Heal-log

つれづれなるままに。

白石さん捜索願。

2005年11月23日 | 読書


友人rayrayも勧めていたこの一冊。
TVでも特集していたので、先週気になって買いに行った。

が。

いない。白石さんがいないのだ。
店員さんに訊いてみると「ただいま品切れ」とのこと。
2件目にのぞいた書店でも同様の答え。

なんてことだ。余計に読みたくなるではないか。
3件目は東京駅構内の書店。ダメもとで見ると、ラスト1冊が残っていた。

帰りの電車の中で読み終わってしまうくらいの一冊だ。
(と言っても、40分くらいは乗っているので当たり前なのだけれど)
それくらい少ない文字数なのに、どんな長編にも負けないインパクトがこの本にはあると思う。


言葉でも文章でも、多く使えばそれなりに言いたいことは伝わる。
けれども、最小限の言葉で思いを伝えるのは難しい。
blogという形で、そして仕事でも文章を書く機会が増えた最近は、特にそう思う。

誠実さとユーモア。
白石さんの回答のように機転に満ちたやり取りが増えれば、きっと毎日はもっと楽しいのだろう。
ちなみに、今日見たamazonのランキングでは、この本は1位になっていた。

かく言う私も、「質問・要望に対する回答」を書く仕事が回ってくる。
白石さん流回答が出来れば書いてみたいけれど、そんなウィットを持ち合わせていないのが、かえすがえすも残念である。

映画を読む。

2005年11月01日 | 読書


<↑この映画を観ようと思う方、小説を読みたい方はご注意下さい。ネタばれ入ってます>


小説が映画になった時、その話を知らなくても、本から入るという悪い癖が、私にはある。
悪い癖と書いたが、これは大概、映画を観てがっかりすることが多いからである。

考えてみれば、これは当たり前のことなのだけれど。
活字を追って描くイメージは、かなり自分好みのものになっている。
これが映像化された時、監督さんと感性が異なれば、違和感を憶えるのは当然なのだから。

それでも、私は先に本を読む。
映画でイメージが固まってしまう前に自分の感想を持ちたいから。


そんな自分が珍しく、映画を観てから読んだのが「この胸いっぱいの愛を」。
特に理由があった訳ではなく、小説があるのを知らなかっただけだ。
映画を観た日の日記にみゃみさんからコメントを頂いたのがきっかけで小説を読んでみた。


個人的には、この順番で良かったと、そう思った。
根本的には話の筋は同じだけれど、結末が逆転しているのだ。
また(当たり前だが)小説の方が登場人物も多くて、映画の補完になったのも、満足だった。

お話はハッピーエンドであって欲しいと思う。
途中どれだけ辛い内容があっても、終わりが良ければ全て救われる気がするから。
現実の世の中は「救いようのない出来事が」多いからこそ、物語だけでも「めでたしめでたし」で終わってほしいと思うから。

映画を観ている間中、ずっと最後に奇跡が起こることを願っていた。
けれども、何も起こらなかった。
全てが丸く収まっていたらそれで、「こんなに上手く行く訳ない」なんて言っていたのだろうけど、それでも悲しくて泣きっぱなしだった。

でも、小説を読んだことで、救われた気がする。
2日遅れのハッピーエンド。

幸せな気分で眠りにつきながら、映画を先に観る方がいいのかもと、少しだけ思った。

あの金で何が買えたか。

2005年09月01日 | 読書
ゴールド免許になって、わずか10日。
営業車を返却するまで、残り3週間。

遂に、免許証に傷がついてしまった。

「油断」とは多分こういうことを言うのだろう。
いつもは気を付けている、高速道路の直線部分。
何気にスピードを出して、あろうことに、覆面を抜いてしまうなんて。

80km/h制限のところを、119km/hで走行。
39キロオーバーの減点3。反則金は¥35,000也。

「ああ、何てもったいない!」
そう思っていたら、こんな本を思い出した。



これは、日本のバブル崩壊後の金融機関や企業の負債額や、それに対して公的投入された資金で「何が買えるか」を計算してある一冊である。
かわいいイラスト入りで、読みやすいのだが、金額だけが桁外れだ。

例えば、
3261億円 シーガイア経営破綻 負債総額 で買える物

○プレステ2開発:200億円
○都道府県に100面ずつの芝のグラウンド:2021億円
○トルシエ級コーチが100人巡回:100億円
○坂本龍一オペラ製作:50億円
○おつり:890億円(!)

