしてもあるようです。発音の悪い人やカタカナ英語っぽい人は中身以前に英ぺとは認められていなかったりします。

小学校でどのような授業を行っているのか知りませんが、英語を話す人はどこに住んでいる人なのか、どんな人種・民族の人なのか、その人たちはどんな肌の色をしているのか、どうして英語ではそのように表現するのか、そういったことを教えることこそが英語教育の意義だと思います。小さいうちからネイティブイングリッシュに接してればたしかにカッコ悪いジャパニーズイングリッシュじゃなくてカッコイイほんものっぽい英語を話すようになるかもしれませんが、日本人が目指しているのはそういうことなのでしょうか?

わがやの5歳の娘は、ユニセフのカレンダーに写っているアフリカの男の子を見て「この子、黒いお顔やね。どうして肌色じゃないが?」と聞いてきます。自分の肌の色が肌色だと思ってるんですね。間違いではありませんが…そのとき疑問に思いました。絵の具の「肌色」って、外国ではどのように表現されているんだろうって。娘に肌の色について説明はしてみましたが、わからないかんじでした。

せっかくの英語教育ですから、教える先生もその意義を考えて、自分なりに工夫して楽しんでやってもらいたいです。

子どもの中に流暢に英語を話す子がいたからってひるまないでほしいです。英ぺを目指すのが目的ではないのですから。負けるな先生。
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会社による労働者のストレスチェックは何に対してどのように有効なんだろう

2015年02月18日 | 日記
 「社労士のためのメンタルヘルス管理者研修の進め方」という研修がありました。


労働安全衛生法改正により、50人以上の労働者がいる事業者はストレスチェックをしないといけなくなりました。今年の12月からです。50人未満は努力義務です。

民主党政権時代厚労大臣だった長妻さんがいいだしっぺだそうです。

会社が労働者のストレスチェックを行い、メンタルヘルス管理をするって、とってもいいことのような気がするけど…

なんか不安…どこから来るんだろう、この不安は…

研修中、講師の方の話を聞きながらも、職場だけじゃなく、家庭でも学校でも地域でも、メンタル面で不調をきたしている人がまるで、「ほんとはここにいるべきじゃない人」のような扱いを受けている現実が頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていた。

法律で義務付けられることによってどんなことが起きるだろうか。

東京管理職ユニオン書記長の鈴木剛さんは、安衛法改正の話が出た2年前から危惧していました。職場環境の改善の前にこういうことをやると、安易に病気扱いにされて、配置転換になったり休職や退職に追い込まれるんじゃないかって。

ストレスチェックを受けて職場改善につなげる、というのが目的なのだけど、そんなふうになるのか?

年収の高い労働者を対象に労働時間の規制を外すという制度ができる一方、労働時間そのものを規制するという話は一向に進まないなか、こういう制度が義務化されるのは何を意味するのだろう。

少し前に倫理研修があり、社会保険労務士の職業倫理についてDVDで延々と事例を見た。職業倫理というものが強制法規によって効果があるのは、この日本という国において、倫理の土壌が形成されているからではないのか。

中国の人に失礼とは思うが言わせてもらう。中国に進出している日本企業は、中国で倫理研修などやっていないだろう。「(職業)倫理」という概念のないところで、そんな話をしたってスルーされるだけではないか。

人権の土壌のない国でいくら人権を声高に叫んでも屁とも思われないし。

日本には会社にストレスチェックを義務づけることで、職場改善を促し労働者の健康を守るという目標に達するだけのメンタルに関する土壌があるだろうか。

心の不調をオープンに話題にできるそんな雰囲気があるだろうか。カウンセリングの文化はどうか?心療内科が増えて受診しやすくはなったが、それだって問題がないわけではない。

こんなことを考えているうちに研修時間が終わってしまった
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