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いくつになっても人生これから

アドラー心理学と問題解決の秘訣

2017-05-30 06:57:23 | アドラー心理学

 

アドラー心理学は一見普通ですが、よく読むとと目から鱗の理論です。

必ず最後に問題を解決するのは自分自身しかいないと思い知らされます。

まあ、当たり前なんですけどね。アドラーさんが出てきて仲裁してくれるわけではないので。

 

一つの事例として私のアドラー体験を記録しておきたいと思います。

まったくすっきりしていませんのでそこのところは期待しないでくださいね。

 

今も続けているボランティアの介護予防体操のグループでの出来事です。

メンバーに私より一回り以上年上の人がいて知り合いの人でした。

軽口で「○○さんにはサポートされたくないよね~」と言ったところ(年齢のことです)

言葉通りに受け止められて アガサさんに嫌われていると思われてしまいました。

これは私の失敗でした。ある程度の軽口が通用する段階にあると思っていました。

直接会って 「嫌いという感情はありません。不快な気持ちにさせてごめんなさい」と

謝りましたが、許してもらえませんでした。

 

これをアドラーはどう解説しているのか。

 

「困ったときのアドラー心理学」に同じケースがあります。

失言したら「 謝ること、しかし許してくれるかはわからない」

さっぱりしてます。

 

つまり、誠実に謝るところまでが私のできることで、それをどうするかは相手の考えることなのです

課題の分離ですね。

今回は 許してもらえなかったという結論があったわけです。

受け入れるしかありません。

 

ボランティアなので、やめてしまってもよかったのですが、せっかく自治会で軌道に乗ってきたところで

私事でもめごともどうかなと思い、表面上は何事もなく、内心はびくびくしながら活動していました

 

そうこうするうちに、隣の自治会で人手不足になり応援を頼まれまして

お隣の自治会で活動することになりました。

会うことがなくなりお互いにいろいろ解決したと思います (たぶん)

 

 

他人も未来もコントロールできない ・・・・ とアドラーの本に書いてあったような気がしますが

しみじみ真理だなと思います。

 

失言して不快感を与えてしまい、あやまったけど許してもらえなかった。

受け入れて行動していたら別の道が開けて、なんとなく解決した。

こんな感じです。

最初は落ち込みましたがだんだんばかばかしくなってきました。

中学生か!  (← 開き直った!)

 

もう一つ問題解決の秘訣になることがあります

 

それは

「もう、限られた時間しかないのにつまらないことにかかわっている暇はない」ということです。

実際、このことを自覚すると、高齢者は幸福になり生活の質が上がるそうです。

出来事を「時間のふるい」にかけて自分にとって「価値のあるもの」を

自然に見分けていくということがあるらしいです。

これは歳をとってよかったことのひとつです。

 

これは、若くても同じだと思うのですが、若い時は先のことを考えて

あれもこれもと抱え込むので、悩みも不安も多くなってしまいます。

 

「時間のふるい」があれば、もしかするとアドラー心理学さえも必要ないのかも。

 

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今は、自分の自治会で別のグループが出来たのでそちらでに戻りました。

 

 

 

 


誤解だらけのアドラー心理学

2016-07-30 07:05:09 | アドラー心理学

よみうりオンラインー深読みチャンネルから

 

誤解だらけのアドラー心理学ー岸見一郎

 

矢継ぎ早に出された多数のアドラー心理学の書籍で誤解されていることが

多いと岸見一郎さんが言っていました。

 

アドラーの功績は心理学を決定論から解放し人間尊厳を取り戻したこと。

古来、多くの人に支持されてきたのは「今の生きづらさは過去の経験や

社会的諸問題」のせいであるとし、本来の責任を見えづらくしていた。

すべては、本能や過去の経験などによって決定されるものではない。

自由意志で決めることができる。ここに人間の尊厳がある

 

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誤解1 「個人に責任を負わせる自己責任論」

選択の責任は自分にあるといっているが、結果を責めてはいない。

 

誤解2 「だれでもなんでも成し遂げられるなんて大嘘」

主眼は才能や遺伝を持ち出し「できない」という思い込みに警鐘を鳴らしている。

 