となるらしい。
個人的には、「おつり」が気になって仕方がないのだが。
890分の一で良いから、還元してほしいものだ。
いやいや、35,000円で良いから。


全然ケタ違いで情けなくなるけれど、今日の残りの時間は「もし35,000円あったら、何に使いますか?」といろんな人に聞いて回ってしまった。
こういう質問をすると、本当に十人十色な答えが返ってきて、面白い。

先輩は「出張用の鞄か靴」
同期は「ダイビング1回」
取引先の2人は「iPod」
友達は「お寿司を食べる」と「すき焼きを食べる」

変なところでは
「照明器具(何故それを思いつくか?)」
「水遊び(・・・)」
なんて答えもあって、反省するのも忘れ、結構笑ってしまった。

私だったら、何に使うのだろう。
何も買わず何も食わず、地道に旅行費用の足しにするから、戻ってきて欲しい。
ああ反省。

この間の温泉の料金は確か、31500円だった。

凹。






栞と短編小説。

2005年08月14日 | 読書


イタリアで買った栞が、ようやく役に立つ時が来た。
あまりのキレイさに一目惚れして買ってしまったのだが、

1.文庫本に使えない。
2.多くのハードカバーには栞(糸のやつ)がついている。
3.多くの本では続きが気になって仕方がなく、栞には注意を払わない。
4.この存在自体を忘れていた。
といった理由で、これまで使わなかったのだ。

その点、先日買った小説はなかなか良い。


村上春樹氏の短編集。
アメリカで出版されたのと同じものの日本語版だ。
既に読んだものもあるけれど、なかなか新鮮。
私が好きな、村上文学の雰囲気も文体も、長編と大きく違わない。
栞もついていないし、短編だから、栞を見る余裕もできる。
他の本とチャンポンで読んでも、頭が混乱しないのも良い。

私は結構な活字中毒で、特に夜は何かを読まないと良く寝られない。
けれどもそれが長編だと、結局夜を徹して読み続けてしまうハメになる。

短編はあまり読まないが、夜の一冊としては良いものだと思った。
スッキリして寝られるし、本は長持ちする。
枕元に置くので、多少シワになりやすいけれど(寝相が悪いらしい)。

ともあれ、今夜も一話読んで寝よう。
シェエラザードが我が家にもいればいいのに。

数字のセンス。

2005年08月09日 | 読書


誰が何と言おうと、数学は難しい。
数学が出来ないお陰で、人生の選択肢は1/4くらいに狭まっていると思うけれど、どれだけ努力しても解らないのだ。
いや、どちらかと言うと努力する気にもなっていないのが現状か。

人生には、多分どう足掻いても回避出来ないものが幾つかあるけれど、その一つが数学だと思う。

大学に入っても、必修科目に統計学。
会社に入ろうと思えば、筆記試験に数学。
キャリアアップしたければ、今の職種ではまたまた統計学。

そろそろ努力をする時なのだろうか。

今日は会社でレクチャーがあったのだが、その中に統計学が含まれていた。
大の苦手分野。
けれども、その内容は拍子抜けするほど面白かった。
教えられた演習問題をやり直したいと思うほどに(やり直していないが)。

簡単なことを難しく言う人は多いけれど、難しいことを簡単に表現出来る人は少ない。
今日の先生は、間違いなく後者に属すると思う。

そういえば冒頭の図書「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を読んだ時もそう感じた。
これは会計学の入門書なのだが、著者(文学部出身!)の文章力のお陰か、奇跡的に読破できた一冊である。

「数字に弱くても、数字のセンスを磨けばいい」と著者は書いている。
磨くべきセンスがあるのかはこの際無視するとして、考え方を変えるには良い本に出会ったと感じた。

やる気を出させる2つの出来事。
差し当たって明日は、会社でホコリをかぶっている統計学の本を持って帰って来よう。





お腹がすく本。

2005年07月26日 | 読書
最近、食餌制限をしているからか、本に書かれた食べ物がやたらと目につく。

小説では、辻仁成氏の「今この瞬間愛しているということ」にやられた。
この本はタイトル通り、長編の純愛ものである。
勿論、主人公の悲恋に感情移入はしたのだが、それ以上にお腹がすいてしまった。

