昨日は4月23日(月)
冷たい雨の一日。
仕事を終えて、帰ってきたら雨が上がっていたので
30分の旧ウォーキングコースに出発。
こんな日には、あのおばあさんも家から出てこないだろう。
前回の図書館でもう1冊借りてきていたので夜のうちに読む。
「アバノの再会」by 曽野綾子
曽野綾子さんの本は割と好きで読んでいる方だと思ったけど
このタイトルは初めて目にした。
これは、「役に立つ本」のジャンル。
宗教画っぽい装丁だし、作者が曽野綾子さんなのでまちがいない!
であろうと選んだ。きっと役に立つ。ただ一抹の不安はあった。
いやいや大丈夫。なぜにこれほど迷うのかというと対立候補が
日野原重明さんの「生き方上手」であったからだ。
これ以上役に立つ本はどこにもない!!というタイトル。
最初はこちらを手にとったのだが、あまりにも明快すぎるタイトルに
おじけづいてしまい、カウンターにこれを持っていく勇気がなかった。
で、「アバノの再会」に決定。
ストーリーは、割と単純だった。
妻と2年前に死別した大学教授が、教え子に誘われてイタリアの温泉
(アバノ)に行く。そこで、のんびりしていると30年前に家庭教師を
したことのある女性(50位になってる)と再会する。
女性は財閥家に嫁いではいるが精神的につらい結婚生活を送っている。
昼メロ路線か(結構好きだけど)・・・と思ったが、
この二人はランチやディナーの時に知的会話を楽しむことで幸福感を得ていた。
そうこうするうちに滞在期間の1週間が過ぎてしまい、別れる時がきた。
といっても、同じ国に帰るわけだから帰国後いくらでも会える。
二人の間には愛があるように感じられるし。
けれど、たぶん会わない。女性は帰国する教授に手紙で別れを告げる。
ある本の文章を引用して
「人が生きるべく選ぶ土地、時代を離れて人が自分のために建てる目に見えぬ住処。
私はティブルに住んだ。そしてそこで死ぬであろう。ハドリアヌスが
アキレウスの島で死ぬように」
「ことに人を深く愛するには、愛する人と遠くにいることが必要だという
矛盾です。人は近くにいるから、絶望し、最後には憎み合うことさえあるのです」
女性は自分に与えられた運命を受け入れ、愛を大切にするが故に
離れていくという。
この部分にくるまでが長くて、知的会話もよくわからないしで、
この本は失敗だったかなという気がしていたのですが、最後のところで
なるほど~と思う。簡単に言うとプラトニックラブですな。
アガサ・クリスティーが別名で書いている「春にして君を離れ」という
小説があるのですが、この中でも精神の愛には何者もかなわないということを
言っています。同じく「愛の重さ」では精神的に満たされることが
人間にはどうしても必要だと言っていました。クリスティーと曽野綾子さんが同じ
テーマで小説を書いているとは興味深いことです。
舞台はイタリアでなくてもよかったかもしれないけれど、最後に出てくる
チェルトーサ修道院の描写が素敵だったので、曽野さん自身がここが好きで
どうしてもここで別れの手紙を読ませたかったのでしょう。
曽野綾子さんらしい、フランス映画を見るような(イタリアですけど)
彼女の思想そのままの本だった。
余計な感想を付け加えると、年とってからの恋愛沙汰って、プラトニックでも
ちょっと気持ち悪い。
さて、次回のテーマは何にしようか。
冷たい雨の一日。
仕事を終えて、帰ってきたら雨が上がっていたので
30分の旧ウォーキングコースに出発。
こんな日には、あのおばあさんも家から出てこないだろう。
前回の図書館でもう1冊借りてきていたので夜のうちに読む。
「アバノの再会」by 曽野綾子
曽野綾子さんの本は割と好きで読んでいる方だと思ったけど
このタイトルは初めて目にした。
これは、「役に立つ本」のジャンル。
宗教画っぽい装丁だし、作者が曽野綾子さんなのでまちがいない!
であろうと選んだ。きっと役に立つ。ただ一抹の不安はあった。
いやいや大丈夫。なぜにこれほど迷うのかというと対立候補が
日野原重明さんの「生き方上手」であったからだ。
これ以上役に立つ本はどこにもない!!というタイトル。
最初はこちらを手にとったのだが、あまりにも明快すぎるタイトルに
おじけづいてしまい、カウンターにこれを持っていく勇気がなかった。
で、「アバノの再会」に決定。
ストーリーは、割と単純だった。
妻と2年前に死別した大学教授が、教え子に誘われてイタリアの温泉
(アバノ)に行く。そこで、のんびりしていると30年前に家庭教師を
したことのある女性(50位になってる)と再会する。
女性は財閥家に嫁いではいるが精神的につらい結婚生活を送っている。
昼メロ路線か(結構好きだけど)・・・と思ったが、
この二人はランチやディナーの時に知的会話を楽しむことで幸福感を得ていた。
そうこうするうちに滞在期間の1週間が過ぎてしまい、別れる時がきた。
といっても、同じ国に帰るわけだから帰国後いくらでも会える。
二人の間には愛があるように感じられるし。
けれど、たぶん会わない。女性は帰国する教授に手紙で別れを告げる。
ある本の文章を引用して
「人が生きるべく選ぶ土地、時代を離れて人が自分のために建てる目に見えぬ住処。
私はティブルに住んだ。そしてそこで死ぬであろう。ハドリアヌスが
アキレウスの島で死ぬように」
「ことに人を深く愛するには、愛する人と遠くにいることが必要だという
矛盾です。人は近くにいるから、絶望し、最後には憎み合うことさえあるのです」
女性は自分に与えられた運命を受け入れ、愛を大切にするが故に
離れていくという。
この部分にくるまでが長くて、知的会話もよくわからないしで、
この本は失敗だったかなという気がしていたのですが、最後のところで
なるほど~と思う。簡単に言うとプラトニックラブですな。
アガサ・クリスティーが別名で書いている「春にして君を離れ」という
小説があるのですが、この中でも精神の愛には何者もかなわないということを
言っています。同じく「愛の重さ」では精神的に満たされることが
人間にはどうしても必要だと言っていました。クリスティーと曽野綾子さんが同じ
テーマで小説を書いているとは興味深いことです。
舞台はイタリアでなくてもよかったかもしれないけれど、最後に出てくる
チェルトーサ修道院の描写が素敵だったので、曽野さん自身がここが好きで
どうしてもここで別れの手紙を読ませたかったのでしょう。
曽野綾子さんらしい、フランス映画を見るような(イタリアですけど)
彼女の思想そのままの本だった。
余計な感想を付け加えると、年とってからの恋愛沙汰って、プラトニックでも
ちょっと気持ち悪い。
さて、次回のテーマは何にしようか。