誤解3 「人生は思い通りになるというポジティブ思考」

人生が思い通りにならないことは誰もが経験している。

苦しみに満ちた人生であってもどうにもならないとあきらめるのではなく

何とかなると考え、できることをしていく。

 

誤解4 「理想論であって実践的ではない」

アドラーの教えは現実の人間関係や人生の選択肢に困って

一歩踏み出せない時こそ役に立つ。

他人のせいにせず、自分を見つめ生き方を変えることは厳しいものである。

 

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なんだかわかったようなわからないようなです。

当たり前のことを言っているみたいですが、誰のせいにもできないというのは

厳しいです。でもさっぱりします。

私は「執着心からも解放される」と思います。

 

 

別の岸見一郎さんの著書からアドラーの言葉

 

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今ここに生きよう。

するべきことや、したいことがあってもできることから始めよう。

 

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実践ーアドラー心理学

2016-04-09 22:18:05 | アドラー心理学

ここ数年90歳の義母を見ている訳ですが

まあまあうまく行っていますが、時折問題が起こります。

 

それは、普段の外出は車いすでよろよろしているので

自宅の2階への上がり降りは危険だということで一応禁止となっています。

・・・・が、ばーちゃん上がっております。もちろん下がっても来てます。

これをとーちゃんが怒るんですわ。

危険を回避するということで約束したのに守らないという理由ですね。

そして、ばーちゃが誤っておさまり、なぜかまた繰り返すので

とーちゃんがまた怒るの繰り返しを何度も見てきました。

 

私としてもこの不毛な繰り返しを見るに堪えなくなり

アドラー心理学を適用するとどうなるのかということを考えてみました。

 

ここはひとつ「課題の分離」を適用するのがいいのではないか。

「課題の分離」とは、今の行動の結果を最終的に引き受けるのは誰かということです。

最終的に引き受ける人をはっきりさせて、誰の課題なのかを明確にします。

そして、他の人の課題には介入することはしません。

 

家の2階問題の場合は結果を最終的に引き受けるのは、ばーちゃんです。

階段から落ちて骨折する、あるいは捻挫くらいで済むかもしれませんが

痛い目に合うのはばーちゃんです。

では、なぜ止められても2階に上がったり下りたりしているのか

それは「できるから」ですね。危険と隣り合わせではありますが。

 

アドラーはなにごとも強制することはできないと言っています。

すべては自ら決めると。

 

そこでばーちゃんへの対応ですが、足が思うように動かないので

階段を上り下りする危険性は伝え、それを踏まえての判断はばーちゃんに委ねるのが

いいのではないだろうか。

どんなに禁止しても、やりたいと思ったら隠れてやるでしょう。

そんなことしなくても、それがばーちゃんの判断であれば認めるということにしたら

もう、これで「2階問題」は解決ではないでしょうか。

ばーちゃんも「禁止」など子供扱いではなく、自分の判断で行動するということになれば

「けがしても構わない」と思うか「心配させないようにしよう」と思うか

判断の基準が明確になると思います。

ほんとに怪我したらこちらにも覚悟が必要ですが、そこはしかたないです。

 

アドラー心理学は、年齢に関係なく

「自分の人生は自分で決めて、結果も引き受ける」という潔さがあります。

たぶん、人生ってそういうものだと思います。

(↑ その点で認知症は悲しいです)

 

 


人生はギブ&ギブーアドラー心理学

2016-04-07 15:43:31 | アドラー心理学

 

アドラー心理学のベストセラー「嫌われる勇気」の

続編にして最終章の「幸せになる勇気」を読みました。

 

またまた、目からうろこの連続でした。

「トラウマは無い」に続き、

「過去は存在しない」ときました。

現存ということのようです。

私たちは「今、ここ」にしか存在しないのであって

厳密に言えば、過去どころか未来も存在しない。

タイムマシンがないので、過去に戻ることはできないという意味なのか?