というのも、この小説の舞台はフランス料理界なのである。
三ツ星レストランやシェフの努力や心の葛藤と、その結果生み出される料理の描写が「これでもか」という程に見事だと思った。

こんな料理食べてみたい。
料理を審査するミシュランの社員になりたい。
と、そんなことを思うのだが、生憎フレンチを味わうお金もないしミシュランの社員でもない。


という訳で、こんな本も買ってみた。


「BAGEL & BAGEL オリジナルレシピ集」というタイトルだ。

BAGEL & BAGELといえば、言わずと知れたNYスタイルのベーグル店。
最近、近くに店舗が出来たと喜んだのもつかの間、そこは駅の改札内。
という訳で、都内に出る時に時々買って帰る程度だった。

この本は、このお店のオリジナルレシピ集である。
ベーグルの焼き方から、加えるトッピングや具材まで、レシピが満載されている。

幸い、ベーグルなら手が届く。
台風で早めに帰れた今日は、基本のベーグルを作ってみた。

まだ、味見はしていない。
明日の朝食のお楽しみ。

美味しかったら、明日のブログにUPしようと考えている。

もったいない。

2005年07月19日 | 読書
今日は、会社の先輩の送別会があった。

奮発して予約したお寿司屋さん。
とても美味しいのだが、如何せん料理の量が多い。
とても食べきれず、半分ほどは残してしまっただろうか。

「もったいない」
そう思いながらも、どうすることも出来なかった。


そう言えば昨日のことだが、こんな本を見つけた。



「もったいない」というのは、日本語特有の言葉らしい。
2004年にノーベル平和賞を受賞者した、ケニア共和国環境副大臣、ワンガリ・マータイ氏が日本で知り、感銘をうけた言葉こそが「もったいない」であったとのこと。

マータイ氏によると、循環型社会のための3R(= Reduce, Reuse, Recycle)を、たった一言で表現し得ているのが「もったいない」なのだそうだ。
日本人ならば、当たり前のように使う「もったいない」という言葉とその精神を、彼女は今、世界に拡げようと運動している。

こう聞くと、とても誇らしい気持ちになる。
しかし日本でも「もったいない」という文化は失われつつある。
今日の私のように。

この本では、「ごはんは最後の一粒までいただく」とか「おさがり」「風呂敷」といった、昔ながらの日本の「もったいない」文化を、絵と文で解りやすく説明している。


身体の容量も問題もあると思うけれど、外食の時、私は必ずと言っていいほど、何かを残す。
一方で、出されたものは必ず食べきる友人を知っている。
「偉いね」と言ったら、
「出されたものを全部食べるのは、当たり前と思ってきたから」
と、その人は答えた。

私は今でも、その友人を尊敬している。

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いま世界では3秒にひとり、子どもが貧困から死んでいます。1日だと3万人。

もし世界が100人の村だったら、
20人は栄養がじゅうぶんではなく、一人は死にそうなほどです。 
そんななか、日本のわたしたちが捨てるたべのこしは、年に2000万トン以上です。
ちなみに世界の食糧援助量は、年に1000万トンです。

<世界がもし100人の村だったら・ホワイトバンドキャンペーンより抜粋>
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ホワイトバンドをつけながら、行動が伴わない自分を恥じた。

世界一かわいいビジネス本。

2005年07月01日 | 読書


17cm、90ページの小さな本。
スウェーデンからやって来た、スウェーデン式アイデアブックという一冊だ。

色鉛筆や水彩で描かれた素朴な挿絵。
1章は、長くても4ページ。
その中には「創造力」を育むヒントが植わっている。


「本は楽しむために読みたい」派の私の中では「その本が役立つかどうか」は二の次であることが多い。従って、ビジネス書の類は読むことが少ない。
小難しいのは仕方ないとして、説教臭さに「げんなり」してしまうのだ。

その点、この本はあっさりしたものだ。
30のエピソードと、そこから導き出される小さな、しかし独創的なアイデアたち。
押付けがましいことも、お説教もなし。
一応はビジネス書に分類されるらしいが、
どちらかというと、お風呂に浸かりながら眺めるのに向きそうな本だ。

お風呂=bathroomは、バー(Bars)、バス(Busses)、ベッド(Beds)と共に、人が普段よりひらめきやすい場所で「創造性の4B」というらしい。
買ったばかりの本を、早速お風呂場に持ち込むのは勿体ない気もするが、パラパラめくってみようと思っている。


あたまが悪い。

2005年06月22日 | 読書
あれは確か、4月のことだった。
大切かつ苦戦中のお客様と珍しく話が弾んでいた。

「そうそう、この本オススメだよ~」
話の途中で、一冊の本を紹介された。





もしや、頭悪そうな話し方してる?  (゜∀゜?


そして、昨日。
「この本面白そうじゃない?読んで見れば~?」
と、先輩が勧めてくれた一冊の本。




やっぱりか。  〇| ̄|_


普段、私はこの手の本はあまり読まない。
ふと思い立ってビジネス本を手にすることはあるのだが、「ふーん、ナルホドナルホド」と感心するだけで、一向に身にならないのである。

小説や詩の言葉は心に響くのに。

この2冊の場合はどうか。
確かに面白い。樋口氏は文章が上手で、思わず笑ってしまうような言い回しも多い。
「ナルホドナルホド」の宝庫のような一冊だ。


ちなみに私が気になったのは、随所に出てくる
「愚かである」 という表現だ。
馬鹿でも間抜けでもなく、「愚か」なのである。
何やら、平伏して反省しなければならない気分になってしまうではないか。
この辺が『ベストセラー』の所以ではないかと、私は推測している。


そんな訳で、この本も私の身にはなっていないらしい。
そして、相変わらず私は「あたまが悪い」ままなのだ。
心を入れ替えて、「ナルホドナルホド」から脱却してみるか。

現在読破中の「言い訳術」を読み終わったら、そのお客様に『もう一冊出ていますね』と、逆にオススメしてやろうと、私は考えている。

特記事項のない日。

2005年06月13日 | 読書
今週末は引き蘢って過ごした。
人からは、いつも忙しく飛び回っているように云われる私だが、こういう時間も好きである。

溜まった家事も昨日片付けたので、今日はひたすら本を読むことが出来た。
宮本輝氏の『ひとたびはポプラに臥す』という6冊シリーズの紀行文の後半3冊と、妹尾河童氏の『河童の覗いたインド』。最近は紀行文ばかり読んでいる。

これらについてはまた別の機会に取り上げることとする。
と言うのも、私は直近の出来事を文章にすることがどうも苦手だからだ。

もちろん、料理やその日に見つけたこと、ふと頭に浮かんだことを書くことは出来る。
ただ、本や音楽などは、読んだ時ではなく、時間が経った後でそれが自分の体験と結びついた時の方が、筆が進むし、実感をもって内容を伝えられる気がするからである。


そんなことを考えていたら、ふと、松谷みよ子氏の『小さいモモちゃん』シリーズを思い出した。
調べてみると、この本が初めて出たのは1964年のことで、私が生まれるずっと前だった。そして最後の本『アカネちゃんとなみだのうみ』が出たのは私が就職する少し前だった。

この本では松谷氏自身と、2人のお嬢さんを題材にした物語である。
子どもの成長、離婚、父親の死・・・。これだけの内容を子ども向けに書くには、30年という月日は決して長いものではなかったのだろう。

『この物語は、今日あったことをそのまま書けるというものではありませんでした。織り上げた布が風化して、縦糸と横糸だけになった時に、初めて書くことが出来たのです』
うろ覚えで申し訳ないが、最終作『アカネちゃんとなみだのうみ』のあとがきにこのような著者の言葉があった。


児童文学の大作と、自分の日記を一緒にしては申し訳なさ過ぎるが、なにもしない一日を終えて思ったことである。

今日という一日は、風化した時には、抜け落ちてしまう日かもしれない。
しかし、もしかしたら、どこかの糸になっているのかもしれない。