哲学的になってくると頭がついて行けなくなります。

 

また、こうも言っています。

現在の私が意味づけを変えれば過去さえも変えることができる。

これは、ちょっとわかります。

あの時、ひどい目にあって恨んでいたけれど、

今になって思うと、あれがあったからこそ現在があると感じる事。

 

キリスト教の教えとしてよく知られている

「求めよさらば与えられん」ですが、アドラーは

「与えよさらば与えられん」と言っています。

人生は ギブ&テイクではない。

人生はギブ&ギブであると。

 

これ、ちょっとわかるのですが、最近見た韓国ドラマでとてもよい台詞がありました。

古い韓国家庭料理を出すお店の人のセリフです。

人情に篤く、その人の体調に合わせて料理を作る人です。

 

「器が空になるほど、心が満たされていく」

 

これが少し近いのではないかなと思います。

お客さんは、特にほめるでもなく感謝するでもなくただ器を空にしていくだけです。

 

 

アドラーは誰でも今すぐに幸せになれると説いていますが

幸せの第一歩は心が満たされることですからね。

 

アドラーはこれを「貢献感」と呼んでいます。

割と身近な出来事の中にありそうです。

貢献にはギブはあってもテイクはないですからね。

 

一度読んだだけではわからなすぎるので、もう一度

時間を掛けてじっくり読んでみます。

 

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この本を読むにあたって、電子書籍リーダーの便利な点が一つ追加されました。

「マーカーを引く」という機能がついていて、気になったところに

マーカーを付けていくことができます。

そのマーカーを引いた場所を一度に並べて見ることができて

自分なりの総集編みたいなものができます。

これは意外と便利です。

 


劣等感も優越感もある意味同じーアドラー心理学

2016-02-17 20:26:01 | アドラー心理学

 

るりさんのブログで教えてもらい、NHK Eテレの100分で名著を

録画して見ています。

私の人生観ががらっと代わった「アドラー心理学」の「人生の意味の心理学」です。

 

第一人者の 岸見一郎さんと対談する人が

「今まで、知っていた心理学の概念が変わってしまった」と言っていましたが

そうです!私もそう思いました。

心理学はあやふやな物ではなくて、科学的なものなのだと思いました。

 

今まで、過去の人生が私を作っていたとばかり思っていたのですが、

それは思い込みでしかなくて、今生きている現在があるだけということ。

だれでも今すぐに幸せになれるということ。

まるでマジックの種明かしのように解説してくれたのですから。

 

まあ、実践するには、ちょいとハードルが高いこともありますが。

 

第2回目では私たちを苦しめることのある「劣等感」とはなんぞや

ということでした。

細かいことをとばして、結論から言うと、それは「自分をガードしているもの」です。

「どうせ、自分は美人じゃないから。才能もないから」と (←私じゃありません、念のため)

何かをできない事の理由に劣等感を利用しているということなのですね。

美人じゃないことや才能がないことが、目的とは実は因果関係がないというのです。

現実の自分を見たくないためのニセモノの理由だということです。

 

優等感も同じです。

自分を実際よりよく見せようとする、あるいは

目標を高くして自分に価値があると思いたい、

やはり、「自分をガードしているもの」です。

 

過去の栄光にこだわるのも同じ心理です。

(↑ 過去の栄光があるだけうらやましいですけどね)

 

なんだか、複雑だけど単純です。

苦しみから逃れるのは簡単。現実を受け入れるだけです。

普通であることを恐れないということだと思います。

だいたいの人が「普通」です。

 

息子が高校生の時、進学説明会でのことをよく覚えているのですが、

先生が「進路を決めるというのは現実に向き合わなければいけないので

つらい作業です。サッカー選手になりたいと思っていても、それが現実的ではないと

認めなければならないこともあるでしょう。」

この話がとても印象的でした。

 

日常的にこのようなことはあると思います。

アドラー心理学はある意味、哲学ではないかと私は感じています。

 

劣等感を持つ人も、優越感を持つ人も根っこのところでは

同じ心理であるというのは、言われてみれば納得できるし

脱出できそうです。

それほど恐れることはないし

まあ、結局「思い込み」なんですよね。

 

NHK出版で「人生の意味の心理学」を買いました。

断捨離で、手持ちの本を3冊に減らしてから初めての購入です。